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「もっと自分を出したほうがいい」と言われてきた人生だった。


場面緘黙症。

幼少期のわたしは場面緘黙症だったのだと思う。

場面緘黙とは自分の意思と関係なく話せなくなる症状です。
人見知りや恥ずかしがり屋との違いは、「特定の場面で話せない状態が1か月以上長く続くこと」「リラックスできる場面でも話せないことが続くこと」です。入園や入学で新しい環境に入って、慣れるまでは口数が少ないことはよくあることです。しかし、人見知りや恥ずかしがり屋の子どもでも、学校に慣れて緊張がなくなれば話すことができます。場面緘黙の症状がある子どもは、家庭ではごく普通に話すのに、家族以外や学校で話せないことが続きます。不安症の一つとされています。

出典:NHKハートネット福祉情報総合サイト 場面緘黙Q&A 症状・原因・治療法について 


2年通った幼稚園。
わたしは友達ができなかった。
30年経っても覚えている、小さな頃の記憶。

家ではおしゃべりができるのに、幼稚園では全くおしゃべりができない。話しかけられても、首を縦に振り頷くことと、横に振り否定することしかできなかった。

外で遊ぶ時間は、みんなとわいわい遊具で遊ぶことができず、ひとり座って花を見たり、草をいじってみたりして時間をつぶした。ずっと、「早く帰る時間にならないかなあ」と思っていた。

本当は周りのみんなのように遊具で遊んでみたい。ブランコに乗ってみたい。だけど、「かして」が言えないどころか、みんなが集まっている場所に近づくこともできなかった。

先生が近づいて話しかけてくる――。
それだけでとにかく怖かった。

勇気を出して声をだしてみたら「○○ちゃんがしゃべった!!」と驚かれた。しゃべっている自分を見られることも、注目されることもとにかく嫌だった。

「引っ込み思案なんだね」
「人見知りだからしゃべれないのよね」


周りの大人たちにはそう言われていた。
「しゃべらない子」のレッテルをはられてしまった私は、さらにしゃべることが難しくなった。


しゃべれない劣等感との闘い

小学校にあがり2年生くらいから、徐々に友達としゃべれるようになってきた。最初は1人だけ。それが2人、3人...と増えていった。
それまでひとりで本を読んで時間を潰すだけだった休み時間に、友達と遊ぶことができるようになった。

それは私にとって大きな進歩だった。

一方で「先生」という立場の人への苦手さはどうしても消すことはできなかった。全く心を許すことができない。しゃべりかけられたら、友達の後ろに隠れて、逃げた。

4年生の頃、おばあちゃんみたいな先生に壁ドンされ、「なんであなたは話さないの。失礼よ。」と言われたことがあった。それがすごく怖くて、年配の女性が苦手になった。

うまくしゃべることはできなかったけど、私はちゃんと感じていた。いろんなことを。

自分の方が異常であることはわかっていた。

みんなは先生と仲良くおしゃべりができるのに、自分にはそれができない。自分でもなぜ、こんなにも怖いのか、わからない。でも、とにかく怖いのだ。できれば関わりたくないし、逃げたい。

自分がしゃべれないことに劣等感を感じていた私は、「どうにかしないといけない。しゃべれるようになりたい。変わりたい。」とずっとずっと思っていた。

勇気を出して踏み出した一歩

5年生のとき。
私はクラスの合唱曲のピアノの伴奏に挑戦することになった。ピアノは1年生から習っていて、周りの人よりは少しできるんじゃないか、という自信があった。それに、ピアノであればしゃべらなくても大丈夫。

私にとっては背伸びをしたチャレンジだったけど、自分が人より少し得意なことがあるということが背中を押してくれた。

当日、私は手に汗を握りながらもどうにかピアノ伴奏を終えることができた。達成感でいっぱいだった。周りから私を見る目が「しゃべらない子」から「ピアノが弾ける子」に変わったような気がした。

振り返れば幼少期のこの経験はすごく大きくて、その後、いろんなことに挑戦したい、できるかも、と思えるきっかけになっていった。この挑戦がなかったら、今私はどうなっていたかわからない。

「もっと自分を出した方がいい」

相変わらず「先生」という存在は苦手で、心を開いたことはなかったけれど、成長するにつれてなんとなく処世術は身に着けていくことができた。
当たり障りのない会話ならできるし、なんとなく先生が求めている行動も察することができる。

やがて中学生になり、学級委員や部活動の主将も務めた。勉強もそこそこできたほうだった。多分先生には「優等生」として見られていたと思う。
優等生、だけど記憶には残らない生徒。それがわたし。

勉強ができなかったとしても、可愛い気があって先生に気に入られる生徒に憧れる。きっと数十年経っても先生に覚えられていて、久しぶりに同窓会で会って、昔話に花が咲くんだろう。

その後、大学生活や社会人生活を過ごしている中で人から言われたこと。

「もっと自分を出した方がいい」

人一倍自分を出せないことに劣等感を感じていたからこそ、私はとてもこの言葉に敏感になってしまう。頑張っているつもりではあるんだけど、人生ってムズイですね。


表に立てる自分になれているのか?

数か月前、印象的な出来事があった。
とある場で、「実は私、引っ込み思案なんです。」と話すと「…え?本当に引っ込み事案の人はそんなに喋れないよ...?」と言われた。
相手が、何言ってんだこいつ…?という顔をしていたので、本心で言ってくれてるのだろうな、と思った。

(周りにはわたしが、引っ込み思案ではなく見えるの...?ああ、頑張ってきたな、私ーー。)
そう思って、泣きそうになった。

相変わらず、小さい頃のしゃべれない自分は心の中にいるし、どちらかというとおとなしい人、という印象を持たれることも多い。(声も低いし。)

ただ、時が経つにつれてそうじゃない自分、表に立てる自分、も育っていた。もちろん表に立つことが得意な人に比べたら、全然まだまだし、労力もかかる。

だけど確実に、わたしは少しずつ自分のなりたい方向に自分を育ててきた。

他人からみたら、それはそんなに重要なことではないかもしれない。
けれどわたしにとっては大事なこと。ずっとずっと抱えていた劣等感を、わたしは自分の力で解放できる。それはわたしが数十年かけて培ってきたもの。この人生の中の、学び。

今もできないことは多い。要領も悪い。けれど、結論、わたしはわたしで生きていくしかない。小さなチャレンジを積み重ねて、今より少しでもいい自分になる。その繰り返しでしかない。


わたしは、多分誰よりも劣っている。
だからこそ、やるしかない。

人から見えている部分は本当に氷山の一角にすぎない。過去のひとつひとつの経験から人はなりたっている。そのすべてを知り尽くすこと、ましてや同じ温度で感じることなんて限りなく無理に近い。
各々いろいろある、のだ。

だからこそ、ここまで生きてきた他人を理解する努力をしたいし、「頑張ってきたね」と、称えあいたい。むしろ、それ以外何かあります……?と思っている。

わたしは、自分と他人を比べることはあれど、落ち込むことはない。

わたしはわたしの課題に真摯に向き合う。
それだけなのである。

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