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自分の中のこだわり

こんにちは、トミモリです。
今日は「自分なりの“美学”はあるか」というお話です。

自分の中に“美学”はあるか

自分の中に“美学”はありますか?
なんて聞かれることは あまりないと思います。


美学と言われたら 
私は
「男の美学」
くらいしか 関連する言葉が思いつかないくらいなのですが

そもそも美学とは美の原理などを研究する学問であり
哲学の一分野なのだそうです。

美学(びがく、: aesthetics、またæsthetics、esthetics、エスセティクス、エステティクス、: Αισθητική)は、美の原理などを研究する学問であり、18世紀に成立したとされる哲学の一分野である。本質や構造を、その現象としての自然芸術及びそれらの周辺領域を対象として、経験的かつ形而上学的に探究する。美的対象、美的判断、美的態度、美的経験、美的価値などが問題とされてきた[1]

Wikipediaさんより

伝統的に美学は「美とは何か」という美の本質、「どのようなものが美しいのか」という美の基準、「美は何のためにあるのか」という美の価値を問題として取り組んできた。科学的に言えば、感覚的かつ感情価値を扱う学問でもあり、ときに美的判断[3]そのものを指すこともある。より広義には、この分野の研究者たちによって、美学は「芸術文化及び自然に関する批評的考察」であるとも位置づけられる[4]

同じくWikipediaさんより

うーん、わかったような、わからないような?

私なりの解釈ですが
「その人なりに“正しい”  “美しい” と感じる基準や指針」
のようなものなのかな、と感じています。


“美学”は“哲学“であり“こだわり“であり“軸“でもある

ということは、“美学”とは その人なりに
「これが私の中での 正解!」
と思っていることなのかもしれません。


そしてそれはみんなが共通して持っているものではなくて
その人それぞれが違った形で
「これが正解!」
として持っているものなのかも。


もちろん「絶対的美」というものもありますが
完璧さだけが美しいわけではありません。

一つ一つのパーツは大したことなくても 
全体のバランスが美しいものもありますし

一部が不完全だから愛おしいというものもありますし

そのうまくいっていない部分を
どこに感じるかは人それぞれです。


要するに
「これが美しい」
「これが好き」
だと感じることって人それぞれですよね。


そして
自分なりの
「こうやって過ごすことが美しい」
「こうやって過ごすことが正しい」
って

自分の中のこだわりだったり
自分なりの哲学だったり
もしくは自分の中の自分軸というものだったり
それと一緒なのかもしれません。


自分の“美学”は変わってもいいし なくてもいい

おそらく
「自分の美学はありますか?」
なんて日常で聞かれないと思いますが

本当は意識していないだけで
自分なりの「これが正解」は何かしら持っているわけで

それを綺麗に標語的に言い換えたものが“美学”なのかもしれません。


そして
「自分なりの正解=美学」
を綺麗に言い換えて意識してみると

案外自分が大切にしているものを
すんなり肯定できたりとか
普段から意識しやすくなるのではないでしょうか。


そうやって定めたものが
いつ変わってもいいですし なくてもいいのです。

方針がブレブレでもいいですし
方針なんてなくてもいいんです。


ただ、考えに考えて わかりやすく綺麗に言い換えた
自分の軸となるような
「私なりの“美学”」
が 一つくらいあってもいいのかな 
なんて思ったのでした。


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