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絶えず日々挑戦

#自己紹介

 今更ながら、自己紹介……
 なんだか恥ずかしさしか感じないが、もしかしたら面白いこともあるかもしれないので、本日は私のことを紹介したい。

人生の起点は応援団

 小学生の頃から、とにかく真面目に一直線。
  恥ずかしながら、一人目長女A型気質を爆走している学生だった。
 クラブ活動と言えば部長。
 クラス活動と言えば委員長。
 そんな私はいつからか「ひとまず○○長」と付くものを制覇しようと考えた。

 そこで小学校6年生の運動会で、応援団に立候補して応援団に入った。
 応援団になったからには、やはり応援団長を狙おう。
 そう考えた私は、もちろん立候補して応援団長の座を狙った。

 しかし、ここで私は初めての敗北を知る。
 「同じ名前のちひろちゃん」が投票数で私より多く票を勝ち取り、応援団長に選ばれたのだ。

 小4から副委員長、委員長、運営委員長、副部長、部長と総ナメにしてきた私にとって最早勝てない立候補や選挙などないと思っていた。
 しかしそれは、自分を囲む小さなコミュニティーでのみ採用されてきた結果であり、こと応援団に所属する面々は私の親しい間柄の人間が少なかった。

  そう、私は友人の数で投票に負けたのだ。

 友達が多いとか少ないとか、それまで深く考えたことのなかった私は、このときとても衝撃を受けた。
 友達が多い方が勝つってことが、この世にあるんだな……と。

 もちろん応援団の活動は誰にも負けないくらい全力で取り組んだが、応援団長の座を射止めることができなかったことへの悔しさは、その後の私の考え方を大きく変えることになる。

目標は学年全員

 友達が多いことが後の自分の力になると知った私は、中学校に上がるとき自分の考え方を改めることにした。

 というのも、応援団長云々の後、いろいろとあって私は数ヶ月の間、クラス内のいじめのターゲットになった。
 なぜか机に入れられている「死ね」というメモ。
 ひそひそと笑いながらからかわれる日々。
 一緒にグループを組みなさいという指示で、必ずハミゴにされる。

 突然始まったいじめにとまどいと、ショックが隠せなかった。
 とはいえ、いじめられている事実を伝えることも悔しくて、親に黙ったまま小学校卒業までを耐え抜いた。
 きっとココから卒業したら変わるだろう。
 そう信じて卒業まで我慢した当時の私の写真はとても暗く、卒業アルバムはあまり開きたくない。

 というようなことがあり、私は中学入学とともにとある決断をした。

 「学年全員の人と仲良くなろう」

 立候補しても、友達の数で負ける。
 味方が少なければ、助けてくれる人がいない。
 私は、自分で味方を作る必要があるんだな。
 小学校卒業と同時に、私はそう結論を出した。

 当時、グループに所属して仲良くするといった感覚がなく、誰とも分け隔てなく仲良くして過ごすスタンスだった私は、いじめをきっかけに考えを変えた。
 まずは、自分のフィールドを作る。
 そして、さらに仲間を増やす。
 根無し草ではいけない。

 お陰で、クラブ選択で演劇部に入部した私は、クラブでできた同級生との絆を深めることにした。
 というよりも、クラブ活動を優先した結果、自然とクラブの友達と一番仲良くなった。

 よし、これで私の戻る場所はできた。
 次は知り合いを増やしていくしかない!

 と考えた私は、当時180人くらいいた同級生全員に話しかけることにした。
 男子も女子も関係ない。
 チャンスがあれば声を掛ける。

 おかしいやつと思われても仕方ないと思いつつ、私は中学卒業までに学年の全生徒と話すことに成功した。
 どんな派手な子にも声を掛けたため、学年で私の名前を知らない人はいなくなった。
 金髪に鼻ピアスの男子とも話をした。
 しばらく面白がって、放課後に喋り尽くしたこともある。

 お陰で、委員長体質のくせに人見知りという性格を、無理矢理塗り替えることができた。
 何を隠そう、私の父は元暴走族の総長である(きっと反面教師笑)。
 このとき私は、やればできると満足した。

 そして、その満足と共に「○○長」を目指す活動を辞めた。
 学級委員長も、何度もやれば飽きる。
 応援団長の座を目指すことはできないままに終わったが、私は中学時代のこの挑戦のお陰で、今も変わらず「全世界にいる60億人のうち、出会えたご縁を大切にしよう」と思えるようになった。

  人生では、出会うことがないままの人の方が多い。
 だったら、一人でも多くの人と出会っておく方がいいのではないかと思う。
 だから今も、何か集まりがあれば率先して色んな人に声を掛けるようにしている。

 生涯で一度しかないチャンスかもしれない。
 そう思えば少しばかり重い腰も上がる。
 嫌われようが変だと思われようが、そのときだけと思えばどうでも良くなる。
 それよりも、出会えたご縁の方が大事である。

卒業しても続く挑戦

 自分では自覚がなかったが、私は知り合った人にあだ名をつけていく癖があったようだ。
 今ではいじめと言われても過言ではないが、高校時分、後輩(しかも違うクラブの)男子3人に「ピン・ポン・パン(ナ)」と名付けた。
 ただ3人の名前を覚えるのが面倒だっただけ……のような記憶だが、お陰でその場にいた全員が、すぐ3人の後輩の顔と名前を覚えた。

 彼らは卒業の時まで、ピン・ポン・パンナと私と私の友人達から呼ばれたが、別れのときまで彼らは嬉しそう呼ばれてくれた。
 卒業の時に「先輩のお陰です!」とでも言わんばかりだったので、私の名付けは上手くいっていたようである。
 今でも3人の顔は覚えている。高校生活は彼らもいたことで、とても楽しかった。
 とはいえ、本名は思い出せないので酷い先輩である。

