平成もテン年代も終わろうとする今、 ラーメン評論ってどうあるべき?
今回は、「ラーメン評論」のあり方について、店主サイドから考えることを書いてみたいと思います。
携帯サイトの超らーめんナビ、ムックのアワードのTRYラーメン大賞、ラーメンWalkerなどなど……僕が独立してから現在に至るまで、いろんなメディア、評論家の方々に取り上げられ、紹介をいただいてきました。
今の自分のお店の立ち位置があるのも、それらのメディアを通して評論家の方々が取り上げ、レビューしてくださったからだと感じています。この点は今でも深く感謝しているところです。
だけど、いつからでしょうか。評論家の方々との個人的な人間関係や距離感、彼らの好き嫌いの感情、もちろん僕が持っている好き嫌いの感情、それらがしがらみになってきているように思えてなりません。
人間のやることですから完全に公平ということはないことは分かっています。しかし、フラットな評価につながっていないんじゃないかな、と思うことが増えてきたんです。
先日、池袋に新店『ソラノイロ食堂』をオープンした時、評論家にいろいろなことを書かれ、それがちょっと物議をかもしたことがありました。
たとえば、「創業当時はキラキラしていた目が、今はどんよりとよどんでいる」。たとえば、「ラーメン830円で、餃子が180円。セットで1010円という価格はどうなのか。券売機で小銭を出すことを考えたら、なぜ1000円にできなかったのか」といった指摘です。
目がよどんでいる? 創業当時とは経営者としての悩み、迷いも格段に違います。店を広げていく苦労など知らずにぶつかっていた創業当初と、5店舗めを苦労して出している今を比べるのは、果たして正しいのでしょうか。ただ表面的な印象で読者をミスリードしていないでしょうか。
評論家としての前に、人間として、ひとりの人格者としてきちんと向き合って発言、レビューをしていただきたい。僕は強くそう思います。
準備に追われて疲れも目に出ているようだが、開店に向けてがんばってほしい。
同じ表情を見ても、こう書いてくれるのなら、それはニューオープンに立ち向かう店主へのこれ以上ないエールになるでしょう。
セットにして10円が余るというけど、経営者としては、原価計算の末にその価格が導き出されたのであれば、それでいいという見解です。
食べてうまかった、まずかった、お店のここがダメだ、と。粗を探しにきてどうするんですか。
ソラノイロ食堂は、不動産関係から内装・外装、採用から備品に至るまで、トータルで数千万円のコストがかかっています。資金を調達して、人を採用してトレーニングして、メニューを考えて、一生懸命やってきました。それらの努力の先には、「新しいコンセプトでお店を開き、お客様にラーメンを提供したい」という思いがあります。
そんな思いを考えることもなく、粗を探す。おちょくったような言い方で人を揶揄する。それがラーメン評論というものでしょうか。
「昔から知っている間柄だから」
「愛のある評価」
というフォローも、ちょっと違いますね。店主との関係性で、思いで評価が違うのでしょうか。それが食の評論の正しいあり方でしょうか?
言いやすい人には言う。言いにくい人には絶賛ばかり。そんな傾向は、実はあります。僕があるビブグルマンのお店に行ったら、ホールスタッフと店長が私語ばかりだったし、お冷のグラスもちゃんとしていなかった。その場には大物評論家たちがいらっしゃいましたが、後で見たらべた褒め。サービスの気になる点については一切触れられていません。
あの人には本当のことを言ったら面倒だから、味だけ褒めておこう。そんなスタンスでは旧世代の評論家として化石になっていくばかりです。
山路力也氏、井手隊長など、文章の運びや表現を考え、ラーメンや料理のことを真摯に勉強している、と思える評論家もいます。しかし、ただラーメンをたくさん食べているからまつりあげられているのではないかという方もいらっしゃいます。評論家であれば、ラーメン屋が日夜味づくりに努力しているように、調理、料理、食材、言葉の表現の勉強をしてほしいと思います。
ちなみに、本店のメニューをリニューアルするにあたっては、食材の紹介などはすべて英語表記にしようか、とも考えています。僕はラーメン評論家、フリークに向けて作っているのではなく、全世界の方に食べてもらいたい、と思っているからです。
ここまで、旧世代の評論家について書いてきましたが、新しい動きについても僕は注目しています。たとえば、ラーメンユーチューバーのSUSURUくん。
「動画を録りながら食べて分かるのか?」とも思っていましたが、彼がコンテンツを録っているときの一生懸命さに信念を感じました。動画というコンテンツを通して、ラーメンの魅力をどうやったら伝えられるかを真剣に考え、臨んでいます。
素材や製法ありきじゃない。みんなが食べたくなる、SUSURUくんはそんな紹介をしています。ラーメンは楽しいもの、おいしいものだと訴えかけてくれるんです。
そんな新世代の前には、自分の好き嫌いで語り、自分の世代の視点にしか立てない評論家は、ひどく色あせて見えます。たとえば、ファミリーの視点で、三世代家族の視点でソラノイロ食堂を捉えてもらったら、すごく楽しく、面白い空間として見てもらえることもあるでしょう。
SUSURUくんは動画でしたが、ラーメンの魅力、可能性を伝えるアプローチも、メディアもまだまだ無数にあると思います。これからも、どんどん出てくるでしょう。しがらみに絡め取られる旧世代の「評論家」よりも、僕は新しい伝え手、メディアに期待しています。
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