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第14章 種の行方

 遅れること半日。長谷部は煙草の香り漂う一室で立ち尽くしていた。もうかれこれ何時間こうしているのだろう、そう思わずにはいられないほど、激しい『詰め』に遭っていたのだ。
「もうやめろ、やめちまえ。やる気ないんだろ?ん?」
支店長はそう言い捨てて、個室を後にした。長谷部は一人、取り残される。
「やる気なんて一度もないさ・・。」
ため息すら出ることはなかった。10秒もしないうちに、遠くの方から支店長の怒鳴り声が聞こえてきた。どうやら次の標的は香西課長のようである。当たり前かもしれないが、香西は、今日も一方的に、ただただ責められているのだ。そんな、現実。何も変わらなかった。あれは全て夢。昔、林か誰かが言っていた言葉をふと思い出す。夢はその人の理想を映し出すんだよ―――
「こんなはずじゃあ、なかったのにな。」
長谷部は無機質な声でそう呟くと、支店長、香西課長、そして数多のサラリーメンが待つオフィスへと、再度吸い込まれていくのであった。
 目の前に映るものが全て敵に見える、そんな気分だった。長谷部は、日が暮れて肌寒くなっていく18時、寒暖差に震える事すら忘れ、フラフラとそこへとたどり着いた。道幅の割に交通量が多く、電車が横を通る、それでいて坂道の中腹にある、決して良い立地とは言えない道路の脇に、その家はあった。いつだっただろうか、小学生の時、林は三谷先生に年賀状を出していた。当時の長谷部はそんな面倒なことをするはずもなく、ただただ新しい年を迎えていたのだが、今考えればそんな事だから時間の尊さに気がつかず、ここまで来てしまったのかもしれない。その林に聞いたのが、この、築30年は経っているであろう瓦屋根の家屋だ。色あせた、カメラも付いてないような玄関の前で、長谷部はかれこれ20分、ただひたすらドアを見ていた。
「・・どちらさんですか?」
懐かしい声だ。振り返ると、コンビニの袋をぶら下げた、くたびれた中高年がそこにいた。一目でわかる、確かにそれは彼だった。あの日の恩師、三谷教諭・・・。
「三谷・・先、生・・・。」
体の力が抜けていくのが分かる。長谷部はその場に崩れ落ちてしまった。
「・・長谷部か・・・?」

三谷先生はコンビニ袋から取り出した缶ビールを長谷部に渡した。コタツのあるこの部屋は、少々かび臭く、ゴミが床に散らかっていた。なのにも関わらず、なぜだろうか、生活感というものが全くない。
「ほら、乾杯。」
三谷先生はプシュっという景気の良い音と共に、缶を持った手を突き出してくる。仕方がないので、長谷部も無言で手渡された缶を開けた。
「いやあ、来てくれて嬉しいわ。どうだ?元気でやってますか?」
なんてことない、12年ぶりに再会した師弟の会話がそこにはあった。
しかし長谷部は終始うわの空で、全くその時のことなんて覚えていなかったのである。ふと、そんな流れの中で、三谷先生は担任を持った当時の心境を語り始めた。
「俺は失敗続きだったからな。負けることになれちまったんだよ。でも子供たちは違う。あいつらは、これからなんだよ。すぐあきらめちまうようには、なってほしくなかったな。」
長谷部はまた、ふと種の話について思い出す。あの時先生はなんて言ったのか、それだけがどうしても気になったのだ。
「あの、先生。」
「ん?どうした?」
言葉が出なかった。なんて聞いていいのか、いまひとつ、わからない。
「いえ、なんでも・・。」
三谷先生は不思議そうな顔をしたが、残りのビールも飲み干し、くたびれた笑顔で長谷部の姿をまじまじと見つめた。
「そうか・・・でもまあ、長谷部は・・立派になったなぁ。」
衝撃だった。あの三谷先生が、そんなことを言ってしまうものなのかと、長谷部は呆気にとられてしまった。
「いや・・・。」
違う、そんなわけがない。今の自分が?ありえない。・・・三谷先生・・!そこまで耄碌しちまったのかよ・・・!!
