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対話って何だろう?

2022年12月2日。
2023年春の未来塾に向けた焚人対話。
で思ったことのメモをつらつらと。

対話は、自分とつながる通路を開く
自分に呼びかける。観察する。
NVCでやったリフレクションは、目の前の相手のそのプロセスをサポートしてるのかも。
問いを投げかけることも。その人に対していろんな面からスポットライトを当ててみること。

休学期間も、自分との対話の連続だったかも。
何が嫌?何が楽しい?何を選びたい?

波紋。
自分とつながって、表現したくなったものをその場に出す。受け取りたいものを受け取りたいように受け取る。共鳴する。

「伝える」じゃなくて「表現する」ことがやりたい、て最近よく思う。
表現することが人生の命題かもってぐらい。
生き方で、表現していきたい。
それで誰かに影響を与えることができたなら。それが私にとっての生きてる実感になる。
影響し合う関係性の中で生きること。
世界と関係を持つこと。そのつながりに自覚的になること。

未来塾の焚人(スタッフ)をするおもしろさのひとつは、自分の「表現」の先を見れること。自分が表現したこと、未来塾が表現したことを、どう受け取ったのか教えてもらえる機会が多いから。

焚き火を囲むとき、電話するときに対話しやすいのは、相手の反応が見えづらいからかもしれない。相手の反応を気にせずに、自分が置きたい言葉を置くこと。

言葉だけじゃない、その場そのものが対話。共創されるもの。
ナラティブ研究の世界観も、そういうこと。研究でも対話という場で生み出されたものを丁寧に表現したい。
言葉だけ拾って、誰かが解釈して、一般化するものじゃない。

普段の「対話」とは違う、「未来塾的対話」。
目的とか方向性のない場。

それが、なかなか未来塾の外側に説明できない。
わかりにくい。
ということは価値にならない。
説明するには、自分とつながった先の目的を設定する必要性がある。
「教育」的な尺度って、方向性が存在するものなのかもな。

わかりやすく説明すると取りこぼされるもの。
それが、未来塾たらしめているかもしれない。
けど、わかりにくいから伝えられない。

結局、
主催がなぜやっているのか、
参加した人がどう感じたのか、
具体的なストーリーを見せていくことが近道なのかもしれない。
一般化することで取りこぼされるものを表現するには。

一般と具体のバランスをとること。

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