味がしない期

味覚が鈍っている。多分。
正しく自覚できているかも自信がない。けど、食べ物の旨味や傷んだときの臭みなどに対して鈍感になっている気がする。

2〜3年ほど前から大体のものが記憶より美味しくない。まずいんじゃなくて、美味しさが足りないという感覚がしっくりくる。
まずいという感覚も鈍っていて、同種類の食べ物に対する店による違いなど、あまり優劣も付かない。
数年前より短くて粗いものさしで食事をしているらしい。

今ひとつ自覚に欠けているので、具体的に思い返してみる。

まず、今食べたコメダ珈琲のミックストーストの味があまりしない。
ご丁寧に辛子まで塗ってもらってるので、その風味はする。でもなんか嗅覚で嗅ぎ取っているかも知れないと思った。
味と思っていたものが、トースト表面のざらざら、耳の硬さと縁がぱりりと割れる崩れ方といったテクスチャ、そして温度、辛子の鼻に抜ける刺激なんかにかなり依存している気がする。

思えば近頃、やけに熱いものや冷たいものにこだわって食事をしていた気がする。
歯ごたえのあるものは元から好きだけど、南インドやスリランカ料理にやたら関心を寄せていたり、スパイスに傾倒していたのはもしかして鈍くなる味覚を嗅覚でカバーしようとしていたのかも知れない。
⇩最近たべて美味しかったランキング上位。味は勿論いいと思う(すっかり自信がない)けど、テクスチャ、嗅覚や刺激の豊富な料理であることは間違いない。

水戸のカルマ
茅場町のHOPPERS

勝手な因果の妄想だが、味覚が鈍くなったのは精神の不安定さから来ている気がする。
なぜかというと、味覚が鈍っていることに気づいたのが、ここ数ヶ月で急に味がする時期があったから。

仕事でかなり辛い状況にあった原因の1つである上司が変わり、ひと月ほど経ったときに、なんか今まで平気で食べていたブラジル産の鶏肉や冷凍の豚肉に臭みを感じたり(匂いじゃんて感じだが、味)、お米の甘みを強く感じたりするようになった。

最初は味覚が鋭くなった?!と驚いていたものの、思い返すとこのくらい味、してなかった?と思い、そこから「最近美味しいもの減ったなあ。舌が肥えちゃったカナ」とかぶっこいてたけど、振り返ればまずいものも減ったな……と思い至った。

そして、よくまずいうまいと食べ物批評する前に体調がどうか?今これを食べて美味いと感じるだけのコンディションを整えられているか?と確認するようになった。
お腹いっぱいのときに食べると美味しいもののありがたみが減るというけど、同じようにメンタル含め体調が食事の満足度を左右することはわたし個人はあまり意識していなかったけど、事象としてあって然るべきな気がする。

ただ、味しない期においてもコーヒーはなぜかいつでも美味しいと不味いを感じられた。
コーヒーって匂いととろみなどの口当たりが重要だからだろうか。それでいうと確かにビールも味しない期においても楽しめていた気がする。
苦味は感じるけどうま味が麻痺していたのだろうか。

現状は、やや味しない期の底は抜けて、回復傾向にはある気がする。鮮魚とか美味いし……。
味覚障害が起きるほど精神状態が悪かったかというと、なんとなくの思い込みかもしれない。
ただ、自分にとってきちんと食事を味わえているかというと、これまでの人生経験から期待するよりは楽しめていなかったのは事実だったかと思う。
満足度が低いからか、多くの食事を欲して過食になったり、逆に食事への期待が低くなって少食気味になったりと接触状況が精神を表すことがあるんだと思う。
意外と慢性的に今ひとつな状況が続くとそれに慣れてしまうし、今後色々と思ったことは記録して、人と思い出しがてら共有して自覚のチャンスを得られるように気をつけようかな。

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