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セントラルアパートは始まっている

ハラカドがオープンしてちょうど1ヶ月が経ちました。実は今、想像以上の面白さを毎日感じています。

基本的なデザイン事務所の構造を解体し、仕事ができることが大切な空間から、一般のお客様が出入りできる商業空間に身を置き、予定していない事が起きる場所、まわりに他の会社、テナント、仲間がいる事、原宿の交差点という一等地にあること、そんな、デザイン事務所には必要なかったことすべてが、新しいデザイン事務所、新しい「デザイン」そのものを作ることができるのではないかと期待しています。

「ハラカド」というあたらしいアートディレクション

2024年4月17日11時、原宿のあの交差点に、ついに「ハラカド」はオープンした。
その日は、不安と期待が入り混じり、その場にいたいような遠くに逃げたいような気持ちでした。(実際に大阪にいました笑)
ジョージルーカスが、スターウォーズ公開日に不安すぎてハワイに逃げていたという、その感覚。
思い返すと、このビルに関わるようになって5年が経っていました。
「どんなビルになればいいのか一緒に考えて」
そんな言葉で、喫茶檸檬という喫茶店を富士吉田という街で一緒に企画した、永谷亜矢子さんから誘われた時は、まさか、商業ビルの中にデザイン事務所を構えるなんて全く思っていませんでした。

実は「ハラカド」が建つ前、この場所にあったビル、コープオリンピアアネックスは奇跡的に「れもんらいふ」創業の地です。
この交差点は、70年代に「セントラルアパート」という、タモリさん、糸井重里さんなど
クリエイターが事務所を連ねるアパートがあり、原宿のカルチャーを牽引する僕のあこがれの聖地でもあります。

「セントラルアパートをもう一度作りたい」
ビルに関わるなら、何をするべきか?僕の中で、徐々に解像度が高まっていきます。
通常の商業ビルは、人気のテナントが入りますが、原宿という土地柄、街のカルチャー、文化を継承するには「クリエイターが集う」ということが重要と考えました。
学生時代、関西に住んでいた頃から、深夜バスで原宿を時々訪れ、ギャラリーや洋服屋、レコード屋などをまわり、そこにいる雑誌で見かけたことのあるクリエイターの姿に憧れていました。原宿は、クリエイターが集う場所というイメージがありました。
セントラルアパートの喫茶店、レオンで、川久保怜さんと山本耀司さんが交流したことで、のちに世界に黒の衝撃が広がったり、広尾にあった細野晴臣さんのご実家(HOSONO HOUSE)と呼ばれたその場所は、自然と、音楽好きが集まり、大瀧詠一さん、松本隆さんなど様々な人の交流が、エイプリルフールを作り、はっぴいえんどが生まれて行ったように、自然に文化、カルチャーが発生するには、クリエイターが自然に集まれる場所をつくらなくてはいけないと考えました。

そんな思いを東急不動産さんにぶつけ、
「僕がここに事務所をかまえて、クリエイターがあつまる場所をつくります」
と、れもんらいふというコンセプトショップをプレゼン。

3年前に提案した、初期のれもんらいふイメージ


デザイン事務所を商業ビルのオープンな場所におく。というむちゃくちゃな提案をしました。
もう、3年も前のことです。
東急不動産さんからも、この場所を原宿らしい商業施設にする!という思いが一致し、大変な挑戦がスタートしました。

僕も初めてのこと。
デザイン業界としても初めてのこと。
商業ビルとしても初めてのこと。

人が歩く場所で本当に仕事ができるのか?
クリエイターは本当に来てくれるのか?
商業ビルにそんな意味が必要なのか?
想いとは裏腹にさまざまな疑問や問題があがってきます。

