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オレンジの記憶【全3話】1

うっそうと木が生い茂り、獣さえも寄り付かない森の中に1軒の家があった。
そこに一人の男が世間から避けるように、1羽の不思議な白い鷹を相棒に住んでいる。
名はモートといい、一昔は高名なネクロマンサーで通っていた男だ。
ネクロマンサー。
それは霊界や死者とつながり、死者を蘇らせたり、死霊を操る魔法使い。
彼らはしばしば暗黒魔法を操り、ゾンビやスケルトンなどのアンデッドを使役し、その力は恐れられ、時に忌避される存在である。
世の中の喧騒を避けひっそりと生きている、この男を訪ねてくる物好きな輩は後を絶たない。
なぜなら彼は死者だけでなく、まだ生きているどんな魂とも交信ができる、特異なネクロマンサーなのである。

あらすじ

 霧が立ち込める山奥の細い道を、アッシュフォード家の一団がゆっくりと進んでいた。
 うっそうと茂る木々の間から、10月というのに、冷たい風が吹き抜け、僕たちの行く手を阻むかのように揺れている。

先頭を歩くのは、使用人である僕、マディだ。
心配と不安、そして少しの好奇心が入り混じった気持ちで周囲を見回しながら、そろりそろりと歩いていた。

その後にご主人のエドワード様と奥様のクラリッサ様が続く。

エドワード様は疲れた表情で杖を頼りに一歩一歩進んでいて、クラリッサ様は心配そうにエドワード様を支えながら、時折振り返って僕たちを確認している。

一団の中心には、病人を背負った屈強な用心棒のハンスがいる。

ハンスの顔には病人のために一歩も無駄にできないという覚悟が見て取れた。

背負われている病人はエドワード様とクラリッサ様の一人息子のルー様だ。意識を失っていて、肩越しにぐったりと垂れ下がった姿が痛々しい。

最後尾には立派な衣装に身を包んだ執事のウィリアムさんがつづく。僕たちの背後を守るようにゆっくりと歩き、時折ハンスが背負っているルー様の様子を見ながら、全体の進行を注意深く見守っている。

僕たちの足音は、静かな森の中に微かに響き渡り、遠くの方で小川のせせらぎがかすかに聞こえるだけだった。
道は険しい。

それでも、僕たちは決して足を止めず、ただひたすらに目的地を目指して歩み続けていた。

「本当に、こんなところに人が住んでいるのか?」

エドワード様があたりを見回しながら、疑念のこもった声で呟いた。その声に不安が入り混じっている。

「ええ。教えてもらったのは確かにこの道でいいはずです。でも、人……なんでしょうか。ネクロマンサーという職業は……」
 僕はエドワード様の言葉に応じながら、思わず自分の声が震えるのを感じた。

 ネクロマンサーについて、僕の知識はほんのわずかだったが、それだけでも十分に不気味なものだった。

ネクロマンサー――

それは死者を蘇らせ、死霊を操る魔法の一種だと言われている。
 
霊界とつながり、アンデッドを使役することで知られ、その力は恐れられると同時に忌み嫌われている。そんな力を持つ者が、果たして人と呼べるのだろうか。
しかも、これから会おうとしている人物は「アークエイン・ネクロマンサー」と呼ばれ、魔術師であり、世の中を混乱の渦に巻き込んだという噂の持ち主だった。

