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銭湯千裕の風呂マガジン

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東京を中心に、銭湯旅日記、銭湯の魅力、銭湯コラムや豆知識を発信します!【銭湯サイト】https://sentochihiro.tokyo 【Instagram】https://i… もっと読む
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#銭湯検定

銭湯を裏で支える職人たち

銭湯では、大量の水を沸かして、最適な温度を長時間維持するために、独特な設備が多く、裏では職人たちが活躍しています。今日は銭湯の裏側についてご紹介します。 煙突屋 銭湯の煙突 煙突の設置、メンテナンス、解体などの工事を請け負うのが煙突屋です。煙突は、薪や重油を使うため誰にでも扱えるものではありません。 煙突掃除のやり方も独特で、体にゴザや麻袋を巻きつけて体を回転させながらほうきで煤を落として行きます。 釜屋 銭湯の釜場(出典: https://karasuma

銭湯雑学まとめ

これを知ってたらあなたも銭湯マニア?な雑学特集です! 石けんの歴史 お風呂には欠かせない石けんですが、現在のような石けんが広く使われるようになったのは明治時代からです。 江戸時代は、一般の人々はヌカなどを使っていました。 石けんの元祖は、「シャボン」です。シャボンの由来は、スペイン語「Xabon(Jabon)」が訛ったポルトガル語の「Sabao」から来ているという説が有力です。 16世紀のヨーロッパでは、石けん工業が最盛期を迎えており、一方日本ではポルトガル船が種子

銭湯で出会えるレトロ風景

今でも、昔ながらの銭湯に行くと、普段はあまり見かけないレトロなグッズたちが現役で活躍しています。最近では、レトロなものがかわいいと言われたりもするので、ぜひ昔ながらの銭湯に行ってレトロを感じてみてください。 今回の記事では、銭湯におけるレトロ風景・グッズを紹介します。 のれん のれんは、東京では短く5つに分かれており、関西では長く2つ〜3つに分かれているという特徴があります。 この違いは建物の構造から来ています。 東京の銭湯は、のれんをくぐると、広い玄関スペースがある

広告収入で富士山を書く?銭湯における広告システム

銭湯でよく見かける富士山の背景画は、広告収入を元に描かれていたという歴史があります。 また、「ケロリン」と書いてあるプラスチックの桶も、広告です。 この2つについて紹介します。 富士山の背景画誕生秘話 富士山の背景画は、大正時代の東京で生まれました。東京千代田区の猿楽町にあったキカイ湯が大正元年(1912年)に増築することになり、2代目の東雄三郎さんのアイデア壁に描いたら子供が喜ぶのではないかということで実行されました。 ちなみに「キカイ湯」というのは、当時では珍しい汽船

独特な銭湯の建築様式

銭湯には、独特な建築様式があります。ひとつひとつ見ていきたいと思います。 宮造り 宮造り銭湯有形文化財の燕湯 関東大震災後に、宮造りというお寺のような外観の銭湯ができました。関東大震災で多くの銭湯を焼失した東京墨田区で、銭湯の建設依頼を受けた津村亨右氏は、宮大工の技術を持っていたので、多くのお客さんにきてもらうため、今までにない銭湯を建てようとなったのがきっかけです。 それが評判を呼び、東京に次々と建てられました。 宮造り銭湯の屋根は、唐破風(からはふ)になってお

銭湯近代史〜大正から昭和の銭湯〜

弥生時代から見てきた銭湯の歴史も、いよいよ昭和まで来ました。江戸で発展した銭湯がどのようにして今の形になってきたのかというお話です。 タイルとカラン登場!明治時代は、木で作られていた銭湯でしたが、現代のタイル張りのものが初めて登場したのは、大正10年(1921年)のことでした。 タイル張りになったことで、掃除が楽になり、衛生的にも改善しました。 また、大正時代までは、お湯が出てくる蛇口が付いておらず、上がり湯を風呂から出る前にかけていました。 昭和2年に、押すとお湯

ペリーにディスられ混浴を禁止〜明治時代の銭湯〜

これまでは、江戸時代までの銭湯の歴史を見てきましたが、ここからは明治以降の銭湯の歴史を紐解いていきます。 外国人から見た日本の銭湯明治になり多くの外国人が来訪するようになりました。日本の銭湯文化を見た外国人は誰もが驚いたそうです。 オランダ人医師のポムペは、「日本に於ける5年間」で銭湯文化に対し好意的な記述をしてます。ただ、湯の温度が高すぎることと入浴時間が長すぎることについては、体に悪いと述べており、風呂から上がった日本人を「ゆでた海老」と表現しました。 幕府の海軍