実際、東急不動産さんと協議をかさねはじめると、この一等地のこの場所は、普通に考えて、家賃も、敷金も、内装費も桁違いでした。
わたしたちは、商業テナントではなくただの小さなデザイン会社。この場を利益目的のためではなく、東急不動産さんの新しい挑戦と、原宿という街、広くはデザインという仕事、日本のクリエイターの未来のために入るんだと、ある種、それは実験でもある。デザイン会社にとっても、商業ビルにとっても。他のテナントとは、会社の目的も、業種も資本も違うので、そこをベースに会話をしなければ、到底太刀打ちできる金額ではありませんでした。

お互い、想いは同じ、お互いそれぞれの譲れない仕事もある。不動産会社とデザイン会社は、全く違う業種で、簡単に考えは埋まるはずがない。
「これは、入るのもう無理かもしれない、、、」
敷金の調達などさまざまな課題を、無理してでもクリアする理由がどこにあるのか、、、と、何度も悩みました。
「このビルには、れもんらいふが必要だ」と、
東急不動産さんからも、れもんらいふがそこにあることの意味への業務委託契約の提案など、さまざまなアイデアをいただきました。
「なんとかなるかもしれない」
内装も、いつも広告の撮影などでご一緒する舞台美術の方に協力してもらい、通常の内装費から大きくコストを下げました。
ハラカドのロゴデザイン、オープン広告や、エントランス看板のデザイン、取材など、さまざまな連携を経て、2024年4月頭、ついに引っ越し、そしてオープンを迎えました。

かなり奇跡的なことだと思う。
かかった費用は、れもんらいふのようなちいさなデザイン会社では用意できるものではない。準備には、3000万以上かかっているし、家賃は言えないがウン百万円。それでも、その覚悟を決めて、この商業ビルに入った。
覚悟。
クリエイティブに対する、新しい未来に対する覚悟は、中途半端なものには負けないパワーがある。

ハラカド3階のオフィス


水曜日のカンパネラ、詩羽が開業イベントに現れる。僕の初監督映画アイスクリームフィーバーのロケ地としても使わせてもらった、小杉湯の店主、平松さんと、番頭の関根さんが地下にいて、おはようと声をかけ合う。ずっと一緒にハラカドのクリエイティブフロアのコンセプトを作り上げてきた、OOAAの大木さんが、すぐ横のコワーキングスペースBABY THE COFFEE BREW CLUBにいつもいる。打ち合わせアポを取っていないクリエイター、アーティスト、企業、飲み友達がふらりと現れ、なんかやろうよなんてやりとりをする。となりのJ-WAVEから、ちょっと出て、なんて声がかかる。れもんらいふのスタッフが息抜きする、周りの人とも仲良くなる。東急の方たちも、千原さんどうですか?と、話をする。デザイン会社に興味のある人たちがれもんらいふを覗きに来る。夜はレストランフロアに行き、ビルの仲間に会う。子供たちが、学校終わりに事務所にやってきて、銭湯に一緒にはいり、ご飯を食べて帰る。そんな今までになかったコミュニティが生まれている。これが、街の人との交流であり、僕のこれからの人生の風景なのだ。憧れた、セントラルアパートは、もう始まっているのだ。

映画をつくりたい、デザインの仕事をもっと知ってもらいたい、原宿で仲間をつくりたい。そんな想いは、閉ざされたデザイン事務所でもできたかもしれない。でも、この場所ならみんなのチカラでその想いを実現することができる。苦労して入った覚悟と、ハラカドがそう思わせてくれる。開業から1ヶ月、とにかく今、たのしい。

もう一つ。
RE:DESIGN SCHOOL という、クリエイティブのスクールを立ち上げました。グラフィックデザイン、UIUX、CG、映像編集、DTMの技術が身につきます。子供むけのカルチャークラスもあります。プロが教えます。技術が身につくといことはもちろんですが、上記の話にあったように、このスクールの1番の目的は、このハラカドの新しい仲間をつくることです。この場所に集まった仲間は、僕のこれからのクリエイティブ人生に大切な人たちです。5月25日まで、入学申し込みを受け付けています。
ぜひ、「原宿で一緒になんかやろう!」

↑申し込み締め切りは5月25日23時59分

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