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梅雨があけたら

 六月の最終週が始まり、朝から雨の降る日だった。
雨ってぜったい、私たちが学校にいる時間に合わせて降ってるよね、と野口さんは言う。そう言われたらそんな気もする。登下校のあいだだけ止むとか、そんなことがあってもいいのに。

 一学期の一番大事な行事って梅雨明けだよね、と野口さんは続ける。
本当におかしなことを言う。その独自性が楽しい人だった。
私たちのいる一年三組の教室は、数日間降り続いている雨のせいで湿度が高い。担任の村上先生は印刷物についてできるだけわら半紙を使う主義だから、私たちの受け取るクラスの印刷物は全部湿り気をおびていて、机の上でとんとんと叩いて揃えようとしてもなんとなく、ぴしっと揃わない。


 今日もそんな教室にいて、昼休みの残された時間を一緒に過ごしていた。
二人で窓際の席に座って校庭の方向を眺め、よく降るね、という言葉と、ほんと、という返事を交互に繰り返していた。私が、早く梅雨明けするといいね、と言ったら野口さんは、梅雨があけたらまず何をしたいかとたずねてきた。 

 私は、そろそろ自転車通学がしたいし、部活の練習を外でしたい、と答えた。一本、二本と指を立てながら説明していたら、そんなに熱くならなくても、と野口さんは笑った。

 私は普段、自転車通学をしている。
雨が降ると自転車に乗れないのでスクールバスで通学しなくてはならないが、雨の日には同じ理由でバスに乗る生徒が増えるので車内が大混雑する。
動きの取りにくいバスでの通学が三日も続くと、体のどこかがイライラしてくるような気がする。

 高校入学と同時に入部したテニス部の練習は、雨が降っても休みにはならずに「室内練習」といって体育館の一部を借りて練習を行う。
借りられるのは本当に一部だ。
バレーボール部やバスケット部といった体育館使用の花形部の邪魔を絶対にしないようにとの配慮なのか、私たち女子テニス部が使えるスペースは緞帳を下ろした体育館のステージの中だけ。
その中に、コートネットの高さに見立てたハードルを置いて、ボレーの球出しをする。
晴れた日にコートを走り回るような思い切った動きはできなくて、こちらも体のどこかがイライラしてくる。
こら思いっきり打つな、なんて、力の強い部活仲間の佐田さんは毎回顧問に怒られている。 

 私はね、渡り廊下でお弁当を食べることと、雨の日は湿気で髪の毛がくるくるになるから嫌。
だから晴れたらすぐそうしようね。髪の毛も下ろしてくる。
野口さんはそう言って、いつものようにとても楽しそうに笑った。
耳の上で二つに結んだ髪型がとても可愛い彼女だが、先に向かってくるくると巻いているその癖毛は、本人にとっては扱いにくいものらしい。渡り廊下でのお弁当タイムも、いつも野口さんが率先して皆を誘っている。

 野口さんは高校に入学し、新しいクラスで一番に仲良くなった人だった。真横の席同士で、何かわからないことがあるとたずねたり、面白いことがあると顔を見合わせて笑い合ったりするうち、すっかり仲良くなった。

それでも、言えないでいることがひとつある。

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 私は高校入学後、中学生のころから交際していて別の高校に進学した、同級生の宮田くんと少しずつうまくいかなくなった。
私の都合がよくても彼は帰りが遅かったり、彼に時間がある日に私は部活の練習を休めなかったり。
そういうことが続くうち、無理をして会おうとしなくなっていった。
気持ちのすれ違いが積み重なり、二週間前、その恋は終わりを迎えた。
雨がしとしと降る日曜日の午後、地元のデパートの屋上でのことだった。
高校生活に慣れるため自分のことで精いっぱいとか、そういうありふれた言葉で私はあっさりふられてしまった。 

 彼と一緒の高校へ進学できていたらこんなことにならなかったのに、と自分の失恋を、この新しい環境のせいにしている。
本当はあの日から、部活も勉強も何もかもどうでもよかった。
ただ、それでも新しい朝は来るから、仕方なく起きて用意をし、雨の中をバスで通学し、体育館でテニスの練習をしている。

 彼の存在を新しい友人である野口さんに話さないままだったのは、こうなることを自分でも予感していたからなのかもしれない、と今は思う。
それに、新しい環境のせいで失恋したなんて、いくら本音でも新しくできた友達には言えない。
恋を失ったことは悲しいしそれを新しい環境のせいにしたいけれど、この高校に来て彼女という友人に出会えたことは否定したくなかった。



 ひとりになった私にも宮田くんにも、野口さんにもそれぞれの夏が来る。
失ったもののきらめきばかりに気を取られ嘆いてばかりいる自分と、高校での新しい生活に慣れていくしかないと前向きになろうとする自分の意見が合わず、心の中で言い争いを止めないけれど、それでも梅雨が明ければ私にも十六歳の夏がやって来る。梅雨が明けたら一番したいと願っていることは、その気持ちに折り合いをつけてどうにかしたい、ということだった。

 休み時間は残り十分になり、私たちは連れ立って、購買部へヨーグルトドリンクを買いに行く。

梅雨明けって、例年によるとあと四日くらいなんだって。
誰かから聞いたことを今思い出したように野口さんが言う。

雨降ってるけど渡り廊下でジュース飲まない、と提案してきたから絶対いや、と大笑いして断った。野口さんは、残念そうな顔をした。

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