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最終章 大脱走

 会場中に響き渡る大ブーイングの傍ら、二人の男達は、抜き足、差し足、忍び足。客席からひっそりと、姿を消していた。そう、長谷部と香西課長は誰よりも早く換金所を目指したのである。
「Congratulation,Congratulation・・・」
妙に上がらないテンションの英語と共に、現金1000万超が、長谷部達に手渡された。換金所のスタッフもまた、黒いスーツにサングラスだったが、あのおっかない黒服とは全く体型も風格も異なる、威圧感のない落ち着いた男性だった。
「なんで英語なんだよ・・。」
香西課長が地味に突っ込んでいたが、この際そんなことはどうでもよい。長谷部はあらかじめ香西課長が用意したくたびれた旅行鞄に現ナマを詰め込み、ニヤニヤしていた。
「VIPは日本人だけじゃないんですよ、ほら、早くズラかりましょ・・。」
「あ、ああ、そうだな・・これでやっと俺も・・・。」
二人が詰め込んでいる姿は誰がどう見ても銀行強盗、もしくは火事場泥棒のそれであった。
「早く早く・・あ、そこちゃんと押さえて――え?」
ヴ――――――ヴ――――――!!!
ようやく全てのキャッシュを収納しようとしていたその瞬間だった。けたたましくサイレンが鳴り響いたのである。
「な、なんだぁ!?」
ただでさえ心拍数が急上昇していた香西課長は、もう心臓が止まるのではないかというほどに驚き跳びあがった(少なくとも長谷部にはそう見えた、2cm程)。と、サイレンと共に聞こえてきたのは聞き覚えのある叫び声であった。間違いない、三谷だ。
「離せ!!おい!!!」
声の方向へ顔を向けると、そこには黒服が数人、三谷を囲んでいた。三谷は掴まれかけていたが、その掴んだ黒服の腕を噛みつき、タックルで突き飛ばすと、ものすごい速さで走り抜け、慌てているオッサンども群衆の中へ突っ込んでいった。
「やばい、ばれたか、行くぞ・・!!」
「はい!」
香西課長も長谷部も何が起きたかは一瞬で理解できた。いよいよ挑戦者が招かれざる客であったことに気付かれてしまったようである。
「たく、揃いも揃ってみんな黒服かよ・・。」
走り出した二人は、階段をとにかく上がり、ひな壇の上部からカジノの外へ出ようと急いだ。
しかし、ふと振り返り、二階から長谷部が下を見ると三谷は、スロットコーナー辺りで転び、黒服に捕らえられかけているではないか。このままでは―――
長谷部は咄嗟に鞄から札束を取り出し、束の封を破き解いた。
「おい、長谷部、お前!」
香西課長が止める暇もなく、長谷部は札を二階から投げ捨てた。
「くそ、くそー!!」
長谷部は立て続けに札を投げばらまいた。大量の紙幣が三谷のいる一階に降り注ぐ。人間という生き物は悲しいもので、もう財を成し、金持ちになったところで、根本的な欲の部分は本能的に変わらないようである。カジノ内にいた客も、そして黒服たちも、長谷部を見上げ、そして、投げ入れられ宙を舞う札に、釘づけになったのだ。
「長谷部・・・サンキュ・・!!」
三谷はその一瞬の隙を突いて、またも走り始めた。カジノ一階はもう、大混乱である。しかし、まだまだ三谷のいる位置から長谷部らの二階、そして出口までは遠かった。このままでは3人とも捕まってしまうかもしれない。
「ちっ、俺だけ逃げるわけにもいかねえよな。」
香西課長は三谷を助けようとする長谷部を見て、ため息をつくと、懐からライターを取り出した。
「課長?」
「どうせくれてやるならよ、これくらいしろってんだ・・・!」
次の瞬間だった。香西課長は札束に火を押し当て、投下したのである。未だかつてない、泣きそうな顔をして。
