パーフェクト酢豚

やけどしそうに熱い。出来たての酢豚が熱いのは、油で揚げた豚肉をすぐに、とろみのある冷めにくい熱々の甘酢に絡めるからだ。勢いよくひとくちめを口に入れると、脂肪分のない部位を使った歯ごたえのある豚肉が割れ、じゅわっと汁が出てきて舌をつつむ。そこに熱々の白飯を投入するからさらに口内の温度が上がり、涙目になる。なんとか飲み込めるようになるまで待っているときの痛そうな顔が、いつもすごく面白いと母は言うのだった。

「水飲めばいいのに。なんでご飯を入れちゃうの」

目の前の席に座るエプロン姿の母は毎回同じことを言った。ほらまた、箸の持ち方がおかしい。なんで人差し指が浮くの。熱くて口がきけず返事ができない私に、次々に言い放つ。ほら、水。あんた、ほんとに酢豚が好きね。お父さん、千紘にならいつ何を頼まれてもはいはい~って立ち上がって作ってくれるのよね。お母さん、そんなことしてもらったことないわ。

ごくり。あー熱かった。

「チッチ、ニンジンとピーマンと玉ねぎも食べろよ」

厨房と店内を隔てるのれんを手でかき分けながら父が現れる。あ、お父さん。うん、食べるよ。数分経って、ようやく最初の粗熱が落ち着いた酢豚をつつきながら答える。初めの一口は絶対に「熱すぎる肉にごはん」と決めているがそのあとは自由だ。甘酢あんをすくって玉ねぎやピーマンの反り返った部分に乗せたり、ニンジンには甘酢が絡み辛いので仕方なくそのまま食べたりした。

両親の仕事がとても忙しかったので、小学生の頃までは開店前の早い時間にこうして店の料理を作ってもらって、店内の客席で食べることがよくあった。食べたいものを決めたら厨房に待機している父のところへ行って、〇〇作ってくださいと注文する。父は読みかけの本をパタンと閉じてニヤリとし、、おっ、今日は〇〇か、とからかうように笑う。私は、好きなメニューがいくつかあったが、その中でも一番好きなのは、この「熱すぎる酢豚」だった。

ごはんと水、漬物を用意して客席に座ると、暇な母が目の前に座る。今日は学校でどうしたのとか、何を勉強したのとか、待ち構えていたように質問してくる。適当に相槌をうちながら、母の肩越しにテレビ画面を見ながら酢豚の出来上がるのを待っていると、そのうち厨房からおい、と父の声がする。母が立ち上がり、料理の受け渡し口から皿を受け取ると、私の前まで運んでくれる。はいどうぞオジョウサマ、とわざとおどけるので面倒くさかった。父も出て来て会話に加わり、母の質問も止まらない。こうして二人に見守られながら酢豚とごはんを食べるのは、鬱陶しいことでもあったが当たり前に受け止めていた自分の日常だった。

中学生になっても両親の忙しさは変わらなかったが、部活動を始めたので自分の帰宅時間が遅くなり、こういうふうに開店前の客席で食事をすることはなくなった。

もし、あの頃に戻れたら。テレビ画面なんて見ないでもっとまじめに返事してあげるのに。

閉店したから二度と食べられないけど、お父さん。私はあの頃もこれからも、あなたが作ったのよりおいしいと思う酢豚に出会えません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?