「なんでもいいわ、ルーを助けてくれるなら、悪魔に魂を売っても構わないわ」

 クラリッサ様は強い意志を感じる口調で僕らに言いきった。目には涙が浮かんでいたけれど、一人息子のルーを助けるためなら、きっとどんな代償でも払うつもりだ。
 

そのうちに、僕らは山奥の古びた屋敷にたどり着いた。

屋敷は周囲の木々に半ば飲み込まれ、長い年月を経たことが一目でわかるほどに荒れ果てていた。

屋根は苔むし、壁にはツタが絡みつき、窓はほとんど割れている。

玄関のドアには重厚な鉄製のドアノッカーがついていて、その古びた金属が寒々しく光っていた。

僕たちはその家の雰囲気に気おされ、前で立ち止まり、しばし言葉を失った。
ウィリアムさんが震える声で言った。
「ここが……噂のネクロマンサーの家なのでしょうか」

僕は胸の奥で不安が膨らむのを感じながら、周囲を見渡した。何かが潜んでいるような気がしてならなかった。

「マディ、様子を見てこい」

執事のウィリアムさんが僕に向かって言った。

「えっ、僕ですか?」

驚きと恐怖で声が上ずった。

「そうだ。お前が一番若くて機敏だ。何かあればすぐに知らせるんだ。」
ウィリアムさんの声には当然だ、というように大きく頷いた。

嘘だ、と僕は思った。こんなときは執事のウイリアムさんが率先して出向いて、いつも話しているじゃないか。
これから何か起こるかわからないから、僕に押し付けたに決まっている。

でも、僕は一番の下っ端だ。 アッシュフォード家に仕えてまだ3ヶ月しかたってない。

僕は仕方なく頷き、ゆっくりと家の方に歩み寄った。
心臓が早鐘を打つように鼓動し、手のひらには汗がにじんだ。どくろの形をしたドアノッカーに手をかける前に、深呼吸をして気持ちを落ち着けようとしたが、うまくいかなかった。

「大丈夫だ、マディ。君ならできる」

 自分に言い聞かせながら、僕はドアノッカーを握り、コンコンと叩いた。

 音が静かな森の中に響き渡り、鳥の鳴き声すらも消え入るように静まり返った。

「モートさんのお宅でしょうか?モートさん、いませんか?どうか開けてください」

僕はドアノッカーを握りしめ、大きな声で呼びかけた。しかし、返事はない。風が吹き抜け、周囲の木々がざわめく音だけが聞こえる。

その時、家の中からかすかに声が聞こえてきた。

「ダネル、またなんかきたぜ。ほら、見てみろよ。見るからに金持ちだ。ああいうのは一番面倒くさいから、居留守使っちゃおうぜ」

チャラい声が聞こえる。

僕は再びドアノッカーを叩き、今度は力を込めてコンコンと音を立てた。

ドアに耳を押し当て、じっと様子をうかがった。家の中から微かに物音が聞こえる。羽音が聞こえて、誰かが近づいてくる気配がする。

「うっさいなぁ。ダネル、いいだろ、居留守にしちゃおうぜ」

ドア越しに聞こえる男の声には、明らかにうんざりした様子が込められていた。

けれど、対応してもらえないのは困る。

病人がいるのにはるばる3日もかけて山を登ってきて、こんなところで引き返すわけにはいかない。

僕はさらにドアノッカーを叩き、再び呼びかけた。

「モートさん、本当に困っているんです。どうか話だけでも聞いてください!」

その瞬間、家の中で羽音がして、何かが動いた気配がした。そして、もう一度モートの声が響いた。
 
「あ、バカ!ダネルっ!あああ……ドア、開けちまった……」

声がしたあと、するりとドアがゆっくりと開いた。
誰かが無理やり開けたわけではなく、まるで自然に風が吹いて開いたかのようだった。

ドアが開くと、薄暗い中から目のまえに、白いものが横切った。
目を疑った。

それは、鷹だった。

それも真っ白で大きな鷹だ。

なぜ家の中に鷹が?

けれど、間違いなく、ドアを開けて出迎えてくれたのはその白い鷹だった。

目が合った鷹の僕を見つめるまなざしはまるで守護者のように威厳に満ちていた。

僕は一瞬息を呑んだが、勇気を振り絞って屋敷の中に入っていった。

屋敷の中は薄暗く、古びた家具や本が散乱していた。どこかから風が吹き込み、埃が舞い上がる。

その中央に、カジュアルな姿の男が立っていた。彼はダークグレーのフード付きジャケットと擦り切れたジーンズといういで立ちで、ぼさぼさの髪と少し無精ひげの生えた顔をしている。

「やれやれ、こいつは面倒なことになったな……」
 男は頭を抱え、ため息をつきながらぼやいた。

「あの、あなたがモートさんですか?生きている人間の魂と話ができるという有名なネクロマンサーの?」

「はいはい。わたしがそのモートさんですよっ」

半ば投げやりな返事をモートは返した。

「イメージと違う……」

思わず僕は声に出して言った。

ネクロマンサーと言われる男は、もっと恐ろしい存在だと思っていた。しかし、目の前のモートはひょうひょうとして、どこか軽薄な印象すら与える人物だった。

モートは、僕の近くにやってくると聞いた。 

「で、君たちは何の用でここまで来たんだい?」

その軽い口調に、僕は少し戸惑いながらも続けた。
「僕たちには病人がいます。どうか、彼を助けてください。」
「いやだね」
「え?」
「俺がほしいのは静かな時間なんだ」というと、モートてまるで親友にするように、なれなれしく僕の肩を抱き寄せた。

