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第10章 VSジャスコ(後編)

 熱い、それでいて息苦しい。そして・・真っ暗だ。冬服に全身埋もれた長谷部は動悸が収まらなかった。全速力で走ったせいもあるが、動揺していた。こんなに新鮮な空気のありがたみを感じたのは初めてである。何が起こっているんだ・・?
「おい、三谷・・。」
長谷部は三谷に聞こえるかわからないほどの僅かな声量で呟いた。が、しかしすぐに返事は来た。
「おう・・俺もよくわかってないんだ・・・。ただ、トイレから出て戻ろうとした時に・・。」
まだ何も質問したわけでもないのに、三谷は説明し始める。
「隙間が見えたんだ、そう、自動販売機が置いてある裏にな。細い通路みたいなもんがあって・・。」
話が全く見えなかったが、長谷部は声もあげられずに、ただ黙って聞いていた。
「照明もついてないしよ、なんか気になって自販機飛び越えて奥を見に行ったんだ、そしたら・・。」
「おいおい、ちょっと待て、お前自販機の上乗り越えたのか?」
やはりとんでもないことをする男だ。店内でしかも、自動販売機って・・1.8メートルくらいか・・?
「ああ。そしたらよ、暗くて細い通路なんだけど、一番奥がなんかぼーっと光ってて、なんていうか、青いライトの非常ドアみたいな、そんな感じの扉だけあって行き止まりでな。」
その続きは何となくわかった。そう、きっとこの男はそのドアを開けてトラブルに巻き込まれている。間違いない。
「開けたのか?」
長谷部は分かりきっていたことだが、確認した。三谷は、顔は見えなかったが、きっと苦笑いをしているのだろう、何枚もの服越しに頷いているのが分かった。
「まあな。そしたらさ、いきなりベルが鳴り響いて。びっくりしたぜ、心臓止まるかと思ったよほんとに。・・でもこのまま退くのも悔しいから扉の向こうを見てやったんだ。なにがあったと思う・・?」
三谷の声が段々大きくなっていくのが分かった。まずい。長谷部は服まみれのワゴンの中、手探りで三谷の体をたたいた。
「おう、すまんすまん・・・。それがさ、エレベーターがあったんだよ。」
長谷部は、三谷の見た奇妙な景色を、ワゴンの中で丸まりながら聞いていた。
三谷曰く、青いライトの非常ドアの向こうには、かなりボロボロのエレベータが一台、そしてその隣には野外へと続く非常階段のような鉄の色をした、しかし屋根は付いたような階段が、一本だけ下の方に伸びていたというのだ。一台のエレベータと外に伸びる一本の階段。ここまで聞くと従業員用エレベータとただの非常階段のように聞こえる。しかし、何かがおかしいのはここからであった。三谷が言うには、そのエレベータの電光掲示に表示されていた階が、なんと、『B3』だったらしい。そして、それを確認したその瞬間に、非常階段の下の方から全力疾走する足音が聞こえてきて、焦って引き返してきたのである。
これらが意味するのはどういうことか、長谷部には聞いた瞬間すぐに分かった。招待状に書かれていた『ジェスコ』という闇カジノがあるとしたら、その入り口、それは間違いない、ここだ。長谷部の15年以上使っているジャスコには、地下三階なんて本来存在しないはずなのだから。
長谷部は、先ほどとはまた違う心臓の鼓動を感じていた。この錆びれたデパートの下に、今自分がいるこの真下に・・・あるのだ。そのことで頭がいっぱいになっていたそのときである。
「おい、来たぞ。」
三谷に言われ初めて気が付いた。ツカ、ツカ、ツカ・・確かに聞こえてくる。連中の足音だ。
「・・・(頼むぞおい)。」
心の中で何度もそう呟いた長谷部、もう心拍数はこれ以上ないくらいにまで上がっていた。しかし、そんな長谷部の願いもむなしく、段々と足音は大きくなってきている。もうだめだ・・!気づかれている!そう覚悟したその時だ、
ガシャーンッ!
