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そこに狂気さと妄執さはあるのか?【セッション】

このnote記事はエンタメ大好き社会人(新卒)である私がエンタメ作品で面白く教養と視座を高めることを目的とした、「意識高い系な人」向けの記事です。記事内には「アップデートポイント」があります。私が考えたポイントですのでそれに対する賛否両論や映画の意見感想などはウェルカムですが、作品自体を誹謗中傷するようなことはここではお控えください。

さて、今回ご紹介するのは洋画の『セッション』です。2014年に放映されたアメリカの音楽ドラマ。『ラ・ラ・ランド』や『ファーストマン』などを手掛けたデイミアン・チャゼル監督。主演はマイルズ・テラーとおなじみJ・K・シモンズが主演の映画になっております。マジで、この時のJ・K・シモンズはキレキレでした(笑)。現在(5月15日時点)Amazonプライムでは400円程度で鑑賞することができます。お手軽っすね。

もう6年前の映画になるのかと思うと、当時映画館で感動した記憶が遠い昔のように感じます。第30回サンダンス映画祭でグランプリと観客賞をW受賞したのを始めに、第87回アカデミー賞では助演男優賞・編集賞・録音賞の3部門で受賞を果たすなど、数々の映画賞を席巻した映画作品です。当時の『セッション』ブームは最近でいう『ラ・ラ・ランド』と同等かそれ以上の人気でした。まあ、監督が同じということも関係しているでしょうが二つとも心揺さぶられる良い作品です。

音楽好きな方や、何かに挑戦しようとしている人は活力がもらえます。まだ鑑賞していない方は是非おうち時間にでも鑑賞してみてください。


映画体験を高めるための予習(No Spoilers!)

さて、映画鑑賞する前に軽くと予習しておいて映像体験を高めましょう。もちろんネタバレは無しで綴ります。ざっくりとした映画の内容は

アメリカ最高峰の音楽学校シェイファー音楽院に入学したドラマーのニーマン(マイルズ・テラー)は、教師のフレッチャー(J・K・シモンズ)によって最初の初級クラスから最上位のクラスに引き抜かれる。プロのドラマーになれるチャンスが広がったと喜んだのも束の間にフレッチャーの狂気にも似たスパルタ指導によって、ニーマンは精神的にも肉体的にも疲弊していく。それでも偉大なミュージシャンになることを夢見て練習するニーマンは次第に自分も狂気になっていく。

こんな感じです。

なんか怖い映画なの?て思っちゃうくらいの紹介になりましたが怖くありません。あまり深く書きすぎるとネタバレになってしまいますので控えております。

ひたすら罵声を浴びせ、完璧な演奏を引き出すためには暴力をも辞さないフレッチャーにおののきながらも、粘り強く食らいつくニーマンを見ていると「もうやめてあげて…」なんて思う場面もありますが、やっぱりそれくらいの熱量はいるよねと思うこともあったり、心境が二転三転する映画です。デイミアン・チャゼル監督の思うつぼって感じです(笑)。

で、実はこの映画デイミアン・チャゼル監督の青春時代を基にしているんですね。本当にあった話と思うと「え、これも本当にあったの?」て聞いてみたくなる場面がたくさんあります。

監督はプリンストン高校のバンドでジャズドラマーとして活躍して、実際にフレッチャーのような鬼教師の指導を受け、身がすくむような思いをしたそうです。

彼はその時のことをこう述懐していて、

But it was an environment that caused me to learn what it meant to live for four years with non-stop anxiety and non-stop fear.
(止まることのない不安、止まることのない恐怖の中で4年間を過ごし、生きることの意味を学びました。)
 ~DEN OF GEEK!のインタビュー記事より~

止まることのない恐怖で4年間過ごすって…人格崩壊しちゃいますよ。まあ映画の中でもそのような描写はあるのでそこはお楽しみに。

音楽家としての才能の限界だけでなく、音楽をやること自体に恐怖を感じるようになってしまった監督は、プロ・ミュージシャンの道を諦め、映画製作の道へ進み『グランドピアノ』を手掛けた。というような背景もあります。

