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誕生日に手紙をおくり続けるということ

こんにちは、チヒロです。

以前こんなツイートをしました。

先日、ついに劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンを観てきたんですが、隣のお嬢さんがすごい号泣してて感情移入しづらかったことを先にお伝えします。ですが、そのおかげで集中して観ることができました。

映画の概要はこちら↓

この作品は孤児で戦争に駆り出され、言葉も親も知らない主人公ヴァイオレットが上官ギルベルトに言われた「あいしてる」という言葉の意味を探していき、代筆業(自動手記人形:ドール)をしながら人の気持ちに寄り添い手紙を綴っていく愛の成長物語です。

アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の内容が
5分で分かる特別映像はこちら↓

この作品のアニメ第10話と連動して映画の冒頭に死期が近づく母親が幼い子どもアンへ50年間にわたって誕生日に届く手紙を代筆してもらいます。そのアンの孫が手紙を読み返すというシーンから始まるのですが、映画を見終えたあと無性に手紙が書きたくなって悶々としていたところ、あることを思い出しました。

毎日聞いている音声メディアVoicyパーソナリティのワーママはるさんが、以前お子さんにGoogleファミリーリンクで子ども用アカウントを取得して、そのGmailへ誕生日にお祝いメッセージを送るという素敵な放送回の記憶がよみがえりました。

ワーママはるさんのnote記事があったのででリンクします。

これならズボラな性格の私でもGmailで誕生日メッセージをおくり続けることができるのではないか!しかも思い出の写真を一緒に管理することもできるのではないか!

まだ小さい子どもに話し言葉で伝えるのは敷居が高すぎて現実的ではないし、声に出して伝えるにはちょっと恥ずかしい。

だったらGoogleファミリーリンクでアカウントを取得し、13歳になった時にアカウントごと渡すか選択させ、メッセージを読み返すことができるのは素敵なシステムだと思いました。

ただ、すでに長女は14歳(Googleアカウントあり)、次女は11歳なのでGoogleアカウント取得後3年間しかないことに気づきました…。

そこでもう一度、目的である「手紙をおくり続ける」ことにフォーカスしてみます。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンでは自分の死期を悟った母親が50年分の手紙を代筆してもらい郵便でおくり続けたのです。

時には8歳の君へ。
またある時は18歳の君へ。
そして20歳の君へ。

歳を重ねるたびに、その歳に合った言葉を選んで思いを綴り手紙をおくる。おくり続ける。恥ずかしくて口で表せない言葉も手紙なら書ける気がします。

そこで、いつ死んでもいいように、おくり続けることは可能なのか?

Gmailには予約送信があった!

はいはい、ありましたよ。使ったことないGmail機能が!

これで手紙をおくり続けることができる。もし道半ばで死んだとしても誕生日毎にメッセージを届けてくれます。50年分、いや、100年時代だから100年分の誕生日メッセージをおくることも可能です。

それと、Googleアカウントを遺族に譲渡し管理してもらえば、先祖代々のファミリーストーリーが永遠にバトンタッチされることも可能です。

Googleが倒産したり、Gmailサービスが終わらないかぎりは…。しっかりバックアップしないといけませんね。

素敵だと思いませんか?

ご先祖さまの子どもに宛てた「あいしてる」の手紙を読めるなんて。

***

ちょっと、むかしを思い出しながら誕生日の記憶を書きますね。

まず、誕生日という記憶の断片をつなぎ合わせる作業が苦手です。根っからのめんどくさがり屋なので自分の誕生日を忘れることさえありますが、こんな私でもかろうじて祝ってくれる人がいたから楽しく誕生日を過ごしてこられました。本当に感謝しています。

でも、前述したように記録は少なく、自分の記憶もあまりありません。

当然ですよね。頭の中の記憶なんてそんなものです。

自分の誕生日を自分で祝うことはあまりないじゃないですか。普通であれば「祝ってもらう」ものだと思います。

つまり、自分で記録するというよりは誰かが記録してくれることの方が多いと思います。いまは自撮りやセルフ・ブランディングが普通になったので「自分で祝う」のもありかと思いますが、私はやっぱり「祝ってもらう」方がいいかな。

なんでもある時代に生まれたから、家族に恋人に友人に、普通に誕生日を祝ってもらいました。

プレゼントやケーキをもらうことになんの違和感も感じず、それが当たり前だと思っていたのです。

そのときは嬉しいんですよ。オモチャやゲームやモノがすべて満たしてくれる。そんな気がしていたんです。

ですが、思い返してみると、もらってきた品々は残念ながら残っていません。さらに何だったかさえ記憶が曖昧です。

モノは不幸なことに忘れ去られ捨てられてしまう。
もちろん例外はあると思いますが。

残っているとすれば写真や手紙です。どちらも、なかなか捨てられない思い出です。

私は親から手紙をもらったことがありません。いや、あったかも知れないけど覚えていないと言ったほうが正解かな。興味はモノにフォーカスしていたので当時の私に手紙を書いたとしても捨てていたと思います。

他界した父との思い出といえば、よく本屋に連れて行ってもらったことが一番印象に残っています。父は読書が好きで毎日本を読んでいました。

いま思えば、語ることは少なかったけど、本(言葉や文章)を通じて何かを伝えたかったのかも知れません。親の背中をみて育ったせいか結局、私も読書時間が多い人生になっちゃいました。

いまでも子どもにとって親からもらう最大のプレゼントはモノでしょう。子どもは正直です。これは仕方ありません。

だけど、最後に残るものは手紙(言葉)や写真(動画)ではないかと。時が経っても色褪せない最高のプレゼントになるはずだと思います。

残る形で、なおかつ、めんどくさくない。

Gmailは、うってつけです!

まずは手始めにGmailで誕生日メッセージをおくってみて子どもたちの反応を見てみたいですね。たぶん塩対応だと思いますが…。いつの日か読み返してくれる日がくればそれでいいと思います。

モノは残らなくても、きっと言葉は心に残る。

誕生日に手紙をおくり続けるということは「あいしてる」の再確認です。

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