【銭湯哲学】銭湯の非日常性を守るため、私はホーム銭湯を持たない
銭湯やサウナ界隈でよく口にされる言葉、それが「ホーム銭湯」です。
銭湯ファンであれば、ホーム銭湯を持っているというのが割と常識なのかなと感じています。
界隈では、「昨日、〇〇っていう銭湯に行ってきた!」「あ、そこ私のホーム銭湯なんだ」「あなたのホーム銭湯は?」といった会話が繰り広げられています。
銭湯歴もうすぐ2年、周囲の人にも勧めるなど、銭湯にどっぷりハマっている私ですが、私には「ホーム銭湯」と呼べる場所がありません。
というより、あえて持たないようにしています。
今日はその理由について、語りたいと思います。
今は、ホーム銭湯もたない主義ですが、過去にホーム銭湯を持とうとした時期がありました。
中野駅の近くに、「高砂湯」という銭湯があります。
ここは、空と煙突が見える露天風呂と水風呂がある素敵な銭湯で、脱衣所も清潔感があってとても好きです。
一時期、仕事帰りに高砂湯に週2くらいで通っていました。
しかし、通い始めてから気づいたのです。
「あれ、どんどん銭湯のありがたみが減ってきてないか…?」
そう、週末も含めて、週2~4で銭湯に通うと、むしろ銭湯が当たり前になってきて、銭湯に対するワクワク感やウキウキ感が薄れてしまったのです。
定期的に同じ銭湯に通ったことにより、非日常だった銭湯が日常になりました。
もちろん、それ自体悪いことではないです。
私の以前の投稿でも、銭湯は「日常の中の非日常」という話をしています。
銭湯は、日常にも、非日常にもなり得るのです。
私は、銭湯のありがたみやワクワク感をいつまでも感じながら銭湯に行きたいなと思いました。
それからは、週末の時間のあるときや金曜日の仕事終わりに、その日の気分で、いく銭湯を決めて行くようにしています。
最近は、銭湯開拓期(ひたすら新しい銭湯に行っていた時期)に見つけた、「あの銭湯よかったな」という銭湯にもう一度行ってみるということをしてます。
頻度としては、だいたい週1~2くらいです。
平日は、家のお風呂にゆったり浸かることにしました。
最近は、酒粕風呂を嗜んでます。
銭湯ファンであっても、ホーム銭湯を持たない人もいるんだよというお話でした!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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