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躁鬱になったシンママが頑張った話

ひっさしぶりにnote開いた。私はここ最近病み気が続いていたが病み散らかし果てて躁っ気が強い気がするので少し書いてみる。

私自身なんでこんなにしんどいのか自分で理解できない日々が続いていた。
まあ起きた出来事に対してはもちろんいろんな感情が出るし自分の無知さを悔やむこととか自分を責めることしかできなかったここ1年だったんだけど

周りのみんなに本音を言えるタイミングがあって全て話てみた。死ぬほど勇気を出して。一人で抱えて死のうかなと思うほどだったことを口に出してみた。

そうするといろんなことが明確になって。

そしていろんな人が私を助けようとしてくれることや大事だと思ってくれること、信頼してくれていることを知った。

私は必要とされるんだなと、シンプルに思えたのが嬉しかった。


あと自分の思考や発言にはとんでもない気力というか魂が宿っていて、自分がこうだと思った風にことが運ぶことが多いこともわかった。

だから、こうしたいとかこうなりたいとか思い描くのは目標達成するにあたってあながち間違いではないんだと思う。


私は自分が人に裏切られているということを理解できなかった。

理解したくもなかったし理解する気もなかったんだけど。

多分私が躁鬱になった一番の理由はこれだなーと思った。


自分や子供を差し置いて、人のために動いたことがこんなにも反動的に自分に返ってくるなんてビックリとショックが大きすぎて息ができなくなった。

人のために動くということも一種のエゴで。
良かれと思ってやることが必ずしも誰かの良かったことにはならない。

良かったことだったとしてもその人は良くなるが自分は何も残らなかった。

人のために自分を犠牲にして何かをするっていうことこそが本来の人への接し方だと思って生きていたが

それで自分が悲しくなったりキャパオーバーしているようじゃダメだと気付いた。

自分が抱えられる、守れるものなんて本当に両手分くらいしかなくて
どう考えてもそれは今二人の愛する子供達で

他の人を助けてる余裕なんてどこにもないから

まずは自分と子供達のことを考える

というような当たり前の思考回路ができなくなっていたのが
ようやく正常になった。


その感覚を取り戻せただけでまだ生きる意味はあるかなと。


この無駄な責任感があってお人好しで
困ってる人が放っておけない性格。

今回の件でものすごく傷ついたけど

でもどんな裏切り方されたってどんな結果になったってどんなにバカって言われたって、私は自分の生き方が好きだしこれでいいと思ってる。

騙すより騙される側で良かったと。

裏切るより裏切られる方がよっぽどマシだと。

要領良く頭良く生きられないけど
よっぽど自分らしく胸張って生きれてるなって実感できた。

自分のことも少し好きになれた。

でも迷惑をかけた人もいるから
その迷惑をかけた人たちと今回の件に一ミリも関係のない愛する我が子のために。

また生きてみようと思う。


芯はぶらさず、でも自分らしく。


シンプルだけどとっても難しい。


今日も一日平和でありますように

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