【短編小説】ある配信者
Twitterのフォロワー数は8500人弱。
これを多いか少ないかを捉えるかは人それぞれだが俺は結構満足している。
生配信をすればコメントに困ることがないからだ。
俺は他愛もない雑談配信から歌ってみた配信、たまに同じぐらいのフォロワーの配信者とボーイズラブ作品の朗読配信をしている。
配信開始から30秒、俺のルーティンはこうだ。
「あ、あ、聞こえてますかー?」
1分も経てばコメントがまばらについてくる。
『聞こえてるよー!』『今日もかっこいいね!』『大好きだよー!』
だいたいそんなコメントがつく。
ただ一つ困ったことがある。
配信開始から必ず1分30秒後。
ルザワ・ネーターという名前の奴からぽつねんと一言『いうさつり↑』というコメントがつくのだ。
このルザワ・ネーター。3分に1回、キッチンタイマーのように『いうさつり↑』というコメントを残す。最初は妙な荒らしかと思っていたが、ただ一言、3分に1回必ず『いうさつり↑』とコメントするだけであとは何もしてこない。他にコメントもしない。
TwitterのDM(ダイレクトメッセージ)は基本的に読むが返信はしないスタイルをとっている。なぜなら変に返信をして面倒ごとを起こしたくないからだ。
ルザワ・ネーターはご丁寧にも毎日決まった時間にDMを送ってくる。それもただ一言、『いうさつり↑』だ。
この意味のわからない言葉を毎日受信する我が身にもなってほしいものだ。最近は読むこともやめたため、ただ『いうさつり↑』のテトリスが組まれているに違いない。
ある日、いつものようにカフェでミルクティーを飲みながらTwitterを眺めているとルザワ・ネーターからDMが来ていた。
またいつものかと思い無視しようと思っていたが今回は内容が違った。
長文だったため表示するには中身を開かなくてはいけなかった。
億劫だが開く。
いうさつり↑
いうさつり↑
いうさつり↑
いうさつり↑
いうさつり↑
こんにちは。
ルザワ・ネーターと申します。
いつも配信、楽しみにして拝見しております。
こいつまともな文章書けるのか。
俺は読みながらそう思った。続きを読む。
私は都内に住む45歳の会社員、男です。
俺はその瞬間、ミルクティーを吹き出す。
あいにく客は周りにおらず、不審な目で見られずに済んだ。
45歳の男が俺の配信を見ている…?俺だぞ?仮にもこれがかわいい女の子の配信だったとしよう、それならわかる。仮にも俺、イケボ配信者だぞ?
こいつはそもそも俺の普通の雑談配信はともかくBL朗読枠にも顔を出している。どんな顔して聞いてるんだ?腐男子というやつか?いや男子って歳じゃねえだろ。
俺はその45歳のおっさんからもらったダイレクトメールを読み進めることにした。
このたびDMを送らせていただいたのは、端的に申しますとナグサさんとお食事したいと思ったからです。
いきなりなことで大変申し訳ないと思っています。どうか良い返事を待っています。
ナグサとは俺のハンドルネームである。
お食事をしたい?会いたいってことか?正気か?俺は思った。
無視しよう。これは明らかにやばいやつだ。45のおっさんが、BL朗読配信を聞いてるようなおっさんがまともなわけがない。会ったら最後、俺の貞操を奪われかねない。無視しよう。そう思ったがなぜか俺の心は2つに分かれていた。
どんなやつなんだ?
不思議と興味が湧いた。
好奇心が刺激したその瞬間、俺は返事を打っていた。
いいよ。いつにする?
やってしまった。送ったら最後、取り消し機能は使えない。
まあでも相手は男だし、これがバレたとしてもたいして炎上はしないだろうと思った。変な相手だと判断したら逃げればいいし、最悪配信のネタにできる。
ミルクティーを飲み干す頃、ルザワ・ネーターから返信がきた。
15日は空いてますか?
俺はスケジュール帳を確認した。
15日は午後から空いていた。
午後からなら空いてるよ
すぐにルザワ・ネーターから返信が返ってくる。
大丈夫です。渋谷で待ち合わせしましょう。時間は何時がいいですか?
俺は15時と送り、スマホをスリープモードにした。
今から謎のおっさんリスナーに会うのだ。緊張が走る。
15日の午後、炎天下も落ち着いていた。
渋谷、ハチ公の銅像の前で俺は昨日行った配信の感想をエゴサーチする。
昨日開催されたその配信は所謂凸待ちと呼ばれるもので、SkypeのIDを公開して視聴者からの参加を求めるものだった。
これが結構盛り上がった。相変わらずルザワ・ネーターは3分に1回『いうさつり↑』とコメントしていた。それを見て俺は、こいつ明日会うのによくやるなと思った。
時間が14時55分をまわった頃、妙な高揚感が俺を襲った。
どんな奴なのか。それだけが気になった。
ハチ公の銅像の前で辺りを見渡してみると若者ばかりで目立ったおっさんはいなかった。俺の隣に若い女が立つ。
俺はDMで今どこ?と送った。隣の女の携帯から通知音が鳴った。
ルザワ・ネーターからはただ一言『ハチ公前です』と送られてきた。辺りを見渡すがやはりおっさんらしき人物はいない。
「あの」
隣にいた女が俺に声をかけてきた。突然のことに俺は訝しむ。
女は顔は平凡だが髪がぼさぼさで夏なのに長袖のシャツを着ていた。
気になったのはその声だった。声優のような可愛らしい、俗に言うアニメ声と言われるような声だった。
「はい?」俺は答える。
「あの!な、ナグサくんですか?」
俺は頭が真っ白になる。身バレしたか?いや、俺はそれこそ顔の匂わせツイートこそしたことあるが顔出しはしていない。俺がナグサだと一眼でわかるわけがなかった。
返答に困っていると女はその特徴的な声で続ける。
「私です。ルザワ・ネーター」
また頭が真っ白になる。
俺のルザワ・ネーターはこんな人間ではない。いや俺のルザワ・ネーターってなんだ?
というかそもそも女じゃないか。
無視しよう。そう決めた。概ね、女じゃ会ってくれないだろうから男のフリをしたんだ。そうに違いない。
「すみません、人違いじゃないですか」
俺は声でバレないようになるべく変な声で言った。
「あっ」ルザワ・ネーターは言い淀む。「そうですか…」
さすがに良心の呵責が痛んだ。でもこうするしかないのだ。俺は将来大物になる。そんな人間が女リスナーと出会ってはいけないのだ。
「いうさつりの意味…。教えたかったな…」
ルザワ・ネーターのその甲高い声を聞き逃さなかった。
「いうさつりってなんですか?」
思考より先に言葉が出ていた。声は上ずっていた。
「あ、あの」ルザワ・ネーターはたどたどしく答えようとする。動揺が見えた。「大好きな配信者さんがいて、毎回コメントしてるんです。いうさつりって打って上矢印をつけるんです」
知っている。
「それになんの意味が…」
まるで難しいなぞなぞの答えがわかるような感覚に陥る。わくわくしていた。
「上矢印。これ、いうさつりって全部上の文字にすると愛してるになるんです」
俺は唖然とした。と同時にどこか恐怖を覚えた。
「直接、愛してるって言うの恥ずかしいから」
うっすらと頬を染める女になにもときめかなかった。それはルザワ・ネーターではなく一人の女だったし、残ったのは恐怖だけだった。
「い、いつも応援ありがとう」
俺は普段配信している声に戻して女に呟いた。
尻尾を巻くように踵を返し俺は走った。
俺は次からどう配信すればいいのだろう。
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