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武藤千春ってどんな人? (2022年版)

武藤千春です。2020年夏にわたしがどんな人なのか?という記事を書いたのですが、読み返してみると変わっている部分、アップデートされた部分がたくさんあり、2022年版を書く必要があるなぁと。たった1年半ですが、自分でも驚くほどに暮らしや仕事が大きく変化しました。

普段から色んなことに取り組みすぎているので「職業は?肩書きは?何者なの?」とよく聞かれますが、基本的には「有言即行」をテーマに興味・関心を持ったことはまず何でもやってみる、いつまでたっても好奇心旺盛で毎日ハッピーな26歳です。書くことが多くて長くなりそうですが、改めて今のわたしの自己紹介をしてみます。



基本情報

武藤千春は、東京都世田谷区出身。誕生日はエディーマーフィーと大泉洋さんと同じ4月3日生まれです。牡羊座のO型で、一人っ子で、地元は品川区の五反田という街。今は東京と長野県小諸市での二拠点生活をしていて、2021年からは農ライフを始めました。好きなものはヒップホップと犬と歴史と旅。好きな食べ物はチーズと納豆とオクラと山芋で、苦手な食べ物はフルーツと辛いものと酸っぱいもの。性格は強めだけど基本的には落ち着いてる方だと思います。自分をさらけ出すことはあまり得意ではないけど、言いたいことは率直に述べるタイプ。写真だとクールなイメージを持たれがちだけど、実際に会うと「想像してたよりも明るい」と言われることがあります。他人と比べず、ありのままの自分でいることを大切に、日々冒険と学びを繰り返しながら、毎日ハッピーに過ごしています。


幼少期〜10代の頃

ディスコ世代な母の影響を受け、幼い頃からブラックミュージックが大好きで、ダンスクラシック、オールドスクールやミドルスクールと呼ばれるHIPHOP、90年代のR&Bなどを聴いてきました。家にはターンテーブルと大量のレコードが山積みで、朝からガンガン大音量で流れるカーティスブロウやアフリカバンバータ、チャカカーンのレコードの音はアラーム代わり。そんな影響もあり、物心ついた頃から歌って踊ることが大好きで、小学3年生からダンスを習い始めました。人見知りで消極的な子供ではあったけど、初めてのダンスの発表会で、まるで別人を演じるような感覚の楽しさをステージ上で味わい、だんだんと人前で歌って踊る仕事がしたいと思うように。中学2年生からボーカルレッスンを習い始め、ボーカル講師の勧めでゴスペルも同時にスタート。ゴスペルとの出会いはかなり大きくて、それまで1番好きなことはダンスだったのが、ゴスペルとの出会いをきっかけに歌うことがなによりも大好きに。中学時代はスクールの仲間たちとライブハウスで歌ったり、まさに下積み期間。そこから中学3年生の時に受けたボーカルバトルオーディションに合格、ダンス&ボーカルグループに加入し、16歳でデビュー。約4年間の活動を経て、「音楽以外の分野にも挑戦してみたい」「20代は縦幅はもちろんだけど横幅も広げたい」という想いで、19歳のとき、所属していたグループと芸能事務所を卒業。そこからは、ジャンル問わず、やりたいと思ったことは何でも挑戦しているうちに、自分の肩書きが何かわからなくなるほど散漫して、自由に毎日を過ごし、今日に至ります。


BLIXZY プロデューサー・デザイナー

19歳の時、後先考えず会社を退社して「仕事どうしよう・・・?」といわゆるニート状態になりました。幼い頃から音楽ばかりやってきたし、せっかくなら音楽とは全く関係のない新しい分野に飛び込んでみたいな〜と思った時に最初に頭の中にふわっと出てきたのが「物作り」と「ファッション」。子供の頃は図工の授業が大好きで、一人っ子の私は家で色んなものを作りながら一人遊びをしていました。ファッションは、高校時代ストリートファッションが好きで自己満で楽しんでいたら、私の私服を見た当時のファンの方々が真似をしてくれたり、同じアイテムを身につけてくれていたりするのを見て、「自分のファッションを参考にしてくれる人がいるんだ!」と嬉しい気持ちに。そんな体験を思い返して、物作りとファッションに関わることがしたいなぁと思いつつ、何から始めたらいいかわからなかったので、とりあえず趣味でオリジナルのCAPを作ったり、アパレルショップのアルバイトを探したりしていました。ある時、知人にこのことを話していたら、「バイトはいつでもできるから、思い切って自分でブランド立ち上げてみたら?」とアドバイスをもらい、「とりあえずやってみよう!」と勢いで会社を設立。ファッションブランド BLIXZY(ブライジー) を立ち上げました。女の子が発信するメンズストリートファッションというコンセプトで、男女問わずどんな世代の方も日常に取り入れられるシンプルなアイテムを作り始め、あれやこれやと色々作っているうちに、有難いことに今年で7周年を迎えることができました。ブランドを始めてから、東京をはじめ、大阪、名古屋、福岡、札幌、仙台、広島、静岡、神戸など各地でPOP UP STOREを開催したり、渋谷109や原宿に直営店を出店したりも。現在は、オンラインストアのみでアイテムを展開し、長く愛してもらえるアイテム作りやブランド作りのために日々試行錯誤しています。