移動式銭湯に水上銭湯。江戸の風呂ビジネスいろいろ

江戸時代は、銭湯の発展とともに人々は様々な形で風呂を楽しむようになりました。 今回は、様々なお風呂の形式とそれに紐付くビジネスを見ていきます。 江戸時代の様々なお風呂(出典: http://www.mizu.gr.jp/ ) 据風呂据風呂は、一人用の風呂桶の下部に焚き口がついて、直接火を焚いて温める風呂です。 コンパクトでどこにでも据られることから、据風呂と名付けられました。 主に個人宅で普及しましたが、公衆浴場でも使われていたという記述があります。 鉄砲風呂鉄砲風呂

江戸っ子と銭湯の深い関わり

銭湯文化がすっかり根付いた江戸時代。中でも、江戸は銭湯の発展が著しく、今でも東京には古くからある銭湯がたくさんあります。江戸で銭湯が発展したのは、俗に言う「江戸っ子気質」が影響していたのではないか、ということについて書いていきます。 江戸時代(1863年)創業の銭湯「金春湯」 けんか 江戸っ子は、気が短く、「火事と喧嘩は江戸の華」と呼ばれるほど喧嘩が日常茶飯事でした。 そんな江戸っ子の喧嘩と銭湯を描いた川柳があります。 大げんかふんどししたが湯番なり 湯番とい

江戸の銭湯は混浴や風俗が当たり前だった?!

現在は、男湯と女湯で別れるのが当たり前ですが、江戸時代初期は混浴が当たり前でした。この記事では江戸時代における風俗銭湯と混浴の文化について紹介します。 銭湯で風俗「湯女風呂」江戸時代初期に、「湯女風呂」という今でいう風俗的な風呂屋がありました。 湯女風呂では、女性が男性の垢をかき、髪を洗い、酒を接待し、枕を共にしました。 「慶長見聞録集」には当時の湯女風呂の様子が描かれています。 「湯女」の由来は、こちらの記事で紹介した、「施浴」で、浴室・温室を管理する僧侶のことを「湯

銭湯文化が根付いた江戸時代。最初はサウナが主流だった

これまで銭湯の起源を見てきましたが、庶民が本格的に銭湯を利用するようになったのは江戸時代からと言われています。 江戸最初の銭湯は?江戸最初の銭湯は、徳川家康が江戸入城した翌年1591年に、伊勢与市という人物が建てたと記されています。 場所は、日本橋です。労働に疲れた人々の利用を見込んで建てられたと考えられます。 江戸で銭湯が発展した要因について、西沢一鳳軒の「皇都午睡(みやこのひるねこうとごすい)」によると以下の3つが考えられます。 1つめは、裕福な豪商が家に

銭湯の起源は卑弥呼の時代から?

魏志倭人伝に描かれた日本風呂文化の前身となった慣習一般的には江戸時代に普及したと言われている銭湯ですが、その起源は、3世紀、卑弥呼の時代まで遡ることができます。 3世紀ごろの日本を描いた「魏志倭人伝」には、神に祈りを捧げるときに髪と身体を洗い身を清める行為「禊(みそぎ)」の姿が描かれています。 魏志倭人伝といえば、卑弥呼の時代ですね。 銭湯のようなお風呂文化は、こうした文化的背景があったからこそ、日本人に浸透したと考えることができます。 仏教文化と公衆浴場その後、日本

銭湯検定3級を受けます

こんにちは!銭湯千裕です。 先日、たまたま「銭湯検定」なるものを発見し、これは受けるっきゃないということでただいま勉強中です!笑 今回は、銭湯検定について紹介します。 銭湯検定公式サイト 銭湯検定とは銭湯検定は、社団法人日本銭湯文化協会が実施している試験です。 受講するメリットは、銭湯文化に関する知識が深まる、、以外には特になさそうで、問題形式や何らかの資格として書けるのかといったことも不明な謎に包まれた検定となっています。 現在受けられるのは、3級と4級のみのようで、こ