 香西課長、怒りと悲しみマネーの炎がカジノ中に降り注いだ。いよいよこの世の終わりかという景色である。金を拾い、衣服の中へ仕舞い込んでいた男達がふと頭上を見上げると、今度は火に包まれるのだ。
「ははは、燃えろ、燃えろぉ!」
香西課長は笑いながら、次から次へと資金を投入していった。だめだ、完全に壊れている。
「な・・世紀末だなこりゃ・・・課長、その辺で・・。」
「うるせえ!お前が投げたんだろうが!」
最早、彼を止められるものは誰もいなかった。地下カジノはまさに地獄絵図。このままでは自分たちも逃げ遅れて焼け死んでしまう、そう思ったとき、
「雨・・?」
今度は頭上からシャワーが降り注いだのだ。どうやらスプリンクラーが作動したようである。
「次から次へと忙しいな・・課長!あとは三谷を信じて脱出しましょう!」
長谷部は上から、三谷が黒服たちから逃げ出したのを確認し、壊れた香西を出口方面へ引っ張った。
「・・あっ。ああ・・。」
いよいよ金も持たずに、逃亡を図る羽目になってしまった。もう少しで大金が手に入ろうとしていたのに・・しかし、仕方がない、当たり前だが三谷を見捨てるわけにはいかないのだ。
そしてようやく出口へ向かい走り出した長谷部、しかし、香西課長の気配がない。ふと振り返ると、香西課長は立ち止まったまま、未だ、一階部分を見つめていた。
「課長!早く!!」
長谷部が怒鳴ると香西課長は長谷部の方へ振り返り、曖昧に笑った。
「すまん!先に行ってくれ!!」
「え?」
「人生面白いもんだな!俺はさ、このタイミングで見つけてしまったぜ。」
香西課長が何を言っているのか全く理解できなかった長谷部だったが、課長のいる、一階部分が見渡せる先ほどの踊り場へ駆け寄った。
「課長、何を・・。」
「アレだよ、どうしてもここでぶん殴ってやるさ・・!」
課長の口ぶりは、それはもう、50代の言葉ではなかった。何十年も前にきっと、そんな喋り方は忘れてしまったのだろう。しかし、確かに今、そんな強い口調で香西課長は長谷部に訴えかけた。課長の指差した方向を見ると、長谷部にもやっと意味が分かった。そこにはいたのだ。しれっと脱出を試みるスーツ姿の支店長の姿が。
「じゃあな、ありがとう!」
香西課長は、そういうと階段を駆け下りていった。それと同時に、長谷部の元へ駆け上がっていく三谷とすれ違い、それを追いかけている黒服は、一人、修羅場へと舞い戻ろうとしている香西課長に阻まれ、将棋倒しになった。
「三谷!大丈夫か!」
「おう!それより早く逃げねえと!!」
三谷は振り返りながら事態が飲み込めないような驚いた顔で、息を切らしていた。カジノ内はもう、スプリンクラーから降り注ぐ雨が、煙の中を覆い尽くしていた。視界も最早あまり良くない。
「香西課長!!」
長谷部は2階から身を乗り出し、香西課長の様子を確認しようとした。彼は、逃げようとする支店長の目の前に、立ちふさがっている、ちょうどその瞬間だった。
「長谷部!お前、何やってんだよ!出口は二階じゃねえぞ!!」
「えっ。まじ?」
まさかの展開に長谷部はあんぐり口を開けた。
「やっぱりそんな事だろうと思ったぜ、課長さん、もう降りてんじゃねえかよ!」
ハッとした。そうか、どおりで二階席に誰もいないはずである。出口だと思っていた二階の扉は、どうやらVIPルームのようであった。
「いや、香西課長は・・まあいい、すまん、助かった、早く脱出しよう!!」
長谷部は混乱しつつもとりあえずまた別の階段へ走り出した三谷について行った。黒服たちももう、集団では追ってこない。異様な状態に、逃げ出す者も現れているのだろうか。