 けれど……
 
 ビクン
 
僕に触れたとたん、モートの体が電流に打たれたように、とびはねた。
僕はといえば。

一瞬、何か違う場所に飛んでしまった感覚があった。
1秒か2秒のほんの少しの時間。
僕は、確かにどこかに移動していた。

「え?」
「え?」
お互いに顔を見合わせる。
今、一体何がおきたのだろう?
 
「お前、何者だ?」
モートがさっきとは打って変わって、真剣な表情になり、僕の顔を驚いたようにまじまじと見つめた。

その時だった。
僕がなかなか帰ってこないことにしびれを切らせたのか、扉が開くと、涙ながらにクラリッサ様が駆け込むように家に入ってきてモートにすがりついた。

「あなたがモートさんですか?どうかルーを助けてください。どこも悪くないというのに、1年もの間、意識が戻らないのです」

クラリッサ様のその青い瞳には深い悲しみと切実な願いが浮かんでいた。

「よくもまあ、こんな山奥にこいつを連れてきたもんだ。」

後ろから入ってきたハンスに背負われているルー様を横目にみながらモートがうんざりしたようにつぶやくと、手をひらひらさせた。

「俺はもう面倒なことには関わりたくないんだ。サッサと帰ってもらえないか?」

ハンスに背負われたルー様は青白い顔で、無防備に垂れ下がった手足からは生気が感じられなかった。その姿はまるで命の灯火が消えかけているようだった。

 (こんな姿のルー様を見てもこいつは心が動かないのかっ!)
僕は悔しくなって歯ぎしりをする。
クラリッサ様はさらに必死な表情になっていった。

「もう頼る人は誰もいないんです。どこも身体は悪くないとお医者様はいいます。魔法使いの方にも見ていただきましたが異常はないそうです」

エドワード様も食い下がる。

「この子はうちの跡取りで……あなたのことを聞いてはるばる首都のノヴァリスからやってきたのです。お金ならいくらでも差し上げます。どうか……ルーを助けてください」

「あなたは、ネクロマンサーの中でも特殊な能力をお持ちだと聞いています。普通のネクロマンサーは死者を自由に操れるけれど、あなたは生きているものすべての魂とつながれるのだと。どうか眠っているルーが、どうなっているのか、私たちに教えてほしいのです」

そういうとクラリッサ様はこらえきれずに泣き出した。
モートはため息をついて言った。

「はぁぁ……。どうやら金持ちっていうのは金を積み上げればなんでも叶うと思っている人種らしいな。俺は世間から離れた身。金なんかいらないが……この様子だとあんたたち、俺が動かなかったらここに居座る気だな」

クラリッサ様がモートの言葉に涙で赤くなった目でコクコクとうなずいた。モートは白鷹に目をやった。

「ダネル、どうする?」

(さっきもこの男は鷹と話していた。鷹の言葉がわかるのか?)

僕がそう思っていると、モートの合図とともに鷹が「キィー」と一声鳴いては飛び上がり、そのままハンスに背負われているルー様の肩に降り立った。

クラリッサ様は悲鳴を上げる。

「なんですか!どうして、鷹にそんなことをさせるのですかっ?」

母親としては、鷹が大事なルー様の身体の上に止まったのが気に入らないのだろう。
 
「あー、こいつはな、こんなナリはしてはいるが、元は神の使いだ。救える魂なのかそうでないのか、こ・い・つが判断する。こいつを自由にさせないと、あんたらの一人息子は生きた屍のままだ。信用できないならそれでもいいさ。さあ、どうする?」

モートはニヤリと笑うとエドワード様が興奮するクラリッサ様を押しとどめて慌てて言った。
「おまかせします。どうかルーを救ってやってください」

(神の使い?この鷹が?)