「長谷部?」
三谷先生は俯いている長谷部を見て、困っているようだった。
「三谷先生、俺はね・・。」
(立派なんかじゃないですよ。昔みたいに叱ってください。こんな金魚のフンみたいな生き方をしている僕を、叱ってくださいよ・・!)
言いたかった、叫びたかった。こんな大人になってしまった自分を、殴り飛ばしてほしかった。長谷部は曖昧な笑みを浮かべ、立ちあがった。
「あ、トイレか?そこの廊下出たところをな――」
「いえ、ちょっと急用を思い出して。すみませんいきなり押しかけて、ありがとうございました。」
長谷部は、逃げるようにして三谷邸を立ち去った。こんなの三谷先生じゃない、なんでこうなってしまったのだろう・・。
「三谷のこと、聞きたかっただけなのにな・・。」
駅まで走ってきたところで、長谷部は本来の目的について思い出し、改札の前で立ち止まる。だけどもう、戻れるはずもなかった。結局、何事もなかったかのように、自動改札を潜り抜け、発車直前の電車に滑り込んだのであった。
 ぐったりと先頭車両に腰を下ろし、目の焦点も合わさぬまま、長谷部はボーっとしていた。ふと、隣から声が聞こえてくる。
「明日は6時に出発だからな。寝坊すんなよ。」
「おう。ワクワクしてきたぜー。」
中学生くらいだろうか、男子二人が前の窓ガラスから迫りくる風景を眺めながら、目を輝かせていた。そうだ、いま彼らは春休みなんだ。
「眩しすぎるだろ・・。」
長谷部の思わぬ呟きに、中学生達は振り返り、怪訝な顔を見せた。長谷部はそんなことを最早気にすることもなく、目を閉じる。頬を生暖かい液体が流れていくのが分かった。どうにも止まらないのだ。彼らは今、確かに生きている。二度と戻ることのない、金色に輝く三月に身をゆだねている。そう、それは誰もが通ってきたあの季節。ゴールデンマーチだった。

「ここは・・?」
・・・小学校の教室?しかし、見覚えのない場所だった。校舎はところどころ木製で、椅子や机の数だってやけに少ない。田舎の学校なのだろうか。そんな教室の隅に、一人の男の子が座っていた。そこにもう一人、ランドセルを背負った女子が教室に走って入ってきた。
「あれ?まだ帰ってなかったの?」
「・・・。」
声をかけられた少年は、黙って机の上で10円玉を回転させている。
「誰も来ないと思うけどね。」
女の子はそう言い放って、自分の机の中から、筆箱らしきものを取り、ランドセルに詰めた。忘れ物でも取りに、教室に戻ったのだろうか。
「うるさい。」
少年は一言返し、十円玉を回し続けている。時計の針は16時を指していた。
「ツチノコなんて、ね・・。まあ頑張って~。ばいばいー。」
そういうと女の子は帰って行った。長谷部は、少年に何か声をかけようとしたが、どうやら届いていないようだ。彼の机の前に回り込んでも、何も反応はなかった。どうやら彼に長谷部の姿は見えていないようである。
「なんで誰も来ないんだよ・・。」
少年はぼそっと呟いた。そうか、この少年は、クラスで放課後、ツチノコを一緒に探しに行こうと誘ったのか。すぐに察しがついた。小学生の考えそうなことである。しかし、気の毒なことに、誰もその誘いには乗らなかったようだ。いつまでたっても教室には誰も現れず、西日が差し込み、段々と日は暮れていった。日の入りと共に目の前は暗くなり、長谷部はまたも暗闇に包まれた。
「俺はそうは思わねえ!」
いきなりの怒鳴り声に、長谷部は2センチほど宙に浮いた。
「ひぃ!」
顔を上げると、そこには三谷がものすごい剣幕でこちらを睨みつけていた。長谷部は心臓が止まる思いだったが、どうやら三谷が怒鳴っていたのは長谷部ではなく、その後ろに立っている、中年の男だった。厳格で頭の固そうな、そう、厳しい目つきをした男が、そこにいた。どうやら長谷部のことはここにいる二人には、見えていないようだった。
「あれ・・この三谷・・・。」
三谷が、なんだか若い。・・・そうか、これは三谷の学生時代か。学ラン姿の彼を見て、長谷部は確信した。ここは、三谷の過去なのだ。・・・ではこの大人は・・?