人ごみをかき分け、非常出口へ詰めかける客たちと、逆方向へ三谷は突き進んでいた。
「こっちだこっち、例の控室に繋がってる!」
三谷に全乗っかりで、流れに逆らい、人のいないプロレスリングの脇の、関係者用通路へと滑り込もうという時だった。左手に、降り注ぐスプリンクラーの雨の中、二人の男が対峙しているのを、長谷部は見逃さなかった。
 二人の中高年は殴り合っている。それは、まるで子供のケンカのようだった。ノーガードで、ひたすら力任せに打ち合い、張り倒そうと、お互い本気でもみ合っている。と、香西課長は、支店長を投げ飛ばし、その前に立ちふさがった。
「ほら、立てよ。まだやれんだろぉ?」
香西課長は、気迫に満ちた顔で、倒れた支店長に迫っている。1時間前とはまるで別人だ。
「どうしたんだよ、こんなところでよ。あんた人生勝ち組じゃなかったのか?」
課長が挑発とも取れるような問いかけをすると、支店長はふらりと立ち上がり、突然、ニヤリとしたかと思うと、声を上げて笑い始めた。
「ふ、ふふふ、ハハハ――!」
一瞬顔がひきつった香西課長だったが、すぐに身構え、ファイティングポーズをとる。
「おい、お前も満足してねえからここに来たんだろ?」
支店長はそういうと香西課長にふらりと近づいた。
「ああ?俺はお前みたいな勝ち組とは違ってなぁ――」
言いかけた課長だったが、それを遮るように、支店長は声を張った。
「ハハハハ!くだらんな!勝ち組だか負け組だかなんて!」
「なんだと?」
「は・・・毎日毎日、朝6時に起きて電車に乗り込んで!月から金まで繰り返し、気がつけばこんな歳だ!俺たちはこのまま死んでいくのか?・・退屈、退屈、退屈だけが襲ってきやがる、なあ?お前もそう思ってんだろ?このくだらない世の中によぉ!いくら出世しても、いくら稼いでも・・!!何をやっても満たされん、もう、どうしようもない・・ハハ。」
支店長がそう言い捨てたのを見て香西課長は、口角を上げた。
「・・ふっ、何言ってやがる。」
「あぁ?」
「お前の求めていた生きがいは、今、この瞬間なんじゃねえのか?」
香西課長は、確かに、確かに笑っていた。そして、支店長は呆気にとられている。
「来いよ、まだ殴り足りねえ。」
課長が手招きした。支店長もまた、笑っていた。
「ああ。」
 長谷部が見たのはこのシーンまでだった。三谷に引っ張られ、狭い通用路へと走り、二人の中高年の姿は、小さくなっていった。それと同時に、まだ追いかけてくる黒服が長谷部たちに猛ダッシュしているのを発見した。
「くそ、まだ来るか・・!急げ!」
三谷と長谷部が更に速度を上げ、通用路を走り抜けようとしたその瞬間だった。
パチン
目の前が真っ暗になった。どうやら遂に停電したようである。いよいよパニックに陥っていくであろうジェスコという名の地下カジノであったが、長谷部は暗闇の中、前を走っているはずの三谷を信じ、突き進んだ。
「ははっ、こうなったらむしろ好都合だな!ついてこい!」
三谷の楽しそうな声を聞いて、長谷部は安心していた。暗闇の中のはずなのに、何の不安もなく、走った。と、走っているはずの通用路の先に僅かだが、光が漏れていることに二人は気がついた。それは、近づいてゆくと、段々とはっきり見えてきた。
「扉か?」
三谷が長谷部に呟いた。
「だな。行くしかない。」
光は近づいてきた。これは、思ったより大きな扉である。隙間から漏れる光。そして、背後から迫ってくる足音。押し出して開けようとするもびくともしない。
「くそ!あかねえ・・!」
三谷がうろたえながら体当たりしている。と、長谷部は手探りでこの壁を調べていると、何やら取っ手らしき出っ張りに触れた。
「三谷、これは・・!」
「え?」
ガコン・・!