僕はにわかに信じがたい気持ちで白鷹を見つめた。

白鷹は静かに目を閉じていたが、しばらくしてから顔を上げると、一声「ヒュイ」と鳴いた。

「ちっ」

モートが忌々しそうに舌打ちをした。

「ダネルが、受けろと言っている。しかたない。事情を聴こうか?」

僕らは話を聞くために隣の部屋に案内された。モートが無造作に指さした先にある扉を開けると、そこには思いのほか広々とした空間が広がっていた。

隣の部屋に入ると、まず目に飛び込んできたのは大きな暖炉だった。

暖炉には火が灯っていないものの、古びた薪が積み上げられており、その上には煤けた鉄のポットがかかっている。

壁には様々な古地図や異国の風景を描いた絵画が掛けられており、それらがこの部屋の歴史を物語っているかのようだった。

部屋の中央には、大きな木製のテーブルがあり、その上には無数の書物や巻物が散らばっていた。

テーブルの周りには重厚な椅子が並べられており、それぞれの椅子には深いクッションが敷かれている。椅子の背もたれには、使い込まれた跡があり、ここで何度も議論が交わされたのだろうと想像できた。

窓際には古びたカーテンが垂れ下がっていて、外からの光が僅かに差し込んでいる。
その薄暗い光が部屋全体に柔らかい陰影を作り出し、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。窓の外には、うっそうと茂る木々が見え、その隙間からは時折風が吹き込み、カーテンが微かに揺れていた。

部屋の隅には、いくつかの棚が設置されており、そこには薬草や瓶詰めの液体が並べられていた。

これらの瓶にはラベルが貼られており、見たこともない言葉で記されている。薬草の匂いが部屋全体に漂い、どこか落ち着いた気分にさせてくれた。

モートはテーブルの端に立ち、無造作に椅子を引きながら「さあ、座ってくれ」と促した。

僕らはお互いに目を合わせ、少し緊張しながら椅子に腰を下ろした。

ハンスがゆっくりと、ルー様をソファーに寝かせた。

白鷹は再びバサバサと羽ばたき、モートの肩に降り立った。鷹の鋭い目が部屋を見渡し、その存在感が一層この場所を神秘的なものに感じさせた。

一同が席についたところで、エドワード様が静かに話しはじめた。
 
「息子のルーは小さいときから手のかからない、素直な子でした。後を継ぐとわかっていたためか家の手伝いもよくするし、反抗することもなくとても親孝行な子で……」

「倒れたのは1年前と言っていたな。何がきっかけだったんだ?」

「それがさっぱりわからないのです……。2か月後に、結婚も決まっていたある朝、何をしても起きなくて……。それからずっと眠ったままになってしまったのです」

「結婚?」

「ええ。私めはノヴァリスで秘薬商人をしております。こういってはなんですが、この国でも1,2の売上を誇っております秘薬問屋です。隣町のルクシアの秘薬商人の娘さんとうちのルーと結婚させて、販路を広げようと思っていた矢先のことでした」

「ははん。無理やりに結婚させるつもりだったとか?」

モートが顎髭をいじりながらにやりと笑った。

「いえ、そんなことはありません。確かにルーは最初乗り気ではありませんでしたが、最後には『お父さんとお母さんの進める結婚なら、僕はかまわないよ。』と承諾してくれました」

