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一日一記事

それはそれは久方ぶりに投稿する。
これからまた、一日一記事、書くことを日課にしてみようと思っている。

絞り出す。

どこかで、こうして自分の考えや価値観を文字にすることを恐れている自分がいる。自分視点の考え方など、浅はかで自分なりの視点というものですら、信用ができないようになっている。

それは、至極漠然とした感覚で、価値観というより、自分の生き方や存在への不信感とイコールにも思える。

一度、すべてのこうしたコミュニケーションツールから離れた。アカウントも消して完全にやめるということまではしていないけれど、何も発信せず、一時は見ることもほとんどしなくなった。
それはそれで有意義だったと思う。氾濫している情報に思考が圧迫されない、自分の中に潜む虚栄心や承認欲求を突き動かされることもない。気分がずいぶんと安定した。

けれど、どこかで表現して人にさらすことを求めている人間がずっと続けることではない。一時の平安や自分と向き合う時間を作るためにはありだが、一切遮断してしまうことを続ける頑なさもなければ、その必要性も感じない。
ただ、怖い。なんとなく暇なときに、あんなこと書こうかな、こんな話もいいかな、などと考え付いた内容をいざ文字にしようとした瞬間、言葉が一つも浮かばない状態に陥る。最終的に、なんの話だったかもわからなくなる。

あれこれって、人と話すのが苦手としてきた私が、人に対して自分のことを離そうとした時と全く同じ状態だな。言いたいことが浮かんだ瞬間、消える。”何か”があったことだけは覚えているが、頭が真っ白になる。今自分が瞬間的に思ったこともすぐに見えないところへ行ってしまう。

話すことを恐れる、自分を出すことを恐れている、という自覚はある。ただの被害妄想・自意識過剰だと今はわかっていても、笑われるんじゃないか、怒らせるんじゃないか、傷をつけるんじゃないか、という恐怖に身動きが取れなくなる。ということだろうと、自分では考えている。

でも、人に働きかける、表現をするというのは、どうしたってそういったことはつきものなのだと思う。それが嫌なら意見や考えなど、一切言わないでそれこそ自分の人生全てにおいて指示待ち人間になるしかないが、表現を恐れるわりに私はそれができない。いやだと感じる。

であれば、やることは一つ。主張でも考えでも表現していくことだ。世の中にある意味喧嘩を売るくらいの気持ちで、自分の思いや考えに責任を持って、覚悟を養いながら出していくことだ。

それを続けることが、煩悩でがんじがらめの自分を少しでも解放していくことにもなる、と信じている。

一日一記事。まずは100日間続けることにする。

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