壁、いや、大きな鉄製の扉は鈍い音をあげて動いたのである。
「うわ!」
全力で押した二人は、開いた扉の向こうに盛大に転んだのであった。扉は気圧の関係なのか風なのか、ものすごい勢いで、また、閉じていった。挟まれかけた長谷部は寸前のところで足を引き抜き、九死に一生を得た。
「眩し・・ここは・・?」
騒がしかった雑音も一切聞こえなくなり、白く、眩い光が当たりを照らす。長谷部が目をこすり、起き上がると三谷が背を向けて立っていた。
「地下鉄と地下カジノってか・・。」
その言葉に長谷部はハッとした。ここは、そうだ、駅のホームである。だが、無人だ。
「ここってもしかしてさ・・。」
「ああ、どうやらここに繋がっていたみたいだな。」
見渡すと、確かにここは、三谷と最初に出会ったとき、電車から走って逃げて辿り着いた、あのホームであった。
「はは、まさかの展開だなおい。」
長谷部はホッとし、三谷に笑いかけた。と、そのとき、遠くから、聞き覚えのある音が聞こえてきた。
「あ、これって・・。」
「おう、電車だな。」
三谷は不思議と驚いた顔もせず、その音が近づいてくるのを待っていた。まるで今から出勤するサラリーマンのように、ホームの最前へ立ち尽くし。
「おい、三谷?どうした?」
長谷部がホームの向こう側を向いている三谷の肩を叩くと、三谷は険しい顔をしながらも、ぎこちない笑顔を見せて、振り返った。
「やばいな、この感じ、眠くなってきやがった・・。」
三谷の言葉に長谷部はゾッとした。
「うそだろ?三谷・・。」
電車の警笛が聞こえた。滑り込んできた車両は、いつも長谷部が通勤で使用する、臙脂色の4ドア車だった。
「ああ、やっぱりお前もわかってたんだな。」
三谷はやれやれ、と言わんばかりに首を振り、長谷部の肩を両手で掴んだ。到着した電車のドアは開く。
「おい、何だよ三谷、どうしたんだ?」
長谷部は思い出してしまったが、知らないふりを続けた。
「とぼけんじゃねえ、もう気がついてんだろ?時間がねえんだよ、なあ・・。」
三谷は鋭い瞳で、長谷部の目を突き刺した。もうごまかせなんてしない。
「・・そうか、三谷もか。」
「ああ、もう、アラームの音が響いてるぜ・・。」
三谷は泣きそうな顔を一瞬した、が、すぐに笑顔で、
「長谷部!最高だったぜ!最高の大冒険だった!」
そう叫ぶ三谷の目はもう、開いてはいなかった。長谷部も三谷の肩を抑え、懸命に揺らした。
「だよな、最高だった!また会えるよな!今度は海外か!?また一緒にさ――――」
発車ベルがホームに鳴り響く。長谷部が言い終わらないうちに、三谷は長谷部を臙脂色の車内へ突き飛ばした。ドアが、ゆっくりと閉じていく。
「三谷、みた―――」
プシュ―・・ウィ――・・・
電車はいつもと同じ音をたて、走り出した。力が入らず、座席にもたれかかった長谷部に睡魔が襲った。
「くそ、くそ・・・。」
瞼が降りてくるのが分かった。そうだ、段々と遠くなってゆくこの感じ。目覚めは近い。

誰もがその瞬間まで気がつかないものさ、ああ、この世界では本気だったんだ。

 辺りを見渡し、急いで下車する。冷たい、代わり映えしない最寄駅のホーム。右手には、小田島の親父が開いた居酒屋のチラシを握りしめていた。改札を出る。
 降り注ぐ雨が、冬の終わりを告げていた。

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