 さて、そんな私が専門学校に入ってからも、その名付け癖が直ることはなく、次々にあだ名を付けていった。
 が、誰からも怒られたことはない。
 同じゼミでゼミ長になった彼に対し「○〇(名字頭文字)チョー」と勝手に呼んでいたら、そのままクラス内に広がった。

 また、兄貴風をふかせていた2歳年上の人を「兄貴」と呼んでいたらそれも広まった。

 ちなみに夫のことも勝手に下の名前で「○○ちゃん」って呼んでいい? と言ったせいで、クラス内に広まった。
 勝手に名付けて、勝手に呼び続け、結果みんながそのあだ名で呼び続けるという……よく考えたら迷惑なことをしていたかもしれない。

 夫からは未だに「お前は勝手に人のあだ名を決めて呼んできた変なやつだった」と言われる。
  諦めろ、それがお前の嫁である。

 といった調子で、例によってクラス全員と話す機会を手に入れたのだが、その後もこの挑戦は続いた。
 就職後も研修などで出会う機会があれば、すぐに話しかけた。
 お陰で、社内でもたくさんの人とパイプを作ることができた。

 清掃員の人にも声をかけて仲良くなってもらい、掃除の仕方を教えてもらった。
 受付の警備員さんにも、屈することなく話しかけ続け、名前を覚えてもらい、困った時には個別に助けてくれる程度の関係を気づくことができた。

 運転手さんに至っては、暇なときに部屋を覗いてはダラダラと喋りこんで仲良くなってもらった。
 全ては困った時に助けてもらうためである。
 ……と書くと悪そうに聞こえるが、自分はもちろん、仕事面でも必ずこの繋がりが生きてくる。
 ひいては、関係者を救うことに繋がる。

 振り返ってみて、ここまで私が変わることができたのは、応援団長に選ばれなかったことではないかと思っている。

 あそこでもし団長に選ばれていたら、私は友達や知り合いを増やすことが重要だとはきっと思わなかった。
 けれど、それを気づかせてくれる結果をもらえたことは、本当にありがたいことだと感じている。

 今後も変わらず、人との縁を大事にしたい。
 それが私のモットーである。

そして今の私

 突然だが、私の好きなことは編み物である。
 とにかく毎日何かを編みたい。
 今では、365日編み物ができる生活が私の理想である。

 そんな私が退職するときに思っていたことは、「今度こそ、ありがとうと言ってもらえる仕事をしたい」だった。
 これまで、たくさんの言葉を投げつけられてきた。

 「いてまうぞ、コラ」「なめとんのかボケ」「お前覚えとけよ」……などの言葉を頂戴するのは日常茶飯事な時期もあった。
 仕事柄、感謝されることなどほとんどない。

 泣き叫ばれる、睨み付けられる、怒りをぶつけられる、そんな日々を繰り返す中で、どうか少しでも優しい記憶が残りますようにと願いながら、丁寧に気持ちに寄り添えるようにと職務に従事してきた。

 しかし、私が願いを込めようとも、お気持ちや考え方を変えることはなかなか難しい。
 それがとても歯がゆいと長年感じて過ごしてきた。

 だからこそ退職した今、自分の人生で1つくらい喜ばれることがしたい。
 そう思って立ち上げたのが、現在活動中の「Revival-Knit」である。

 Revival-Knit(リバイバルニット)は、様々な事情により、編めずに手元にある毛糸をご提供いただき、その毛糸を欲しいと思って下さる方へ届ける活動をしている。

 毛糸を提供する方は、編めずにいた毛糸を捨てることなく誰かに譲ることができ、毛糸購入者はリユース毛糸を格安で購入できるシステムとなっている。

 当初、毛糸と毛糸どうしの交換サイトができないかと考えたが、モノとモノの交換は難しいと感じ、またサブスク制度も検討したがそれも現段階では実現に至らないと判断し、今の形に落ち着いた。

 慣れないながら写真撮影の勉強をして毛糸を撮影し、画像加工についても学び、Instagramへの投稿の仕方についても本を何冊も読んだ。
 正解なんてないが、やってみるだけやってみよう。
 そう思いたって走り出し、今日でちょうど6か月を迎える。

 最初は友人1人が、絶対いけるよ頑張って! と励ましてくれ、1人の声援を頼りに走り出した。
  しかし、今では少しずつ輪が広がり「活動にとても共感しました!」「これからも利用したいです」という声を届けてくれる人が増えてきた。

 お陰様で0から始まった会員数もまもなく50名になり、毛糸の提供者も20名に到達する。
 まだまだ小さな活動だが、確実に広がっていて、ありがとうと言ってもらえることも増えた。
 私が欲しかった言葉をもらえるようになり、やっと言ってもらえた……と、はにかみ中である。

 編み物好きの私が、ただ趣味を広げ、何か編み物から誰かに喜ばれることができないかと考えた結果、本当に喜んでもらえている。
 ただただ嬉しい。

 正直なところ、中学生の頃より、これだけ人脈広げに躍起になっていたにも関わらず、未だに私は怖がりで人と話す度に少しドキドキしている。
 それでも、最初から嫌われているなんてことは絶対ないと信じて、どうにか活動を続けている。

 過去、ネットでのとある活動により、精神的に追い詰められるほど誹謗中傷を受けた経験もある。

 そのときの苦い経験を思い出すと、またあんなことが起こるのではないだろうか……と不安にもなるが、不安だけでは進めない。

 まだまだ少しずつ輪を広げ、たくさんの人に面白い活動だなと思ってもらえたら良いなと思っている。

 ですので。どうかこの記事を読んだ皆さん。
 私には優しい声かけと、声援をお願いします!"(∩>ω<∩)"


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