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beの肩書きをもらって

2023年4月3日、あかりんに念願のbeの肩書きをつけてもらいました!!

beの肩書きとは、やっていることを表すdoの肩書きとは異なり、その人自身のあり方を表現したもの。

beの肩書きワークショップでは、最初に自分が満たしたいと感じているニーズを選んで、そこを起点に自分の話を聴いてもらいます。
かかる時間は2時間くらい。
2時間と聞くと長く感じるかもしれないけど、あかりんの問いとともにどんどん話が湧いてきて、あっという間に時間がすぎていきました。

私にベクトルが向いてる状態でこんなにひたすら話を聴いてもらうのって、とても久々で。それだけで満たされた気持ちになりました。

だから、最終的にもらった肩書きももちろん嬉しいけど、
その過程が本当に宝物だったなあ。

そうして今回私がもらった肩書きとその過程がこちら↓

beの肩書きやさんについて気になる方はぜひこちらを読んでみてください!


ここからはbeの肩書きWSを経て感じたことのメモ。

休息

選んだニーズの中でも、休息に関連する言葉が一番多かった。
最近いろんなものを手放して休んでいるけど、なんだかまだ休みたりない。

私が休息に求めてることは、2つ。
①忙しさによる苦しみからの解放(健やかさ、癒し、安全)
②今ここのやってみたいを叶える(遊び、気楽さ)

最近①のための休息は少しとれるようになってきた。
②の時間をとれないのは、その優先順位が低いからだ、てことがわかった。

だから、今後は「わくわくタイム」(もっと良い感じの名前募集中笑)てスケジュールに書き込んで、その日の気分で過ごしたり偶発性を楽しむ時間をつくろう!て決めた。

公平な世界

私は世界に、公平であってほしい。
公平って私の普段使ってる語彙の中にはない言葉なのだけど、
改めて考えてみるとこの言葉が一番近いのかもしれない。

偏りの少ない状態であってほしい。
みんなが同じで平等であればいいわけではなくて、
それぞれの事情を考慮した上での最適、みたいなイメージ。
全ての人のニーズが最大限に満たされるような。

でも公平かどうかって、誰かの判断が入る。
こうあれば公平ですっていう明確な基準があるわけじゃない。
誰かの都合を叶えたら他の誰かにとっては損になるような、トレードオフの関係性もたくさんある。
難しい。

難しくてよくわからないなりに、とりあえず私は、自分の日常やしあわせが誰かを傷つけて成り立っている現状が、なかなか許せない。

だから私は、知りたい。できる限りたくさんのことを。
知ることで、できるだけ多くの側面から物事を観たい。
できるだけ多くの立場に思いを及ばせたい。

全部を知ることはできないし、
どうしたって私の価値観を通してしか物事を捉えられない。
しかも知ったほうが生きづらくなることも多々ある。
でも、できるだけフラットな目で世界を観たいって思ってしまう。

そして、単純に、
世界のみんながしあわせに生きていけたらいいのになって願ってる。

景色を観たい

私は、いろんな体験をしたがる。
それは、世界の公平を願う故の部分もあるかもしれないけど、
世界を観る視点が増えるのは、それだけで楽しい。

いろんな体験をして、
自分の足で歩いて、手で触れ、耳で聞き、目で見て。
その先の自分から見える景色を観てみたい。
ただひたすらに、いろんな立場からの景色を観て、あじわいたい。

表現

いろんな体験をして、それで誰かに何かを伝えたいとか、そういう感覚はあまりない。

目指す世界観に向けて伝えたいことはあるけども、それと旅とはまた別物のイメージ。

いろんな景色を観て、自分の中に新たな視点が落とし込まれれば、それで満足。

それを言葉とか写真という形で表現することはあれど、
それはただ表現しているだけ。
それを見た人にこう受け取ってほしい、みたいなベクトルは存在しない。

ただ、影響を与えたい、てニーズはあって。
自分の在りたいように在ることで、私の価値観をにじませることで、誰かが何かを受け取ってくれたら嬉しい。お互いに影響を与え合う関係性の中に生きていることが、私の生きている実感になる。

誠実に、ちゃんと

誠実。
部活に没頭していた頃の私と今の私を繋ぐ言葉。

ひとつひとつ丁寧に、誠実に、ちゃんと向き合うこと。

そのまま抱きしめて、共にあること。
マイナスでもプラスでも、激しくても穏やかでも、明確でも曖昧でも、等しく大事なものとして扱うこと。味わうこと。

それでも

たくさんの視点を得たところで、
じゃあ自分がどうしたらいいのか、
世界にどうあってほしいのか、
わかるわけじゃない。

それでも、日々いろんな選択を重ねながら生きていかなきゃいけない。

半年あればもっと、自分にも社会にも役立つ経験値を積めるかもしれない。
わかりやすい目的がない時間は、こわい。
それでも、私は自分の「やってみたい」という軽い思いつきを優先したい。

就職によって、今まで関わりのあった大好きなチームから離れて生きていくことになる。
それでも、私は一度企業でがっつり働く。

谷津干潟を残すために膨大なお金と労力をかけることが最善なのかはわからない。
それでも、私は谷津干潟という環境を残したい。

誰のことも傷つけずに生きていきたい。
それでも、私は私のために生きる。

何が最善なのか全くわからない。
それでも、日々自分で選択しながら生きていく。

そんな、いろんな背景や事情、自分の中の感情を考慮した上での、
「それでも」という選択を重ねていきたい。


上のメモはWS終わった後に感じたことも含まれてるけど、
そんな私の話を聴いてくれたあかりんからもらったbeの肩書きがこちら。

「世界の均衡を愛する じぶん調査員」

私の、知りたい!という話を聞いたあかりんが、
「それって愛だね」と言ってくれて。

知る→思いを及ばせることができるようになる→愛
みたいな。
愛の範囲が平等に広いんじゃないかな、て。

それを踏まえての、
「世界の均衡を愛する」。

愛って表現はまだストンとは落ちてないんだけど、
じわじわきてる。

あとは、いろんなことを知りたいけど、それで誰かに伝えたいってわけじゃないって話で、「研究者っぽいね」って言ってくれて。

そういう節あるなーと思った。
調べものは好きで、調べた情報を整理するのも好き。
体験することは好きで、そこで感じたことをメモに残すのも好き。
でも、それを誰かに伝えるためにまとめるのは苦手。

そこで、「研究者」よりも「調査員」のほうが方向性がない感じがするから「調査員」。

調査のフィールドは世界なんだけど、その対象は結局自分自身。
だから、「じぶん調査員」。

え。めっちゃ素敵じゃない?
ありがとう、あかりん。

「世界の均衡を愛する じぶん調査員」
この肩書きを大事にもちながら、
まず半年、生きてみようと思う。

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