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今度こそ、は叶わない


今度こそまともな人生が歩めると信じていました。

もちろん世の中にはたくさんの生き方があります。どれが正解でどれが間違いなんて言うつもりも、そんな権利も私にはありません。でも自分自身の中では違います。

私の思い描く「まとも」は、自立していることです。
自立とは程遠い人生を歩んできました。病んで高校を辞め、長い間親や祖母のお金で引きこもりをしていました。フリーターを始めてからも、私の稼げるお金だけでは到底生活は出来ませんでした。せめて己の通院費や携帯代を払うことが、当時の私にとって親へ最大限の謝罪でした。貧乏な我が家では、働けない大人1人を養うのはとてもとても大変だったことと思います。それでも両親は私を責めず、病気を抱え少しずつしか歩めない私を見守り続けてくれました。現在も。
甘え、それはそうなんだと思います。世の中には親や親族を頼れず、1人で生きている方も大勢います。心のどこかで、何かあっても助けてもらえると考えていたのかもしれません。情けない話です。

就職できたことは私にとって希望でした。
何度も何度も失敗し、ようやく手に入れた自立への道でした。これで今度こそ「まとも」になれると思いました。最初っから上手くいくとは考えていませんでした。正社員になるのは初めてだったから。それでもなんとか毎日食らいついて、少しは役にてるように、居るだけで迷惑だと思われないようにと必死でした。馬鹿にされても、見下されても、笑っておどけて過ごしました。

上手くいかなくても、上手くいっていると信じていたかったです。自分の稼ぎで生活費がまかなえるようになり、実家暮らしのままではありましたが、家にお金を入れる余裕も出来ました。心の余裕がなくなることくらい、我慢すればいいことだと言い聞かせました。そうしないとせっかく手に入れた全てがなくなってしまうから。

でもそう長くは続きませんでした。
知らない間に心のバランスはどんどん崩れ落ちていきました。仕事ではまだ明るい馬鹿を演じられていました。でも家に着くとそんな気力はなくなり、食事中も話すことが出来ない日が増え始め、何かを見ていても心ここに在らず。それでも弱音を吐いてはならないと思いました。親は私の就職にとても喜び、毎日毎日仕事に出かける私を良く思っていたと思います。当然ですよね。期待を裏切る真似だけはしたくない、今度こそ「まとも」な娘になるんだと心に決めたのですから。



ですがそんな生活も終わりを告げます。
呆気ないもんです、たったの約5ヶ月。私が走り抜けた5ヶ月は、自らの命を絶つことで終わりました。

家族は自分を責めたと思います。私を追い詰めたときっと思っていると思います。でもそれは間違いです。私は自ら進んで弱音や本音を吐かなかったんですから。職場の方もそう。私は明るくて声が大きくて、でも馬鹿でおどけてよく笑う。それでよかったんですから。


「まとも」を失った私はこれからどうしていけばいいんでしょうか。あんな事をしたので静養することが1番だと理解しています。でも毎日悔しくて情けなくて不安で。自ら仕事から逃げる、もとい人生から逃げる選択肢を選んだのに、もうどうしたらいいかわからないんです。
以前も記事にした、普通になりたいという話。
全てはそれに尽きます。



私の今度こそ、は叶うことなく終わりを告げました。



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