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オレンジの記憶【全3話】3

モートは眠っているレーリーを抱きかかえて裁縫屋に連れて行った。
疲れて眠っているだけだ、2時間もすれば目を覚ますから寝かしてやってくれというと、女店主は、うさん臭そうに信じようとはしなかった。

けれど、モートがいくばくかの金を握らせると無理やり納得したようだった。
「さて。これで魂が肉体にもどっているといいんだがな」

屋敷にもどると、モートはわき目もふらずに魔法陣の部屋に直行し、呪文を唱えるとルーの胸に手を当てた。

「ダネル、魂が戻った反応があるぞ。俺は行く。あとはよろしく」

そういった後、モートは僕をゆっくりと見据えると、静かに言った。

「どうする?マディ。お前も一緒に行くか?」

「いけるんですか、僕も?」

どこに行けるのかわからない。けれど、胸の奥から湧き上がる興奮と好奇心を押さえきれなかった。冒険への期待感が僕の心を支配していた。

「普通の人間はいけない。だけどお前は行けるだろう」

モートがまっすぐに僕に手を差し出した。僕はその手の上に、自分の手を載せた。

「いくぞ」

そういうと、そういうと、モートは呪文を唱えた。瞬間、僕たちの周囲の空気が揺らめき始め、目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。

まるで体が軽くなったような感覚が広がり、一瞬のうちに僕たちは新しい場所に移動していた。

 
そこは、まるで夢の中のような空間だった。光と影が入り混じり、現実感が薄い。その中心に人影が立っているのが見えた。

その男性の髪は銀色に輝き、瞳は深い青色で、どこか遠くを見つめているようだった。

彼の背には大きな白い翼が広がり、その翼が光を反射して周囲を柔らかく照らしていた。彼の立ち姿は堂々としており、まるで天界から降りてきたかのような風格があった。

天使だ。なぜここに天使が?

その人物は僕に気づき、穏やかな笑みを浮かべた。
「マディ、私です。ダネルです」
「え?」
「ようこそ、魂の空間へ」

その声は静かで力強く、僕の心に安心感をもたらした。
僕は驚いてモートを見つめた。

「ダネル?あの鷹のダネルが……この天使?」
モートはうなずいた。

「そうだ。こいつは元天使で、この空間だけ、元に戻れるんだ。ああ、説明してる時間はねぇ。ダネル頼むぞ」

「うむ。気を付けて」
 

モートについていくと、目のまえはただ、オレンジ色の空間が広がっていた。

「なんだよ、これは。どこを見てもオレンジ色じゃないか。ルーのやつ、なんだってこんな魂の中で生きているんだ」

「え、ここがルー様の魂の中なんですか?」

「ああ。人の魂の中は、いろんな欲がたくさん浮遊していて中心を探すことさえ困難なものだが、この男の魂は恐ろしいほど何もないな」

進んでいくと、なぜかぽつんと真ん中に大きな井戸があった。

その井戸の前に、ルー様が膝を抱えて座っていた。僕らに気が付くと、ゆっくりと顔を上げる。

僕がアッシュフォード家に来た時にはすでに寝たきりだったから、動いているルー様を見るのは初めてだった。

モートはルー様に近づくと、横に立って静かに彼を見下ろした。

「オレンジ……」

「オレンジって、なんだよ」

「夕方、レーニーは毎日、井戸に水を汲みに来る。夕日が映えてそこはいつもオレンジ色が広がってきれいだった」

「ああ、この色は、彼女との思い出なのか」

モートが井戸の周りを見回す。

「しかし、あんたの魂はきれいすぎるな。こう……もっと人間の魂は欲にまみれて、ごみごみしてるんだぜ」

目の前に座っているルーはモートの言葉に耳を貸さず、しゃべりつづけた。

「オレンジ色に染まる背中が振り返って、レーニーと目があった瞬間、いつも胸が痛くなる。いろんな話をした。本の話とか、道端に咲いているちいさな花の話とか。彼女は私の話にいつも笑ってくれた」

ルーの声はかすかに震えていたが、その目は過去の思い出に浸っていた。

「好きだったんだろ。彼女との思い出の色、オレンジ色でこの魂を染め抜いたくらいに。そしてそれに飽き足らずに、とうとうあんたは肉体から離れて彼女のそばにいた」

モートの言葉に、ルーは一瞬だけ顔を上げ、その後再び膝に顔を埋めた。

「でも私は違う人と結婚しなくてはならない。」

「あんたが親に断らなかったんだろ。それでいいと思ったんだろ。」

ルーの顔がゆがんだ。それと一緒に、オレンジ色の空間がグニャリとゆがんだ。

「誰も傷つけたくない。父さんも母さんも。レーリーも。だから私は眠った。ずっとこのままでいいんだ」

「その選択で、お前自身が壊れていくんだぞ」

モートの声には、鋭いがどこか優しさがあった。ルーは微かに震えながら顔を上げた。その目には苦悩と絶望が浮かんでいたが、どこかで助けを求めているようにも見えた。

「このままだと、お前、死ぬぞ?」

「それでいい」

しばらくの沈黙が続いた。空間は再び静寂に包まれ、オレンジ色の光がやわらかく二人を照らしていた。

「……んじゃねーよ」

モートは手を固く握りこぶしにしてルーの前に立ちふさがり、怒りで震えていた。

「え?」

「甘えてんじゃねーよっっ!!」

モートは我慢できなくなったようだった。

その声は怒りに満ちていて、空間全体に響き渡った。彼の顔は赤くなり、目には激しい怒りが燃えていた。握りしめた拳は震え、体全体から抑えきれないエネルギーが放たれていた。