「真面目に将来のことを考えろ。いいな。」
中年の男は表情一つ変えずに、三谷を貫くような視線で見ていた。それに睨み返す三谷。
「・・自分の人生は自分で決めるさ。」
三谷はそう言って、ニヤけてみせた。もちろんこれが強がっていることは、長谷部にはよく伝わってきた。どうしてか、泣き出しそうなのを抑えているようにも見えるのだ。
「後悔することになるぞ。」
男はそう冷たく言い放ち、部屋から出て行った。ここは和室のようだった。あれは三谷の親父なのだろうか?・・いや、しかし、三谷の親父は三谷先生のはずでは・・?・・・長谷部は何が何だか、今自分の置かれている状況が理解できなかった。と、学ランの三谷がぼんやりと姿を変え、銀色の渦に吸い込まれていった。
 クリスマスソングが聞こえてくる。・・・ガヤガヤとした熱気のこもった部屋に、10人以上もの若者がひしめきあっていた。
「今年も一年お疲れ様でした!はじけるぜ!メリー!クリスマース!!」
三谷の音頭と共に、みんな乾杯した。長谷部と同じ年齢くらいの男女が、そこにいた。だがしかし、髪型といい、服装といい、なんだか、違和感がある。何かが、違うのだ。奇妙な雰囲気の中、このパーティは進んでいった。10分くらいは経っただろうか、ボーっとし眺めていた長谷部は、ある事実に気がついた。三谷は三角帽子を着けて、楽しそうに友人たちに声をかけている。しかしだ。他の皆はどうだろうか、見渡しても、誰一人として、着けていない。そこに映っていたのは、綺麗に着飾った女達と、スーツの男、だった。床に目をやると、無残にも踏み荒らされた手作りの三角帽子が、役目を迎えることなく、転がっていた。
「三谷、お前相変わらず面白いな。」
男の一人がワイングラスを片手に、三谷にそう声をかけている。三谷は大真面目な顔で、その男を睨んだ。
「いやいや、マジな話だぜ?世界中を旅してまわって、そこでしか手に入らないものを日本で売りさばいたりさ、そういうの狙ってんだよな。」
三谷の言葉に周りを囲んでいた数人は、笑いながら頷いていた。しかし長谷部には分かる。この連中は、何も聞いちゃいない。三谷の話に共感なんて、誰も・・。
「ふーん、すごいね三谷くんは・・・・でさぁー、こないだ引き継いだ客なんだけど~。」
おしゃべりそうな女はそうやって、自分の職場での話に切り替えていった。周りもそれに乗っかって、増々パーティは盛り上がる。部屋の隅に一人、無表情な男が突っ立っていた。三谷だった。長谷部は三谷に声を掛けようと近づこうとした。しかし、いくら歩いても近づけない、むしろ、遠ざかってゆく。三谷が、人々が、いや、部屋、空間そのものが、遠くに見えなく、消えていった。
 「・・・・種をもって生まれるんだ。その種を頑張って育てていくものもいれば、ほうっておいて、からしてしまう者もいる。」
三谷先生が両手を前につきだし、手のひらを見ている。・・・これは、長谷部の小学校・・?