「ふうむ」

モートがソファーに寝かされたルー様を見つめる。

僕は三か月前から働いているので、ルー様が寝ている姿した見たことがない。結婚の話も今初めて聞いたくらいだ。

「で、それから1年たっているわけだが、今その結婚相手はどうしているんだ?」

すると悔しそうにエドワード様が唇をかみしめた。

「ルーが寝たきりになったとたん、他の薬商人のルーと結婚してしまいました。あんな縁談、つぶれてよかったのかもしれません……」

モートは話を腕組みをしながらその後もいろいろこのルーの話をひとしきり聞いていたが、やがてかなり面倒くさそうにノビを一つすると立ち上がった。

「まあ……とりあえず、こいつの魂を拝んでみるか。」

といってルー様をお姫様抱っこして隣の部屋にルーを連れて行った。

「こういう抱っこはかわいい女の子に限るんだけどなぁ」

ぼやきながら、僕らは隣の部屋に入ると思わず目を見張った。

隣の部屋の床には魔法陣が描かれており、その周りをろうそくが囲むように点灯している。

ユラユラとろうそくの灯を見ているだけで、フワフワとした感覚に人間はなるらしい。僕はなんだかめまいがしてきた。

モートはその魔方陣の中央に、ルー様を寝かせると、ルー様の胸にそっと手を置いて呪文を唱えた。

 
「ラウンドラ・カリオ・サラバンドラ・エリュシオン・カリキア」
 
そのとたん、ろうそくの灯が一斉に強くなり、揺らめきが激しくなった。
 
「暗黒の中より光を招き、霊界の深き眠りを破る。古の霊たちよ、その力を今ここに集え。ルー・アッシュフォード、その名において魂の門を開け。我が声を聞き、その眠りの深さを示せ。魂の力よ、この身体に再び宿る兆しを見せよ。アークエインの名において、命ずる。ラミナス・グラシア・フィロメン・デュラン・サリエル」

一同が息をのんで見つけている中、ぶつぶつと呪文を唱えていたモートだったが、やがて、「えっ?」と声を上げた。
目を見開らくと鷹のダネルに視線をやる。

モートが明らかに焦っているのが僕にはわかった。

モートは立ち上がると僕ら一同に早口で言った。

「ちょっと時間がかかる。こいつが起きたら連絡するから、今日は帰ってくれ」

「え?どういうことですか?何かあったんですか?」

ウィリアムさんが驚いて顔を覗き込むように質問をすると、モートは少しいらだったように答えた。

「何もない。さあ、いそいで出て行ってくれ」

「まさか、このまま帰るわけにはいきません。理由をお聞かせください」

「理由だとぉ?」

モートが、うーむ、と声を絞り出した。
なんと答えるか考えているように僕には見えた。
モートはしばらく視線を泳がせていたが、その視線は、やがて僕にたどり着いて、やがて停止した。
そして、「ああ、その手があったか」とつぶやいた。

嫌な予感がした。
ぞわりと鳥肌が立った。

「こいつ」
モートが僕を指さす。

「こいつを置いていってくれ。それならいいだろう。この男が目覚めたらこいつに連絡させる。これからいろいろ用意があるから集中したいんだ。さっさと帰ってくれ」

「え、僕が残るんですか?いやですっ」

けれども、誰も僕の言葉を聞いてはくれなかった。

 エドワード様とクラリッサ様は「ルーを頼む」と僕の手を涙ながらに握り締め、ウイリアムさんはこんなところに長くいられないと早々に家を出ていき、ハンスは「がんばれ」と僕の肩に手を置いていってしまった。

僕は不安と恐怖と心細さに泣きそうになりながら、みんなが山を下りていくのを見送った。

みんながすっかり見えなくなったことを確認すると、モートはダネルに言った。

「ダネル、こいつは驚いた。はじめてのパターンだぞ!」

けれどその声色はあきらかに楽しそうだ。

「びっくりだぜ。この男の肉体には、魂がない。このままで行けば、肉体が魂と完全に分離して、こいつはあと1週間しないうちに死んじまうな」

とりのこされた僕は必然的にモートと白鷹のダネルと一緒にそのあとの時間を過ごすことになった。

 世の中を震撼させたネクロマンサーと、不思議な白い鷹と一緒に寝食を共にするなんて、何をされるのかビクビクしていたが、なにも怖いことはなかった。

 ルー様の肉体の中に魂がないとダネルと僕に説明したあと、モートはそのことには触れずに、いそいそと僕が泊まるための用意をはじめた。

 モートはとてもフレンドリーだった。 冗談をいいながら、ちゃんと食事を作ってくれたし、僕のために部屋も用意してくれた。
 
ただし、料理はどれもぐちゃぐちゃで一体何を作ったのかわからなかったし、一口食べただけで思わず吐き出してしまうほど不味かった。用意された部屋に行くとベッドも埃だらけだった。

 仕方ないので、僕がありあわせのもので料理を作り、ベッドもモートの分のシーツも探してきてベッドメイキングをする羽目になった。

「うまい!久しぶりにこんなまともな食事を食べた!」
 とか
「こんなふかふかで清潔なベッドに寝られるなんて夢みたいだ!」
 とか

いちいち目をウルウルさせて喜んでくれた。

本当に、伝説のネクロマンサーなのだろうか?