「お前が逃げてどうする!?自分の命を放棄して、誰も傷つけたくないだと!?それでお前が犠牲になって、周りの人間が本当に幸せになれると思ってるのか!」

モートは一歩前に出て、ルーの肩を強く掴んだ。その力強さにルーは驚き、目を見開いた。

「生きたくても生きられねーやつもいるんだよ!」

モートはいきなり胸ぐらをつかんでルーを立たせた。

「お前には立派な手も足も、話もできる口もあるじゃねーか!くだくだ言ってないで、かっこつけてないで、ここに、ここに」

モートは「ここに」、と、ルーの胸に拳をゴンゴンと強く押しあてた。

「ここに思ってることを、本音で、大切な人に、後悔のないように言ってこいよ!死ぬのは…………自分の筋、通してからでも遅くねぇよっ。お前は、お前ひとりで生きてるんじゃねーんだよ!自分の人生から逃げてんじゃねーよっ!」

グラグラとルーを揺さぶっているモートの姿を僕はただ、見つめていた。

その時だった。

グオン、と鐘の音がゆがんだような音が響き渡った。

空間全体が震え、オレンジ色の光が波打つように揺れ動いた。

僕は驚きと恐怖で身をすくめたが、モートは一瞬もルーから目を離さなかった。

モートの姿が一瞬、ゆがんで不安定になった。

「時間切れだ」

ダネルの声がオレンジの空間に響き渡った。

「魂の世界には長くはいられない。モート、落ち着け。そろそろ戻れ」

モートがつき離すと、ルーがその場に倒れた。

倒れた瞬間、私はルーの身体の異変に気が付いた。

「モートさん、ルー様がっ」

ルー様の身体から「ピキッ」という音がして、一本の光の矢がオレンジの空間に放たれる。

一つ、二つ……

やがてたくさんの白い光が一斉に、横たわるルー様の身体のあちこちから放射線状に放たれ始めた。

モートはフッと笑った。

「ルー、俺の言葉、ちっとは刺さったか?がんばる気になったか?」

モートがそういったときには、すでにルーの身体は光に包まれ姿が見えなくなっていた。

「生きろ」

最後にルー様にモートは声をかけた。
彼の声には、切実な願いと深い思いやりが込められていた。

モートは僕の手を素早くつかむと、呪文を唱えた。
「アレイン・フォルマス」

その瞬間、視界がぐにゃりと歪み、瞬間的に意識が引き戻されるような感覚が広がった。

気が付くと、僕は屋敷に戻っていた。周囲は何事もなかったかのように静寂に包まれていた。

モートが僕の手を握っている。ダネルは白鷹のままで「キュー」と一声鳴いた。

「さあ、戻ったぞ。これでルーも目覚めるはずだ」

モートが満足そうに微笑むと、ドヤ顔で僕に向かって指を立てた。

3か月後。
僕がポストをのぞくと、オレンジ色の縁取りがされた手紙が届いていた。

僕は、その手紙を手に取るとたばこをふかしているモートの元に持っていった。

「手紙?俺に?」

モートは不思議そうに手紙をひっくり返した。
差出人は、ルーとレーニー。
それは結婚式の案内状だった。

魂と交信してあと、すぐにルー様は目を覚ました。

魂と話している記憶は、魂の持ち主にはないのだそうだ。
目覚めたルー様は、何が起きたのかわからないようだったが、憑き物が落ちたような男らしい表情になり、僕と一緒にやがてアッシュフォード家に帰っていった。

その後、僕はアッシュフォード家の使用人を辞め、またこの場所に戻ってきた。
ルー様を送り届ける際にモートが言ったのだ。
「お前はここにいるべき人間だ。必ず戻ってこい」
ずっと。
僕の心には何かが欠けているような感じがしていた。
僕はモートの魔法にかけられたのだろうか。僕はそれからここで暮らしている。

今は毎日、モートとダネルの食事を用意し、掃除をしているだけだ。

これからどうするのかは決めていないが、きっと何かまた大きな冒険が待っているにちがいない。
 
「結婚式、行くんですか?」

モートはフッとあまり見せないやさしい表情になって、しげしげと手紙をみつめていたが、やがて「結婚式なんて、めんどくせぇ」といって、照れたように案内状をごみ箱に投げ入れてしまった。

「俺、昼寝するわ。ダネル、マディ、誰もこないように見張っててくれよな。絶対に仕事は受けないように!よろしく!」

そういって手をヒラヒラさせると、鼻歌を歌いながら、ベッドルームへ消えていってしまった。

人里離れた、森の中。
伝説のネクロマンサーと呼ばれる男が、元天使の不思議な白鷹と一緒に住んでいる。

彼の存在はここだけの話、あなただけの胸に納めて、どうかゆめゆめ、広めたり、なさらぬように……

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