農ライフブランド ASAMAYA 代表

長野県小諸市に拠点を構えたことをきっかけに、農ライフを始めました。最初は20坪の小さな畑を借りて野菜作りをしていましたが、やっていくうちに農の魅力にまんまとハマり、今では約1,000坪の畑で野菜とワイン用のぶどう栽培をしています。昨年は野菜コーディネーターやホールフードジュニアマイスターの資格も取得。
自分で作物を育てたり、届けたり、食べたりする中で感じる魅力を発信していくことはもちろん、農を通じて出会ったクリエイティブでかっこいい農家さんたちのイケてる農ライフを届けるべく、2021年に農ライフブランド「ASAMAYA」を立ち上げました。長野県内で出会った面白い農家さんたちの野菜や果物、その加工品などの販売をしています。
わたしたちが普段食べている作物ひとつひとつの裏側には必ず人がいるということをもっと深く、面白く、楽しく体感して欲しいのです。野菜をただ販売するのではなく、農家さんの農ライフや想いを乗せて、そこに価値を見出し、食べて終わりではなく作る人から食べる人、さらにその先へとバトンを繋いでいくことを目指しています。また、昨年は豊作による影響で市場に受け入れてもらえなかった1万個以上の廃棄予定だったキャベツや白菜をレスキューしました。「ASAMAYA」では日本の農業が抱える課題をポジティブに楽しく発信して解決していくための取り組みも行っていきます。


KOMORO dé WINE PROJECT

日本の農業の大きな課題となっている耕作放棄地(1年以上作物が栽培されていない土地)は年々増え続ける一方。高齢化や担い手不足、農業従事者の減少、地域に引き受け手がいないなどの影響で全国に約42万ha以上もあります。その大きな課題を一気に解決することは難しいけど、少しずつでも私たちにできることはきっとあるはず。見方を変えれば耕作放棄地というのは自由に新しいことにチャレンジできる可能性に満ちた場所なのかも。そんな想いを胸に、長野県小諸市の荒れ果てた畑を美しいぶどう畑に変身させてワインを作るプロジェクト「KOMORO dé WINE PROJECT」を始動しました。ぶどう栽培やワインのことはさっぱりわからず、全くの初心者ですが、そんな私の姿を見て「年齢やスキルは関係なく、初心者でもチャレンジしていいんだ!」と思っていただけたら嬉しいです。荒れた畑を耕し、苗を植え、ぶどうを育て、ワインができるまでの道のりはとても長いですが、その過程をみんなでシェアして楽しんでいけるような体験プログラムやワインツーリズムなども計画中。わたしのYouTubeでは作業の様子などもアップしています。


小諸市農ライフアンバサダー

2022年2月、小諸市農ライフアンバサダーに就任しました。小諸市では、「小諸の農」のブランド化プロジェクトとして「komoro agri shiftプロジェクト」に取り組んでいます。このプロジェクトは「つくる農から“つなぐ農”へ」という理念を掲げ、つくって終わりの農業から、農家さんと食べる人がつながる農へのシフトが目標。これはまさにわたしが手がける農ライフブランド「ASAMAYA」でも目指していること。今後は市とも連携しながら新しい農との関わり方のモデル的な存在になれるよう、魅力発信やイベントなどを仕掛けていく予定です。


サウンドプロジェクト "CHIHARU"

10代の頃はメジャーデビューをしてダンス&ボーカルグループのメンバーとして活動。19歳で音楽の世界からは一旦離れましたが、離れてみるとやはり音楽で自分の心の内側を表現することが好きだなぁと実感し、もう一度自分のペースで楽しみながら「CHIHARU」名義で音楽活動をしてみることにしました。まずはその第一歩として製作資金を集めるためのクラウドファンディングを実施。48日間でなんと171人もの方々にご支援いただき目標達成率は204%。色んな方々にサポートしていただき製作した1st ALBUM "why not?" を2022年9月にiTunesにて配信リリース。