僕にはただのおじさんにしか見えなかった。

食後のお茶を用意して飲んでいるとき、モートは唐突に僕に言った。

「どうした?何か聞きたいことがあるんだろ。なんでも答えるぜ。ただし、3つまでな。あとは企業秘密ってことで」

その口調から、彼が本気なのか冗談なのかわからなかった。

「ええと、このダネルという鷹と話ができるんですか?神の使いだとさっき言ってましたよね?」

目を閉じていた白鷹は自分の名前を呼ばれて、目を開くと僕を見た。

「ああ。こいつは確かに神の使いだ。そして俺の監視役でもあり、俺がこいつの監視役でもある。妙な因縁でな。こいつと一緒にいなきゃならなくなったのさ。だからこいつの言葉は俺だけにはわかる」

ダネルは話がわかるのか、また静かに目を閉じた。

僕は鷹を間近で見たのは初めてだ。

しかも、白い鷹というだけで、なんというか、神々しいオーラを感じる。神の使いだと言われたら信じてしまうほど、ダネルは美しい鷹で、しかもおとなしかった。

「で、次の質問は?」
「モートさんは、人間なんですか?」

その質問にモートは「がっはっは」と豪快に笑った。

「モートさんじゃなくて、モートでいいよ。まあ、死者を操るのがネクロマンサーだ。普通の人間にはできない芸当だなぁ。でも一応、まだ死んだことはないし、歴とした生者だ」

 そして、ふっ、と笑ってから「死にかけたことは何度もあるがな」と付け加えた。

「じゃ、最後の質問をどーぞ」

最後の質問――。

一体何にしよう。そう考えたとき、ふと思いだしたことを口にした。

「さっき、僕に触れたとき何が起きたんですか?なんだか一瞬、意識が飛んだ気がします」

僕の質問に、モートは身体をピクリと反応させた。そして今までになく、真剣な顔になり、僕を見つめながら低い声でいった。

「わからない」
モートの視線が、僕の目をとらえるとからめとられるように動けなくなった。
その僕の心をすべて見通すような冷たいまなざしに、僕の背筋に何か冷たいものが走った。
「えっ?」
「きっと、これからわかる。それがお前をわざわざここに残した理由だ。楽しみだな」

肝心な点ははぐらかされた。と、僕は思った。
モートは今まで同じように、またチャラい返事をすると、親しみのこもった表情にもどって、にっこりと笑った。
「さあ、明日、早くから出かける。今日はもう寝ろ」
そう言うモートは席を立った。
さっきのまなざしは気のせいだったのだろうか。

残された僕は、訳が分からないままに、ベッドにもぐりこんだ。

次の日の朝早く、モートはどこからか大きな鉢に入れた土を持ってくると、その中に水を入れ、泥遊びをするように 掌に載るくらいの小さな泥人形を作った。

そして、隣の部屋からルー様の髪の毛を一本抜き取ると、その中に混ぜ込んでから、低い声で呪文を唱え始めた。

「大地の息吹よ、我が手に集まり、この泥に命を吹き込め。命の絆を結び、この形に宿る魂を呼び戻せ。霊界の力よ、我が声に応えよ。ルー・アッシュフォード、その名において命ずる。カリュシオン・ヴェルトス・アラトリア・サンディア・エリュシオン。魂の光を、この人形に宿らせよ」

そのとたん、ただの土人形が魂を吹き込まれたように立ち上がった。土人形が目を開き、ニヤリと笑うと、僕らにお辞儀をした。
「わあっ」

生まれて初めて、僕は魔法を見た。

この国に魔術師という存在がいることは知っている。けれど、それはほんの一握りの人しか関わることのできない、一般国民には無縁の世界の話だ。

ルー様を診てもらった魔法使いも、本物かどうかはわからない。

初めて見る魔法に、不気味でありながら、ありえないことが起こったことに僕は驚きとも恐怖ともつかない声を出してしまった。


土人形は、お辞儀が終わるとぴょん、とテーブルから降りて歩きだした。

「さあ、いくぞ。あいつを追うんだ」

モートは当たり前のように僕とダネルに言った。

ああ、この人は本当に魔法使いなのだ、と僕はその時初めて信じたのだった。


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