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やがて人生になっていくもの【2024.05.29の日記から】

 半年ほど前から日記を書き始め、今のところ一日も欠かさず毎日書いている。短い日で800字ほど、長い日は3,000字を超え、書き溜めた文字数の総計は36万字を超える。

 短くない時間を日記に費やしてきたこの半年、ずっと「日記とは何なのか」を考えていた気がする。特に、エッセイと日記の違いについて考えることが多かった。

 日記とエッセイはとても似ている。もちろん違いはある。たとえば日記はその日の日付で始まり、エッセイはテーマを端的に表したタイトルで始まる。エッセイは人に読まれることを想定して書くものであり、日記は自分だけのために書くものである。とはいえ、多くの人がネット上で文章を書いているいまの時代においては、多くの日記が不特定多数に読まれることを前提に書かれていて、エッセイにも投稿した日の日付が自動的につく。いまや両者の境界線は曖昧だ。

 それでもやはり、エッセイと日記は違うものだと感じる。その違いはどこにあるのだろう。自分が半年間日記を書き続けて実感したのは、日記は「書き続けること」がすごく大事だということ。なんなら書き続けることこそがキモであり、その点においてエッセイとは決定的に違うと感じる。エッセイとは基本的に点であり、意思を持ってその事象を切り取るもの、もしくはしるしをうがつもの。それに対して日記はやはり流れで読むものであり、日々の暮らしの記録や描写を積み重ねることで意味の生まれるものなのだと思う。

 日記が、日々の暮らしの積み重ねであるとするならば、それはつまり「やがて人生になっていくもの」だということだ。だからエッセイには上手い・下手があるけれど、日記にはない(好き・嫌いならあるけれど)。日記は、それぞれの人の人生と同じで優劣をつけることはできないし、誰かと比べることに意味はない、まったくない。

 だから、たとえ文章に自信がなくても、まったくの無名であっても、私/あなたの書いた日記はこの世に唯一のもの、ほかには代えがたいものであり、その点で必ず価値がある。

 だから私もあなたも、みんなもっと真剣に日記を書いていいし、軽率に本にしたらいい。そして気楽に売れたらもっといい。もちろん誰にも読ませない日記をひとりでつけることだって、クリエイティブで素晴らしい営みだ。でも勇気を出して公開すれば、唯一無二のものである私/あなたの日記が、それを求める誰かに届く奇跡みたいな出来事が起こるかもしれない。

 私が新卒で出版社に就職したときに叩き込まれたのは、「その企画は本当に需要があるのか」「利益が出る見込みがあるのか」という命題だった。「直感ですけどこれが来ると思うんですよねー」で企画が通るのは、すでに実績を出している売れっ子編集者だけだ。根拠もなく自分の思い入れだけで企画を通そうとすると、「お前さあ、趣味でやってるんじゃねーんだぞ?」と言われる。それはその通り。だから、商業出版においては、企画の良し悪しとは別軸で「通りやすい企画・通りにくい企画」というものがあり、たとえ唯一無二の素晴らしい日記であっても、企画として通りにくいタイプであれば、商業出版の流れに乗せるのは難しい。

 でも、文学フリマのような個人出版やZINEの世界は、基本的に「趣味でやってる」世界であり、利益が出るのかどうか、そもそも需要があるのかどうかは二の次で、最優先事項ではない。だからその気になりさえすれば、私/あなたの日記を本にすることができるし、売ることもできる。

 そのことに気づいたとき、私はものすごく衝撃を受けて、そしてワクワクした。なんでこんなにワクワクするのだろう、自分でもわからない。でも、そこに何らかの光明を感じたのは確かだ。暗い話題しか聞かない商業出版やオンラインメディア業界の閉塞感から脱却するための、何らかの光明。ここでなら、いままでは見落とされがちだった声を、生活を、眼差しを、営みをすくい上げることができるかもしれない。その可能性にワクワクしている。

 だから、臆せずに私/あなたの日記を本にして、売ることができたらいいなと思う。もっと軽やかに、もっと小さく、もっとゆっくり、もっと自由に、本にできたらいいなと思う。そのためにいま何ができるかを、最近はよく考えている。

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