MC・ラジオDJ

アーティストとして活動していた10代の頃、活動の中で物凄く楽しかったお仕事の一つがラジオ。もともと人前で喋ることはあまり得意ではなかったけど、グループの中ではボーカルという立ち位置で、マイクを持って喋る機会が多く、やっていくうちにだんだんと「もっと上手に気持ちを伝えられるようになりたいなぁ」と感じていました。そんな中、全国各地のラジオ局にゲストとして出演させていただいたり、自分たちのラジオ番組をやらせてもらったりしてるうちにラジオで喋る楽しさやラジオを聴く楽しさを知りました。グループを卒業して、メディアに出る機会があまりなくなってからも「ラジオのお仕事またやりたいな」という気持ちがなくなることはなく、むしろどんどん膨れ上がり「私ラジオのお仕事やりたいんです!」と色んな人に言いまくってました。「黙って待ってるだけじゃだめだ!」と、渋谷のコミュニティFMの枠を1時間買って、半年間自分で番組コンセプトから構成を考え、ゲストのブッキングも自分でしてラジオ番組を作っていた時期も。そうこうしているうちに、喋り手専門の事務所と出会い、2018年10月からJ-WAVEのナビゲーターとして朝の番組「ZAPPA」を週1回生放送で担当し、昨年9月まではは毎週土曜日2時間「SHIBUYA DESIGN」という番組を生放送で担当していました。最近はイベントMCとして、ファッション、美容、音楽系などのイベントで司会進行をさせていただくことも増えてきました。
現在は毎週金曜日16:00〜 J-WAVE「MOTORING MUSIC」のナビゲーターを担当しています。


実業家・代表取締役

ビジネスや経営をちゃんと学んできたわけではないので、実業家と名乗るにはおこがましい気もしますが、最近はメディアで取材を受けたりするとき、実業家として取り上げられることもしばしば。実は Wikipedia にも実業家と記載されています。(笑)
2014年に 株式会社B-CREW を設立してから、アパレルブランドBLIXZYの運営を中心に色々とやってみています。プロデュースはもちろん、アイテムのデザインや生産までの工場とのやりとり、ECサイトの運営、PRなどは今も全て自分で行っています。アパレル以外には、イベントのオーガナイズをすることが多いです。今はコロナ禍でなかなか取り組めていないですが・・・。初めてイベントを0から作ったのは20歳のとき。渋谷O-EASTでダンスイベントを開催して、同世代のダンサーの仲間たちと、企画から集客、フライヤーデザイン、出演者のブッキングまでほとんどの業務をやりました。当時はイベント運営は未経験で知識もなかったのでかなり大変でした。ここ数年は、BLIXZYの周年記念で音楽イベントを開催したり、トークイベントを開催したり、色んなタイプのイベント作りもしています。


防災士

実は昨年2021年に防災士の資格をしました。防災士は 認定NPO法人 日本防災士機構が認定している資格で、地域やコミュニティーにおける防災力を高める活動や、災害時の防災リーダーとしての正しい率先行動が期待されています。自然災害などによって様々な被害が毎年発生する日本。これから起こるかもしれない大きな災害時に私たちには何ができるのか?誰かの助けを待つのではなく、自分や家族、大切な人たちの命を守れるよう、そしてみんんで助け合えるよう色んな想定をして、知識を蓄え、備える必要があるのです。今後はSNSなどを通じて、私が学んだことやこれから学んでいくことを少しでも多くの方にシェアできたらいいなと思っています。



という感じで、武藤千春はざっくりとこんな人です。

この自己紹介、書くのも大変だけど、読むのも大変ですよね。やりたいことを何でもかんでもやりまくっていたら、自己紹介をするのがこんなにも長く、難しくなってしまいました。10代の頃は「学生」という肩書きがあったり、アーティスト時代は、会社名やグループ名、自分がやっている業務をただ述べればよかったものの、20代になり、やっていることが多岐に渡ってくるとなかなか説明が面倒になってきます。「20代は横幅を広げたい!」と意気込んでいたら、広がりすぎたような気もします。

自己紹介でこんなに体力を使うとは・・・という感じで、後半はかなり文章を書くのにバテてきてしまって雑になっているかも。

年を重ねれば重ねるほど大変になりそうだけど、きっとまた1年後にこの自己紹介を見返したら、変化している部分も多くありそうなので、きっと毎年書き直していく必要がありそう。また色々増えたり減ったりと、変化があれば随時アップデートしていきます。

なかなか長ったらしい自己紹介になりましたが最後まで読んでくださった方、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

こんな感じで、これからも引き続き、たくさん行動して、学んで、冒険して、世の中の当たり前をおもいっきり切り崩して、遊びに変えて、武藤千春らしく、生き方のスペシャリストを目指していきます。


武藤千春



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