見出し画像

自分の想いにみちびかれてハリウッドを去った、イングリッド・バーグマンのこと

おそらく『カサブランカ』でもっとも有名な、イングリッド・バーグマン。プロデューサーのセルズニックは、『カサブランカ』でバーグマンがきれいな服を着て、美しく見える役を演じることをよろこんだ。当時のハリウッドのスターは、つねに同じタイプの役、「自分自身」を演じなければいけなかった。その「自分自身」とは、単なる完璧なペルソナなのだが、とにかくスターはその同じペルソナを、演じつづけなければならなかった。

バーグマンにとって俳優という職業は、自分以外の人格を演技のなかで変化させるプロであるはずだった。だから単なるロマンティックな美しいヒロインを演じることは、彼女の本意ではなかった。10年間も同じような役柄を演じなければならなかった彼女は、第二次世界大戦後に疲弊したローマの現状を撮ったロッセリーニの『無防備都市』(1945)を観て、激しく心を揺すぶられた。

2年後同じロッセリーニの『戦火のかなた』(1946)を観たバーグマンは、ロッセリーニに賞賛の手紙を書き、わたしを使ってくれませんか、と書き添えた。ロッセリーニはハリウッド映画やスターのファンではなかったが、バーグマンを使えば予算が下りそうだ、ということはわかったので、この申し出を受け入れた。バーグマンは、ハリウッドからイタリアへ飛んだ。

バーグマンはスウェーデン人の脳外科医と結婚していたが、その関係は冷えていた。彼女は3年前から離婚を申請していたが、夫はそれを受け入れなかった。バーグマンとロッセリーニは、たちまち恋に落ちた。そしてかれらが最初に撮ったのが、『ストロンボリ、神の土地』(1950)である。

この事件は世紀のスキャンダルになった。今だったらどうということもない話だったのかもしれないが、当時は、ハリウッドの大女優がイタリアに行って不倫の恋愛に陥るなどということは、言語道断だった。彼女は激しいパッシングを受けた。

彼女のやったことは、もちろん、正しいことではない。そのことで彼女は、コミュニストではなかったのに赤狩りで追われたチャップリンと同様、ハリウッドから長年追放され、苦難の日々を送ることになる。確かにイングリッドは無邪気だった。自分のつよい想いにみちびかれて、自分が出演してみたいと思う監督のもとに、自ら出向いた。

彼女の生きざまがお手本になる、ということではない。しかし彼女の生き方が間違っているとは、決していえない。彼女は自分にとって正しい生き方をつねに模索し、実行していった。彼女は人間として、不器用で頑固ですらあるが、信念にしたがって生きようとする彼女の意志には、むしろひととしての正しさを感じる。

伝記などには、彼女がとても誠実で純粋な人間であった、と書かれている。わたしはそうだったのだろう、と思う。それゆえに、ハリウッドの掟や、真面目なゆえに離婚してくれない夫から逃げる、といった、外的な規範を、逸脱することになった。しかしそれは彼女が、自分が本当に望んでいることにバカみたいに忠実であろうとしたからである。

まさにバカみたいに、自分らしくありたいとのぞんだこと。それが彼女の、モラルであった。

#イングリッドバーグマン #ストロンボリ #カサブランカ #女優 #ハリウッド #ロッセリーニ #映画 #田中ちはる








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?