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聴いてもらうこと

2023年9月16~18日、伊豆で開催されたNVCリトリートに参加してきた。

信じられないくらい温かい空間だった。
そこには、誰もが本物であろうとしながら、わかりあえなさと向き合う尊さがあった。
一緒に3日間過ごす中でNVCを探求することは、想像の何倍もおもしろい体験だった。
自分の中でもいろんな感情が渦巻いていた。
本当に多くのギフトを受け取った。
心が、満ち満ちと、満ち足りていった。

そこで感じたことの備忘録を、つらつらと。

聴いてもらうこと

自分にとって一番心に残っている、インパクトの大きかった出来事が、2日目夕方のこと。

リクエストとフィードバックの練習をするワークだった。
そのひとつ前のワークあたりから、
誰かとの関係に悩んだり、リクエストしたいと思う事例が見つからない自分へのもやもやが募っていた。

人と真剣に関係を築くことは、私にはできないんだ。
本音を伝えるとか、傷つく可能性のあることはできないし、しようとすら思えない。
もっとより良い関係性を築くためにすべきことはわかっているのにそれをする気にすらなれない自分には、人間として何かが欠けているんじゃなかろうか。

そんな声が頭の中に響き渡っていた。

だからか、ワークの途中で、思わず、その嘆きをこぼした。
というか、そことどう向き合ったらいいのかを質問しようとして、
気づいたら嘆きが溢れ出していった。

そしたら、

丁寧に丁寧に寄り添ってリフレクションをしてくれた人がいた。
場の安全性を守ろうとしてくれた人がいた。
お守りになるような言葉をくれた人がいた。
共鳴してくれた人がいた。
ただ道半ばにいることを気づかせてくれた人がいた。
一緒に嘆きを共有してくれる人がいた。

心から「聴いてもらった」ことで、驚くほど心が軽くなって、満たされていった。
本当にありがとう。

やや話は替わるけども、私はここ3年ほど、学生向けの合宿型の対話イベントでスタッフに近い位置づけで参加し続けてきた。そこでは、回を重ねるごとに「聴いてもらう」ことによる安心やつながりを得ることが難しくなっていった。その代わりに慈しみや生命の祝福、学びや所属が満たされていたけど、聴いてもらうことや深いところでの内的なつながりを満たせない寂しさは依然として存在し続けていた。

どっちが良い悪いとかではなく、誰にどんな風に「聴いてもらう」のかで、満たされるものが違うことを知った。

リクエストの壁

リクエストが思いつかない、というのは、今に始まったことではない。

3年前ぐらいから、人に話しかけることのハードルが高い自分を知った。
半年程前、人に質問することやリクエストをすることがなぜかできない自分をはっきりと自覚した。

これは最終日のホームグループで話を聴いてもらったのもあって整理できたことだけど、私には他者との関係性の中でいつも繰り返される流れがある。

それは、相手のニーズを推測して、自分のニーズと衝突する場合は必ず相手を優先すること。そしてその相手のニーズは自ら本人に尋ねることはせず勝手に推し量っていること。その結果多少のもやもやが残っても、なかったことにしてそのままその相手と接すること。

ここ2~3年で自分のニーズにアクセスしやすくなったからなおさら、リクエストの壁が自分の中で目立つようになった。

全てはリクエストから始まることを知って、リクエストができない自分はだめだと評価する自分が現れた。

けどきっと、これもひとつの過程で。
昔は、自分の感情を自覚できないことが自分を信頼できない理由のひとつだった。でもNVCを学び始めてから、その感覚は小さくなっていった、

まだNVCの物語を生き始めて3年しか経っていないことを考えると、リクエストの壁になっているものの正体に気づけるのはまだこれからなのかもしれない。

そう捉えると、リクエストができない自分にも居場所ができたような気がした。

ネイチャーゲーム

「何かオファーがある人~🙋🏻‍♀️」という呼びかけで、自然とネイチャーゲームが思いついた。

未来塾でいつも朝活担当してたからかもしれない。

けど実際にやってみて、未来塾のときとは全く違うみんなの反応に嬉しくなった。未来塾に限らず自然体験系のアテンドをするときはプロのインタープリターと比較せざるを得ないような状況でやることが多かった。それが今回はプロの目が全くないし、みんな自然体験に慣れてるわけでもなかったから、私にとって何の変哲もないワークで喜んでくれて、当たり前の安全管理に感謝の言葉をくれて、新鮮な気持ちだった。

また未来塾との対比になるけど、
未来塾の朝活は、貢献や表現を求めてやっていた。
たしかに自分がやりたくてやってるわけで、感謝の言葉がほしくてやっているわけではないのだけど、未来塾では多分スタッフだからやってくれてるみたいな見え方をしているのかな?感謝の言葉をもらうことって少なくて(さすが!みたいな褒める声は聞こえることもある)、実はそこに孤独さみたいなものも感じていたんだなー、とふと気がついた。

怒り

ここからは、合宿中に見つけた感情やニーズについてのメモ。

私は、怒りの感情が湧くことがめったにない。

でも、怒りは良くないと蓋をしていただけだったのかもしれない。

リフレクションで、「憤りを感じていますか?」と聞かれたとき。
たしかに憤りのような感情を抱いていることに気がついた。

そのテーマ以外でも、蓋をし続けてきた怒りの感情の存在に気づいた。
怒りって、外向きジャッカルな気がしていて。
私は、外向きジャッカルを自分の中に見つけると、瞬時に内向きジャッカルに変換してる。その動きを今回の合宿でちゃんと観察できて、その声にも耳を傾けてあげたいかも、と初めて思えた。

成長・挑戦

私は、「成長」という言葉があまり好きではない。
現代社会では成長という言葉の陰でいろんなものがないがしろにされている気がするし、停滞が悪だと責める理由にもなったりするから。

でも今回改めて、「成長」「挑戦」という自分のニーズを再確認した。
もっとできるようになりたい。何かを得たい。
無意識のうちにそう思っている。

そうするとやっぱり、休息や余白といったニーズを常に軽視してしまう傾向にある。

成長というニーズの根本には、
「何もできない自分には価値がない」
「成長しないといけない」
という物語が存在していて、
やっぱりその呪縛からもう少し自由になりたいなという気持ちはあるけども、

「成長」や「挑戦」というニーズは原動力になるし、ずっとずーっと私を形づくってきたニーズであることを思い出して、そこに愛おしさを感じるようになった。

今を否定することなく、成長というニーズも満たせるように探っていきたいな。

自律

自律というニーズも、最近強く感じている。
自分で立たなければ、という気持ちはなぜこんなにも強いのだろうか。

探求

今回の合宿で満たされたニーズとしては、「探求」も大きい。

みんなでみんなのニーズを満たせるように模索してみたり、
誰かのニーズについて探求してみたり、
全てのニーズを大切に扱うためにはどうしたらいいのか考えてみたり。

一見困難に思える願う世界への道のりも、
誰かと一緒に探求することでこんなにも楽しく取り組めるのか。

一緒に探求してくれたみなさん、本当にありがとう。

ではでは、今回はこの辺りで。
リトリートを経て考えた、私の生きたい世界観についてはこちらに↓

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