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20年の思い① ライブラリアン前夜

この四月一日から、公共図書館で司書として勤務することになった。
会計年度任用職員として採用試験を受けたのは今年の初め。
採用内定通知を受け取ってからというもの、辞めることになる職場の同僚への報告や、退職の手続きに明け暮れたこの三か月。
先週、最終出勤日を迎えることができた。
現在は月末まで有給休暇を消化することで過ごせる期間。

とうとう始まるライブラリアンな日々を前に、実感がわいて緊張してきたと同時に、心の奥底にあるのはやはり、強い喜び。
書架の前で過ごせる時間があり、そしてそれが自分の業務の一部だなんて。
率直に言って、最高だ。

司書資格を取得したのは二十年前の夏。
当時わたしは26歳のほとんどニート。
大学を卒業して数年後、仕事を辞めて地元に帰ってきたばかり。
実家の中華料理屋を店員として手伝うことでなんとか日を過ごしながら、心の中では「これからどうしようか」と途方にくれていた。
やりたいこともないし、できそうにないし。いじいじ、うじうじ、うつうつしていた。これからどうしたらいいのか、ということに強い意志を持った答えを出せなくて、何をしていても心のどこかにそれがへばりついて、いつも気が重かった。

そんな日々を過ごしていた六月のはじめのこと。遊びに行った祖母の家で畳の上にごろんと寝転んで大の字になり、さあ、どうするか、なんていつものように考え始めた。
好きなこと、夜遊び。趣味、ファッション。苦手なこと。勉強。
中学に入ったころから大学卒業まで、勉強そっちのけでファッションや夜遊びや異性関係に夢中になり、友人とつるんで遊びまわり、おバカまるだしの明るく楽しい青春期を過ごした私にとって、自分を掘り下げる質問なんてこのレベルでしかできない。

もっとないのか。これが好きだと、心から言えるもの。そういう、友達の影響でなんとなく流された「好き」じゃなくて。人生を貫くような、芯みたいなものが私にも何かないのか。考えてみても何もない自分がいやになり、どうしようもなくて、テレビを見ていた祖母に聞いてみた。

「ねえばあちゃん、私の得意なことってなんだと思う」
意外にも祖母は即答した。本を読むことかもね。あんたはね、とにかく本屋に連れて行けば喜ぶ子で、じっと本を読んでる姿がコワいときもあるような子だった。この子はお勉強できるよ、って皆で言ってたのにそれはそうでもなかったけどね。

じゃっかん失礼な発言が気になったものの、「それだ」と思った。
確かに、読書だけはずっと自分の人生とともにあった。幼稚園のころすでに読書が好きだった記憶があり、その後もそれが変わることがなかったから。

どんなに部活が忙しくても、夜遊びに夢中になっても、バイトざんまいでも、私は本を読むことを止めたことはなかった。大学生活後半の二年間は、書店でバイトしていたくらい。
実際にこの怠惰なニート生活の中でも、父の蔵書や自室の本を取り出しては読み、徒歩五分の場所にある市立図書館にも通っていた。
どうして自分で思い出せなかったんだろう、と不思議だったが、祖母に言われて気が付けたことはラッキーだった。

じゃあまた、書店でバイトでもしようかな。ばあちゃんありがと、と祖母の家をあとにしたが、帰宅してから別のアイデアが浮かんだ。

書店が好きだが、図書館も好きだ。図書館司書って、いいかもしれない。

調べてみると、地元の大学で、夏季休暇を利用して司書講習を実施していることを知った。今、六月はじめ。申し込み締め切りは、月末。
講習は、七月から。
タイミングがよすぎたこともあり、迷うことなく受講申し込みをした。

当時の全財産、十五万円のうち、十万円が学費、二万円がテキスト代に消えたけど、何の後悔もなかった。本当にやりたいことに払うお金ならちっとも惜しくないのだということを思い知ったのは、あのときだった。

そして私は、「あの夏」として心の中に大切な思い出としてしまうこととなる、「司書講習」の日々を送ることになった。


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