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私小説家の死に接して

その時、僕は自宅のパソコンに向かって作業をしていた。

すこし休憩がてら、ちらとツイッターを見やるとTLがなにやら騒がしい。「ええ……」「ショック」「マジか」等々。誰も内容に言及こそしていないが、ただならぬ事態を予感させずにはおかなかった。(言うまでもないが、私のフォローしているのは古本関係者ばかりである)

そこから状況を理解するのに時間はかからなかった。

芥川賞作家の西村賢太氏が亡くなったのだ。あまりのショックに僕は己の眼を疑った。


僕が新刊を追いかけている現代作家は2名いて、1人が森見登美彦氏なのだが、いま1人が西村賢太氏であった。

賢太氏は中学卒業後に長らく日雇い労働で糊口をしのいでいた過去があり、その経験に材を取った私小説作家として知られている。粗雑で暴力的でどうしようもない男「北町貫多」の生き様は、時おり眼を背けたくなるほどおぞましいが、自分のどこかに潜んでいる悪意を突き付けられるような感覚が、僕は好きだった。

私小説の主人公をイコール作者と見なしてしまうのは危険なことだが、生前賢太氏は「私小説ですから、ほんとうにあったことを書かないと面白くないんです」というようなことを語っていた。現に、氏は暴行の前科持ちなのだった。


氏には2度だけお目にかかることができた。いずれもトークショー兼サイン会においての思い出である。

そういう泥臭い作風なので、てっきり乱雑な人なのかと思いこんでいたが、実際にお会いしてみると非常に腰の低く丁寧な方だった。
もちろん僕は「お客さん」で、氏も仕事で来ているわけだから、その場でファンを蔑ろにするはずはないのだが、サインの順番が回ってきたときに「どうも、おまたせしました」と逐一言ってくださっていたのが印象的だった。

せっかくなので、と二言三言感想や質問を言うと、氏はサインを書く手を止め、まっすぐにこちらの眼を見て答えてくれたものだった。

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氏は小説家としての活躍だけではなく、近代の私小説作家研究においても一流の手腕を持っていた。

田中英光の全集未収録作品や関連資料を集めた『田中英光私研究』(全8輯)は英光研究・私小説研究を志すうえでは必読書と言っていいだろうし、氏が没後弟子を名乗っているところの藤澤清造については、『根津権現裏』を始めとする著作を現代に蘇らせた功績があまりにも大きい。

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氏の研究は、全集に載ったテキストを徒にこねくり回すような陳腐で凡庸なものとは明確に一線を画し、自ら身銭を切って資料・古本を蒐め、忘れられた作家たちのしごとにスポットを当ててきたのだ。古本マニヤの末席を汚す僕としては、とても親近感がある作家だったというわけである。


ときに、氏の愛読者であれば多くの人がそうだろうと思うのだが、僕の文章は氏から少なからぬ影響を受けている。

賢太氏はその作品において、近代文学的な「小難しい」語彙を巧みに操っていて、それが賢太文体とも言うべき独特の文体を作り上げているのである。これは文章だけでなく口頭でも同じことが言え、トークショーで話を聞いていても、氏は"難しい言葉"をこともなげに且つ実に的確に使いこなしているのだった。それを聞いた僕は、一に尊敬し、二に憧れを抱いていた。(むろん、文学的素養の乏しい僕には到底追いつけるはずがないのだが)


そういう敬愛する作家で、なまじお会いしたことがあった分、今回の訃報はほんとうに悲しかった。せめてもの慰みは、サインを頂く時に「『焼却炉行き赤ん坊』が一番好きです」とお伝えできたことであろうか。

ちょうど今日は休みが取れたので、氏の作品を読み返して故人を偲ぼうと思っている。



ところで、本記事の冒頭に「パソコンに向かって作業をしていた」と書いたが、実はある作家の世に知られていない作品をワードに書き起こしていたのだ。長年探していた本を先日ようやく入手し、アテこそないがなんとなくテキストデータ化しておこうと目下少しずつ取り組んでいる。

僕の能力では復刻とかそういうことはできないと思うのだが、藤澤清造の復権に尽力した賢太氏に倣って、出来る範囲で頑張ってみてもいいかもしれない。


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(著作はもっと持っているのだが、散らかった書斎での発掘は困難を極めた)

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