突如大きな音がジャスコの3階中に響き渡った。何かの割れるような、そんな音だ。
「なんだ?」
特に動じることもない低い男の声が微かに聞こえた。本当にもう目の前まで来ているようだった。
しかし、その男はきっと音の鳴った方向へ走って行ったのだろう。足音は遠ざかっていった。
「ひゅー、あぶねえ・・。」
三谷はそういいながら洋服から頭を出したようだった。長谷部も慎重にあたりを見渡しながら、久しぶりに新鮮な空気を吸ってみた。たった数分だけのはずだが、なんだかとても長い間、閉じ込められていた気分である。いやしかし、暗闇には目が慣れてきたようだ。店内の様子が今ならはっきりとわかる。近くには人の気配はなくなっていた。
「今のうちだな。」
長谷部がそういうと三谷も頷き、二人でワゴンから降り、そろーり、そろりと歩き始めた。
「階段からいこうか。」
珍しく長谷部が先頭に立ち、進んでゆくものなので、三谷は少々驚いたような顔をしている。
「なあに、このジャスコはもう10年以上通ってるからな。任せろ。」
そう、長谷部はこのジャスコを人並み以上に知り尽くしていた。小学校時代は店の中で鬼ごっこやケイドロをしてよく怒られたものである。
「こっちから降りればすぐ出口だ、見つかったらとにかく走ろう・・。」
このジャスコ、ほとんどの客はその存在すら知らないかもしれないが、エレベータ横の大きな階段とは別に、B階段という微妙な通路がある。エスカレータの近くな上、ドアがあるので、とにかく地味で誰も使わないのだ。
「よし・・誰もいない・・・。」
二人は人がぎりぎりすれ違えるほどの階段を音をなるべくたてず、それでいてなるべく速く、駆け降りていった。三谷が見た青いライトの非常ドアの向こう側も、こんな感じの階段に繋がっていたのだろうか?いやしかし三谷は、『野外へと続く』と言っていた。ということはそれは、外付け階段なのか?もしかしたら、カジノができたとき後から造ったものなのかもしれない。・・よし、デパートを出たら外から階段の位置を確認してやる・・・。長谷部はなぜか冷静に、そんなことを考えながら、階段を走ったのであった。
「ここ出たら右にダッシュだぞ。」
「おう。」
一階まで降り、階段の扉の前、長谷部の指示に三谷は頷いた。ここだ、ここさえ抜ければ外に脱出できる――そんな期待を寄せてそーっと扉を開き、一気に走り出すはずだった。しかし、その瞬間。いたのだ。目の前に。
「げっ。」
長谷部は心臓が止まりそうだった。もう体は勢いよく走り出しているというのに、正面にいるこいつはなんだ。全てが最悪のタイミングだった。
「あーーー!」
長谷部は思いっきり、ぶち当たってしまった。しかしなんだ、急に飛び出してきた長谷部のタックルに倒れるどころか、びくとも動かない。長谷部は弾き飛ばされて、男の足元へ転げ落ちてしまった。三谷もこけそうになったが、かろうじて体勢は保ったようだ。長谷部は一瞬何が起きたか理解できなかったが、頭をあげたとき、初めて状況が飲み込めた。
「なんてこった・・・。」
立ちはだかるその男は、おそらく190センチはあるだろう。ありえない肩幅をしている、しかし、なぜかわからないが、スーツにサングラスの巨漢であった。
「・・・。」
ターミネーターじゃねえか・・、アーノルド君も真っ青のその黒服は、何も話すことなく、首をポキポキと鳴らし、長谷部へと手を伸ばそうとした。こわい、こわすぎる、これは何の罰ゲームなんだ。
「やめろー!」
恐怖で動けなくなっていた長谷部を助けるように、三谷は黒服に向かって勇猛果敢にも掴み掛った。が、黒服が腕を振り回すと、三谷は無残にも吹き飛び、買い物籠の山に突っ込んでしまった。信じられないことに、2mは飛んだのだ。
「うそだろ、うそだろ・・。」
黒服は三谷の方を振り返った。こいつはいかんと思い、長谷部はこの隙に立ち上がり、食品売り場へと走り出した。とにかく三谷の方に行かせてはいけない、距離を取らせねば、殺られる。本能的にそう感じとったのだ。
「おおおい!こっちだおい!」
声をふり絞り、長谷部は黒服を挑発してみせた。言葉にならない、震えていた。悲しいことに黒服はこっちを向いてくれない。
「くそー、こうなったら・・。」
長谷部は売り場に陳列してあったリンゴを手当たり次第に投げはじめた。リンゴで攻撃するだなんて、ディズニー映画のアラジンでしか見たことがない。しかし思いのほか投げやすかった。
「ほら、ほら、おい!」
ほとんどまともに当たらなかったが、そのうちの一つが黒服の後頭部にヒットした、が、なんとリンゴは勢いよく砕け散った。まさかの出来事に絶句である。
「ひぃ!」
思わず投げた側の長谷部が悲鳴を上げてしまった。あの野郎なんて石頭だ。本当に人間なのだろうか。
「・・・。」
しかし作戦は成功、頭をさすりながら黒服は三谷へ近づくのをやめ、長谷部の方を振り向いた。
「うわ、これはこれで・・。」
