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『今、どこにいる?』  〜mystory1章〜

17年前、私はとある高級マンションの最上階。まだ出産して間もない赤ちゃんと二人。
まだ帰宅していない主人に気がついた。
朝4時。
授乳しながら夜が明けた。
ドキドキしながら車を走らせ、後部座敷にはまだ出産して一ヶ月の息子をチャイルドシートに乗せて、オープンして半年の主人の経営する飲食店の駐車場に来ていた。
妊娠中 お腹の中の男の子の名前を決める場面でも心ここにあらず。
主人とは深い話が何もできない、心が通い合わない妊娠中を過ごした。

その朝やっと理由がわかった。
2004年1月。産後二ヶ月から別居が始まった。
その前の夏、主人は大型飲食店をオープンしアルバイト10名従業員3名。
メインバンクは信用金庫ではなく、地方銀行。
創業一年目、一店舗目から株式会社にした。

理由は主人の父親はある大きな企業の社長だったからだ。
一人息子の主人はその父親に会社を作ってもらった。

主人と出会ったのは私は大学4年の2月。
卒業前の一時期アルバイトで飲食店に一ヶ月だけお世話になったのだが、急にそこに居たまだ当時アルバイトをしていた主人に突然『結婚しない?』と言われたのだが、額に汗して一生懸命働く姿はとてもかっこよく、白いシャツがよく似合っていた長身の彼は『少し田舎臭い顔をしてるけど可愛らしいな』と思っていたので、急なプロポーズに悪い気はしなかった。

その後4月には私は当時就職が決まっていて住宅の営業マンになった。
スーツにハイヒール、営業で重たい資料をたくさん持って働くのは嫌いではなかった。
むしろ未だに住宅の営業は労働環境さえ良いなら戻ってみたい職種の一つだが、当時毎日24時を超える帰宅の日々でその時付き合っていた当時の彼のもとに逃げるように翌年結婚してしまった。

2000年の5月、当時まだ24歳だった。

今考えれば世間知らずの夫婦の出来上がりだった。
周りの学生時代からの友達は夢中で仕事をしている時期。

『結婚と共に仕事を辞めるべき』という主人の言葉をそのまま鵜呑みにしてしまった。
当時アルバイトだった主人の収入は16万円。

生活してみたら全く足りないことに気がつき、会社員時代の貯金もすぐにそこをついてしまった。

今考えると、浅はかなまま結婚し出産してしまったと思うが、当時は金銭感覚も社会性もまだまだ未熟。
結婚と同時に夫婦喧嘩が始まった。

急に社会からも離れ、話をするのはスーパーのレジの人のみ。四角い部屋の中で一人。時間だけはぷらんとあり、お金はない。
アルバイトをすることも考えたが主人に世間体が悪いと禁止された。
結婚したことを本当に後悔した。

当時は今振り返ると少し鬱傾向にあったと思う。

ほとんど勢いで結婚して、仕事を辞めてしまったので何か資格でも取ろうかと『行政書士』を目指して勉強を始めたりもした。
学生時代、経済学部にいて民法や商法は真面目に取り組んでいたので、『行政書士』の勉強はより深く学べて面白かったが、勉強をしていると主人に馬鹿にされた。

『そんなのやって意味あるのぉ?』

多分彼は学生時代学ぶことの楽しさを味わわずにいたのだと思う。
そんな彼だから話をしていてもなにも深みのある話にはならなかった。

一緒にお酒を飲んでもたのしくない。
読書もしないそうだ。
それもそのはず、いわゆるお金持ちのボンボン。高級腕時計と高級車が父から与えられてしまったらしい。欲しいといえば買ってもらえるそう。

『学ぶこと』が特に必要のない人だったのだ。

魚の釣り方の楽しさ経験することなく、魚が与えられてしまったのだろう。

こういう人の妻になってしまった。その絶望で25歳の一年はただただこのまま一生一緒にいられるかどうかの不安だけが募り、日々暮れていく夕陽を見ては友達に相談できずにいた。

ただ、唯一相談できたのは母だった。
結婚を猛反対していた母からは
『結婚してしまったのだから、もう少しがんばれ』と離婚しないよう なだめられていた。

忘れもしない2001年9月11日。NYのセンタービルに大型の飛行機が突っ込んで煙を黙々と上げている。史上最悪の『アメリカ同時多発テロ』
あの日も離婚したいと母にじわじわと相談していた日だった。
実家のTVをつけると見たことのないような映像。
そう、たくさんに人の命が奪われ そこにあった経済の中心の象徴的な建物がたくさんの命を巻き込みながら崩れていったあの事件だ。
私の記憶にはあのあたりから完全に離婚したくてたまらない時の記憶と完全に重なる。幸せな家庭がたくさんの悲劇にまきこまれるように消えていき、世界が悲しみに包まれた。

それでも私の目の前の現実は何も変わらず、自宅に帰ればただ飲んで寝るという生活を繰り返す主人がいた。夜中に帰宅してくるので夜中12時ごろに食卓を整えていたが、趣味も特になく人とのつながりも絶ってしまっていた私は本当に生きた心地がしなかった。

そう、私は当時空っぽだった。

誰のために、何のために生きているのか全くわからない年月を過ごしてしまっていた。
それを埋めるように主人と喧嘩をし、結婚生活も精神状態もどんどん崩壊していった。

でも それが一気に私の中で解決していった。
2003年27歳の春、実は妊娠したことがわかった。


続きはこちら💁‍♀️

https://note.com/chihiro_kawanaka/n/n6c20bb6f05f9

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