それを知ると、「本当にこういう話があるんだな」という視点で見ることができ、自分ゴト化しやすくなりますよね。実際今では体罰問題や法的な問題になりますので映画中のような過激な指導は少ないかと思いますが、それでもスパルタな先輩や上司は存在する世の中かと思いますので是非自分のライフスタイルに当てはめながら鑑賞して、「自分ならこう行動するな」と考えてみてください。


アップデートポイント:狂気さと妄執さの狭間の多幸感を味わう

さて、この映画のアップデートポイントはどこかと言いますと、狂気と妄執の狭間の多幸感を味わうです。何かに狂うほどに打ち込むことと、その先のことを妄想して抜け出せなくなること。そこには一種の幸福感のようなものを感じる時があります。

この映画ではニーマンが徐々に狂気じみてきます。一般的な音楽映画やドラマなどは音楽を一緒に演奏する尊さや喜びのようなものを描きますが、セッションは違います。友情や絆を描くというよりかは、音楽を極めるならこのくらいの狂気さと妄執さが必要だということを描いているように思います。

自分が本当に成し遂げたいことや、なりたいものがあるのであれば友情や協調性のようなモノを重きにする必要はない。狂気にも似たそのひたむきさと練習量、その先にある世界観や志を忘れずにただ「やる」まさにJUST DO IT.

時代の文脈上なかなか受け入れ難いマインドかと思いますし、ネガティブに捉えてしまいそうだと思います。ただ、誰しも寝食を忘れ、邪魔されると怒ってしまうくらい没頭できるものがあるのではないかと思います。もしくはそういったものが欲しいんじゃないかと思います

はたから見るとその人は辛そうで、消えゆきそうで、やめておいた方が良いんじゃないと思うこともあるかと思います。でも、その人は今が楽しいんです。今に幸福感を感じているんです。譲れない野望があるのです。この2つの人の見方には明らかにギャップがあります。まるで作中のフィリップとジム(ニーマンの実の父)のよう。

もちろん全員が音楽やアーティストなどになるわけではありませんので作中レベルの狂気さは必要ないのかもしれません。フレッチャーよりもジム(ニーマンの父)の安堵をくれる対応を求める人も多いと思います。

ただ、もし成し遂げたい野望があるのであれば狂気さと妄執さはそれを叶えてくれるスパイスになるのでしょう。もしくは、野望というくらいの大それたことはなくとも、直近で成功した目標がある人や、中長期的に何かを成し遂げたいと思っている人にも必要になるのではないでしょうか。

子どものころに徹夜したゲームを思い出してみてください。学生時代のテスト対策で学校が閉まるまで教室にいたことを思い出してみてください。そこには辛さよりも、狂気にも似た野心と妄執とが入れ混じりただ目の前のことに没頭する幸福感があったはずです。

今はそれがなかなかできない環境が多いと思いますし、継続的にそれをする心身ともにズタボロになっちゃうかもしれないので社会的には強くは進められていません。しかし、単発的に、時間の自由が許されている時だけなどは是非周りの目を気にせず、時間にもとらわれず没頭してみてください。そこには得も言われぬ多幸感があることかと思います。自分の野心の赴くままに今を没頭してみることの尊さはセッションから学べることかと思います。


まとめ

以上、セッションの映画についてでした。フレッチャーとニーマンの2人の狂気さを見ると音楽のフルメタルジャケットと言われる所以が分かります。

音楽を共に奏でることの魅力や素敵さを押しにするのではなく、自分の野心を成し遂げるためには絆やある程度の努力が必要なのではない。狂気的な努力と行き過ぎた妄想力が必要なのだと。

スパルタチックに聞こえますが、これくらいのメッセージ性がちょうど自分たちの心に残り、実践的にも効果があるんだと思います(笑)。刺激の多い映画ですのでまだ鑑賞していない方は是非見てみてください。

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