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対話では言葉を尽くさなくていい

月に一度、ランチタイムセッションと題して、ゲストをお招きしてインタビューする企画をやっている。

先月は、哲学対話の活動をしているふみひらみつこさんとお話し、哲学対話がどんなものなのか、実際にどんな対話が行われているのか聞いてみた。

ふみひらさんは、私と同じ町田市に住んでいる。私は「働き方」をテーマにした座談会を町田で開いており、お互いのつくる場を行き来する間柄だ。

そんな気ごころ知れた仲という要因が大きかったと思うが、先月のセッションは、2人ともとても満ち足りた気持ちで終えることができた。私は「いい話が聞けた」と思ったし、ふみひらさんも「質問で的確で話しやすかった」と感想をくれた。会話がすれ違うことなく、一緒に対話を創り合っている手応えがあった。

セッションの後、LINEでやりとりしていると、ふみひらさんが「どんなに言葉を探しても、自分の思いを正確に言い表すことはできない。だから、対話では自分の言いたいことを言い切ろうとせず、相手に委ねることを心がけている」と送ってくれた。

そうだったか。”話を引き出した”ように思っていたけれど、そうではなく、ふみひらさんが私がどう受け取るかに身を委ねてくれていたから、気持ちよく質問することができたのだ。

感情や触覚、その場の空気。言葉ではないものを、私たちはどうにか言葉にして、誰かに伝えようとする。けれど、完全に言葉にすることは不可能だ。たとえできたように感じても、相手が自分と同じように受け止めることはありえない。

それでも、いや、だからこそ、私たちは対話する。自分の中の不確かなものが、相手の言葉によって、形になっていく。その逆もしかり。

対話するとき、相手に身を委ねる姿勢を忘れないようにしたい。

あるいは、相手に委ねてもらうにはどうすればよいか。「言葉を尽くそうとしなくていい」そう思ってもらうには。良い対話に出会ったら、そんな視点で観察してみたい。


▼そんなふみひらさんとの対話のレポートはこちら


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