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なぜ、わたしは旅に出るのか

ーーなぜ、わたしは旅に出るのだろうか。

今、私の海外旅第2章が始まろうとしている。

第1章は、カンボジア・タイ・ベトナムを巡る24日間の旅だった。
精神不調やら体調不良やらでかなりしんどかった。苦しかった。海外旅向いてないな、とも思った。特にボランティアとかホームステイに関しては、怖くて怖くもうやりたくなかった。

なのに私は今、再び成田空港の国際線ターミナルに向かっている。
次の行き先は主にヨーロッパ。今度は28日間の予定だ。もうやりたくないはずの住み込みボランティアもなぜかやりにいく。
なんでわざわざ苦しい事やるの!?と自分でも思う。

ーーなぜわたしは、それでも旅に出るのだろうか。

旅をする理由なんて、人それぞれ。

まだ見ぬ景色を見たい人、
チャレンジしたい人、
世界中の人々と交流したい人、
自分を見つめなおしたい人、
リフレッシュしたい人、
とにかく日本から飛び出したい人、
友達との思い出づくりをしたい人、、、

ーーじゃあ、わたしは?
ーーわたしはなぜ、旅に出るのだろうか。

それはきっと、世界を好きになりたいから。

旅の最中だけで言ったら、楽しい時よりも苦しい時の方が多い。
綺麗な景色は好きだけど、いくら珍しくても、感動度合いは普段の夕焼けと大差ない。
人との交流も好きだけど、話しかけるのは苦手なのであまり実現しない。"お世話になってる"感覚になった途端苦しくなるから、心地よい距離感を保てることはかなりレア。
海外になんて行ってしまったら、日々生きるだけで精一杯。怖くて不安で楽しむ余裕がない。ストレス耐性が強くないので、苦しさが楽しさをゆうに上回る。
正直向いてない。

でも、旅を終えて日常に戻ってきてからの世界の見え方の変化が、愉しくて仕方がない。

旅に行って帰ってくる度に、世界が立体的に見えてきて、深みが増す。

なんでもない日常が、尊くなる。
地形、気候、歴史、文化の奇跡のような積み重なりで今ここの日常があることは"知っている"。それを奇跡だと"実感"できるのが、旅から帰ってきたとき。奇跡を奇跡として不思議がるようになる。
私にとっての当たり前が世界にとっての当たり前じゃないことに気づいて、
肌に感じる風、
窓の外から聞こえてくる子供の声、
駅前の喧騒、
家々の間から覗く陽の光、
友人や家族と共有する時間、、
私を取り巻く世界のひとつひとつが愛おしくなる。

見ず知らずの世界との距離が、近くなる。
農家さんと一緒に生活をしたら、生産との距離が近くなった。
日本各地に知り合いができたら、どの地域のニュースにも関心を持つようになった。
コーヒーの生産国に行って、コーヒー豆について少し詳しくなった。
東南アジアに行って、戦争や植民地について調べてみようと思えた。
異国の地に滞在する恐怖と不安を知って、訪日観光客に優しく接しようと思った。
思いを及ばせることのできる範囲が、ぐっと広がった。

自分が好きな物事を、再確認する。
車窓から見える風景が好き。
生活と結びついた干潟が好き。
静かな森と渓流が好き。
移り変わる空が好き。
コーヒーが好き。
パンが好き。
ビールが好き。
カフェが好き。
本のある空間が好き。
ひとりで決めるのが好き。
友達と分かち合うことが好き。
仲間とプロジェクトを進めるのが好き。
好きな物事を自覚すると、自分をもっと大切にできるようになる。
好きなもので溢れているこの世界を、もっと大切にできるようになる。

ーーなぜ、わたしは旅に出るのか。

世界を好きになりたい。
世界を、わたしを、大切にしたい。

だからきっと私は、旅に出る。
怖くて不安で泣きながらでも、旅に出てしまうのだ。

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