「それは、野球選手の種かもしれないし、お医者さんの種かもしれない。それらを俺たちは生まれた瞬間から育てていくんだ。でもそれはな、一つ、また一つ、年を重ねるごとに手のひらからこぼれ落ちていく。」
クラスの皆は静かに三谷先生の話を聞いていた。なんだ、これは、つい最近全く同じようなことが・・。
「この才能の種は、お前たちの手から、すでにどんどん落ちていってるぞ。それに、大事に育てないと枯れてしまうかもしれない。とにかく育てるのに手間がかかるんだ。そして最後には・・一つだけ、一つだけ残って、花を咲かす。それが大人になったお前たちの姿だ。」
そう言うと三谷は手のひらから長谷部たちに目を移した。・・・これは・・そうだ、小学5年の時の、あの授業・・。そして目の前にいるのは・・・あれ?
「だから、みんなは立派な花が咲くように、頑張って好きな種を育ててください。」
そう締めくくると、三谷は黒板を消し始めた。…この人は、そうだったのか。なんで今まで気がつかなかったんだろう。この今目の前で授業をしているのは、三谷の親父なんかじゃない、そうだ、あの三谷なんだ。共にジェスコに乗り込んだ、短かったけど親友だった、あの、三谷。と、そのときだった。だれかの声が聞こえてきたのだ。
「先生の種は、どうなったの?」
「あっ・・・。」
長谷部は思わず声を漏らした。これは、そう、でも、だめだ。三谷はこちらを振り返り、
「俺か?俺はな―――」
だめだ、知っている、長谷部はこの続きを、だから、ここで終わって――――

「枯れたんだよ。」

長く、霞のかかった夢を見ていた。満点の星空が、涙で滲み、キラキラと、全てを覆っていた。
「おい、長谷部!大丈夫か?おいっ。」
三谷の顔面が目の前にドアップで現れる。・・ここは・・・。
「お前うなされてたぞー、なんだ、悪夢でもみたか?ははは。」
・・戻ってきたのだ。もう一度、ジェスコの屋上に、あの夢のような、いや、夢の世界に戻ってきたのだ。長谷部はそれが嬉しくて、更に涙が止まらなくなった。
「おうおうどーした?そんなに怖かったか?」
三谷は涙を流す長谷部を見て、少し困ったような表情を浮かべながら笑っていた。
「三谷・・俺・・・。」
その笑顔を見ていると、長谷部は掛ける言葉すら忘れてしまった。いろんな伝えたいことがあったんだ。でも、そのときはなんだろうか、うまく言い表せなかった。
「ん?なんだ?」
三谷は不思議そうに視線を合わせてくる。間違いない、この突き刺さるような瞳。三谷先生は三谷で、三谷が三谷先生なんだ。なら、三谷、お前はどの時代からやってきたんだ?
「あ、いや、なんか色々あるんだけどさ、まあ、あれだ、その・・・。」
長谷部は頭をかきながら、三谷の前に座り直した。
「ん?」
「理想を捨てて、こんなにダメになった俺でもな、必要としてくれる人がいる。俺は今更なにを惜しむって言うんだ。ただ一つ、これだけは、これだけは言わせてくれ。俺はな、お前にだったら・・命だってくれてやるさ。」
三谷の頭上に?マークが見えたのが分かった。まあ、無理もないか。
「・・?いきなりどうした?・・俺はそんな上等な人間じゃないぜ?・・まあ、ありがとう。」
三谷は照れた様子で立ち上がり、街を見下ろしていた。
「あ・・まあ、うん、今すごく充実感があるっていうか、さ。」
長谷部は自分でも何が言いたいのか分からなくなっていった。あれは夢?これが夢?なぜだろうか、夢ってやつは、目が覚めた直後は、覚えているんだ、だけど、少しでも時間がたつと・・何が起こったのかさえ、わからなくなってしまう。
「俺もまあ、今が一番楽しいけどな。」
三谷はそう笑いかけ、屈伸を始めた。
「三谷・・。」
長谷部は準備体操をする三谷を見つめ、今一度、決心した。もう、負けない。
「さあ、大冒険だ。行こうぜ。」
「あぁ。」
ぐるぐるぐるぐる目が回り、グラグラグラグラ揺れていた。
どこで間違えたかなんて、振り返る間もなく崩れてく。ジェンガのような人生に・・・

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