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入院and退院しました!

ちょっとお久しぶりです、ちひろ(もち)です!
もっと早く書きたかったのですがなかなか…

何があったかと言うと自殺未遂をやらかし、救急搬送ののちに入院しておりました。このご時世にたくさんの方にご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした。

※この記事はあくまでも私の体験談であり、自殺を推奨するものではないことを、予め記させていただきます。


経緯と流れ

前々から死にたい!とはよくnoteの記事やTwitterに書き込んでいたとは思うのですが、段々と仕事が苦しく明日が怖くなりました。具体的に死ぬ方法を探し始め、それでも踏ん張って、なんとか仕事に行っている状態でした。ですがそんな中、心が折れると言いますか、大変ショックなことを言われてしまい、完全に死のう、そうしないと私は逃げられないんだと、強く思い込み始めました。もう視野が狭窄してしまい、他の方法や周りに頼るといった改善策は思いつかない所まで精神が衰弱してしまっていました。

直前までは普通に仕事をしていました。いつも通り、誰にも察されないように笑って1日を終えました。
ですが事前に遺書、諸々のパスワードを記した手帳、何かあったらこうして欲しいと書き残し、準備を進めていました。誰にもバレてはいけないと思っていました。

そして当日の夜。
仕事から帰宅して食事も取って、いつも通り家族におやすみを告げた後、ことを決行しました。
方法はODです。処方薬(睡眠薬、安定剤など)をたくさんたくさん飲みました。確実に死ねるなんて思っていませんでした。今時処方薬をODしたところで成功する確率なんて本当に低いことも知っていました。でもとにかく逃げたかったんです。明日が来なければいいと。

でもその気持ちの反面、すごくすごく怖かった。
部屋にある薬を全部集めてきて、これを今から飲むんだ、と思うと震えと涙が止まらなくなりました。
本当は誰かに気がついて欲しかった、優しい言葉が欲しかった。その思いが膨らんで兄にLINEをしました。今までありがとう、と。
そして飲めるだけ飲もうと開始しました。

どんどんシートからプチプチ薬を出して飲んでいると、慌てて母親が部屋に入ってきました。当然ですよね、不穏なLINEが妹から来たんですから、兄は親に連絡していました。最初は何が起きているかわからなかった母も、大量の薬のカラ、泣きじゃくる私を見て事態を察したのか父を呼びました。そして私の遺書を見つけて母は悲痛な声を上げ、泣いていました。あの声は今でも忘れられません。父は、気づいてあげられなくてごめんなあと抱き寄せてくれました。

それから救急車を呼び自分で歩いて乗り込みました。少しの気分の悪さはあったものの、意識はありました。救急隊の方々にいろいろと聞かれたのち搬送先の病院が決まり、病院に到着しました。自分で歩けるか?と聞かれて大丈夫と答え、歩いて救急車を降りたところまでが私の記憶残っている全てです。意識を失いました。


目が覚めると病室でした。丸一日以上経っていました。
点滴、心電図、尿道カテーテルに繋がれていました。
看護師さんに、特別に面会させてあげるねと言われ、両親が来ました。母は泣いており、何度呼んでも目が覚めなかったからと。会えたのはほんの少しだけでした。
ああ、助かったんだなあ…と朦朧とする意識の中で思いました。本当にこれでよかったのだろうかと。
あれだけ飲んだんですから、目が覚めた後もしばらくはふにゃふにゃでした。頭が回らず寝ているのか起きているのかすらわからない状態でした。

しばらく経った後、カテーテルや心電図が外れて、自力でトイレくらいなら行けるようになりました。この辺りの記憶は一応あるんですが、少し曖昧なところもやっぱりあって薬の影響かなあと考えています。ぼんやりしながら、仕事や生活など今後どうなるのだろうと不安になっていました。

ご飯が出始めたのですが、私の苦手なお粥と豆腐料理が多く、とにかく苦しみました。退院まで通常食は出ず、ずっとそうでした。今まであまり食に興味がないタイプだったんですが、こんな場面で食の楽しみがいかに重要かを知るのは悲しい話だなと思いました。


意識がハッキリしてからの入院生活はとにかく辛かったです。当然いつも飲んでいた安定剤など飲んでおらず、睡眠薬もない為夜も眠れず、ただただ怯えていました。依存と言われればそれまでです。自業自得なのはわかっているものの、あまりにもしんどくていろんなことを後悔していました。弱っていた為かなんらかの感染症にかかってしまい、高熱が出てそれもしんどかったです。精神は弱いですが体は強めだったので大人になってから熱を出すことなんてなくて…


本当の病気は?

私が搬送されてからしばらくして担当医になった方は、初めから私のことをうつ病ではないのでは?と考えておられたそうです。別の病気を持っているにも関わらず、それに気が付かず薬を飲み続けていたのでは?と。
別の病院より回診に来られていた精神科医の先生とも会う機会をいただけたのですが、そこでも別の病気の可能性を示唆されました。
その病気が何かというと発達障害です。
うそ!びっくり!とは思いませんでした。というか私もこの病気をずっと疑っていました。仕事での忘れっぽさ、不注意、こだわりの強さ諸々…不安だといろいろと検索してしまいますよね。私も調べた末、発達障害に辿り着いていました。あくまでも自己判断ですが。
これを機にきちんと診断を受けようという話になりました。




ものすごく長い記事になってしまいましたが、退院後現在も様々な不安に襲われながら生活しています。というか何もかもが不安で、落ち着かないです。まあ当然といえば当然ですが…ひとまず家で休んでいます。
入院中の細々とした出来事や治療など、またnoteにまとめたいなと思っています。今回はあくまでもご報告までに…

生きていてよかった!とはまだまだ思えませんが、たくさんの方々にご心配と御迷惑をかけ、愛されていたことを知り、よくないことではありましたが人生を見直すキッカケになったと思い、少しずつ生活していけたらと考えています。

相変わらずポジティブにはなれそうもありませんが。


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