若干後悔するほどの恐怖が長谷部を襲う、しかし、体が勝手に動いたのだ。この腕が、リンゴを投げたこの腕が悪いのだ。
「ハハハハ・・。」
長谷部はひきつった顔で苦笑いした。さて、どうしよう、三谷は気絶してしまったのだろうか。連中の仲間が来る前になんとか三谷を連れて逃げる方法はないのだろうか・・・。そんなことを一瞬で考えていた長谷部だったが、黒服はおもむろに買い物籠の隣に置いてある買い物カートに手をかけた。
「え?」
次の瞬間だ。黒服はカートを片手で持ち上げ、長谷部に向かって投げたのだ。そう、長谷部がリンゴを投げるように。
「うおおお!」
間一髪足元に飛んできたカートをジャンプしてかわした長谷部、カートは音を立てて背後の白菜売り場に衝突した、
振り返ると、陳列棚が大破している。なんてこった、こんなの食らったら死んでしまう。そう思って黒服の方に向き直ると、
「げっ。」
そこに立っていたのはスーツにサングラス、両手に買い物カートを持ち上げた姿だった。ここまでくると、もはや色んなものを通り越してコメディである。
「いや、ほんと、ね・・俺が何したって言うんだよ・・なんだよ・・・。」
そんなことをモゴモゴ口走っているも、予想通りカートは容赦なく飛んできた。距離をとっても危険度は変わらなかった。とにもかくにも避けるしかない。なんだか急に小学校時代のドッヂボールを思い出した。クラスの野球部たちに囲まれ、ひたすら休み時間が終わるまで剛速球を避け続ける日々が懐かしい。今となっては遊びの仲間に誘ってもらえるだけありがたいと思う長谷部だったが、当時は恐怖でしかなかった。あんなの投げる側と投げられる側の二つしかないスポーツである。
「くそー。」
しかし、そんな体験がここではプラスに働いたのかもしれない。奇跡的にも長谷部は飛んでくる買い物カートを避けて避けて、避けまくった。かすりもしなかったのである。そして黒服の後ろで、こっそりと動いている三谷の姿が見えた。こんな状況だが希望の光が差し込んだ気分だ。と、その瞬間長谷部は足元のカートに躓き、こけてしまった。まずい、次のは避けられない――終わった、と思い前を見ると、ちょうど黒服の投げていた買い物カート置き場は『弾切れ』を起こしていた。なんとか避けきったのである。
「ひゃー、じゃ、じゃあな!」
長谷部は黒服に背を向け走り出そうとした、が、振り返るとそこには買い物カートがびっしり転がっている。どうにもこうにもすぐには進めない。そして背後からは黒服が近づく気配がする。仕方がないので例のリンゴを片手に、もう一度黒服の方に向きかえる長谷部なのであった。
「さて・・、どうしたものか・・・。」
黒服はゆっくりと歩いて近づいてきた。その距離3mくらいか、絶体絶命である。
「おりゃっ。」
試しにリンゴを投げてみるが、やはり無駄である。はじかれるどころか、片手キャッチされて、しかもなんとその林檎をかじっているではないか。その姿は、同級生の親友、田中が、昼休みに生のリンゴを持ってきてクラスの皆に笑われていたシーンにそっくりだった。この黒服、よく見るとどこか田中に似ている・・?しかし、どうみても、がっちりとした体格の田中の更に3回りはデカい。こいつが田中ならドーピングどころの騒ぎではない。もちろんそんなことはありえないのだが。
「あの、すみません、ほんとに、ごめんなさい・・。」
長谷部はとりあえず謝ってみた。もう話せばわかるレベルの相手ではないことは誰が見てもわかることだが、他にできることもない。無言でリンゴをかじりながら近づいてくる黒服、その時だった。
「くらえっ!!」
黒服の背後に隠れてて完全に気が付かなかったが、三谷がその真後ろから、どこから拾ってきたのだろう、鉄パイプのような(このときの長谷部にはそう見えた)長い棒で、黒服の頭に上から一振り、かましたのである。
「グゥ・・。」
この瞬間初めてこの黒服の生声を聞いた。とてつもなく低く、唸っている。黒服は即座に三谷に振り返った。そこには折れた棒を見て唖然としている三谷の姿があった。
「さっきはよくもやってくれたなおい。」
三谷はそう言うと険しい表情に戻し、鋭い眼差しで黒服に睨み付けた。よくこの相手にそんなことができるもんだ。普段の長谷部ならそう感心した事であろう。しかし、このときは違った。長谷部はその一瞬を見逃さず、黒服を全身全霊突き飛ばした。まあ予想通り突き飛ばされたのは長谷部の方ではあったが、不意打ちの甲斐あり、かろうじて外への出口の方角へポジションを移すことができた。このまま走れば、黒服を挟んで、長谷部は東側出口、三谷は北側正面出口へと逃げられる。
「三谷!走れ!!」
長谷部はいまだかつてない大声で叫んだ。三谷がそれを察したかわからない。しかし、長谷部は彼を信じて、黒服と三谷に背を向け、走り始めた。こんなことになって初めて気がついた。自分が思っているよりもずっと、自分は動けるのだ。

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