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凪 NAGI 4

潜水

 20年前の、幼稚園での出来事だった。
 友達のアイちゃんと、リオちゃん、私の三人で幼稚園の砂場で遊んでいた時、ふとアイちゃんが立ち上がって、買ったばかりのスカートを自慢してきた。
「ねぇ、見て。お母さんに昨日買ってもらったの。可愛いでしょ。」
 そのスカートは赤と白のチェック柄で、プリーツが入っており、子供ながらにお洒落だなと思った。
「可愛いー!」
と、リオちゃんが言った。
「うん。可愛いね。」
と、私も答えた。
「でしょー。アイも可愛いと思う!これでアキラ君も絶対私のこと好きになっちゃうよ。」
 アイちゃんはひとりっ子で、お父さんとお母さんに沢山の愛情を貰って育ったような、お嬢さんという感じの子だ。ひとりっ子にしては引っ張り上手で、引っ込み思案の子なんかがよくアイちゃんの後ろをついて回っていた。きっと両親から否定されたことがなく、自分に対して自信があり、明るく振る舞えたからだろう。アイちゃんは、同じ幼稚園のアキラ君が好きで、その熱意は「いつか結婚する」と皆の前で宣言する程だった。
「良いな〜。リオもスカート欲しいな。」
 リオちゃんは兄弟が沢山いて、幼稚園が終わって暫くすると、近くの小学校からお姉ちゃん達が迎えに来ていた。リオちゃんもよく可愛いスカートを履いていたが、「これお姉ちゃんが履いてたやつ」と言って、あまり嬉しくなさそうな顔をした。本当は自分も、お母さんに新しいスカートを買って貰いたかったのだろう。でも、リオちゃんは色白でほっそりしていて、目鼻立ちもはっきりとしたお人形さんみたいな顔立ちだ。だから、どんな古びたスカートでも、私の目にはそれが映えて見えた。アイちゃんの様に目立つ子ではなかったが、どんな洋服も着こなすリオちゃんの方が、私には魅力的に見えていた。
 「えへへ、良いでしょ。似合う?」
と、両手でスカートの左右を摘みながら、くるりとアイちゃんがまわった。
「うん。」
とリオちゃんが少し寂しげに頷いた。そして、アイちゃんは満足した顔で、今度は私の方に視線を向けてくる。
だが、私はリオちゃんのように「うん。」の二文字が言えなかったのだ。
「似合わないよ。」
「え?」
 今までの穏やかな会話の流れが、一瞬にしてせき止められた。アイちゃんの目が、私を捉えたまま動かない。
「ははは…。葵ちゃん、言い間違えたんだよね?」とリオちゃんがこの不自然な会話の流れを、正常なものにしようとした。続け様に、「 アイちゃん、似合ってるもん。…ね?」と、私とアイちゃんを交互に見ながら、不安そうに言った。だが、私はそのスカートが本当にアイちゃんに似合っているとは思えなかったのだ。本当の感想を述べただけなのに、リオちゃんから「間違えた」と説明された事に余計反発心を覚えてしまった。
「ううん。間違いじゃないよ。だって、アイちゃん太ってるし、本当に似合ってないんだもん。」
 アイちゃんは、まるまるとした体型で、足もリオちゃんみたいに細くない。太ももは両方がぴっちりとくっついているし、膝も窪んでいる。短めのスカートが、その太い足をより一層強調してしまっていた。似合うかどうか、という話ならリオちゃんの方が似合っていると思ったのだ。
「似合っていない」と否定されただけではなく、その理由まで具体的に指摘されたアイちゃんの顔がみるみると歪んでいく。
「葵ちゃん…ひどい。」
 アイちゃんの声が震えてた。目元には涙をいっぱいため、膨らんだ鼻が赤くなっていく。
せき止められた川が決壊したように、アイちゃんは大泣きした。
 今まで聞いたことの無い声を上げながら涙を流すアイちゃん。信じられないという目で私を見てくるリオちゃん。泣き声を聞いて教室から飛び出してきた先生。私の放った一言で、周囲が一気に混沌に陥ってしまった。
 私にしてみれば、スカートが可愛いと思ったのは事実だし、そのスカートがたまたまアイちゃんには似合わなかっただけの事なのだ。それが私にとっての事実だったし、「似合うよ」という偽りの言葉を発することこそ、アイちゃんに対しても誠実で無いような気がした。
 その日、先生から事情を聞いた両親は、私に「友達を傷つけるべきではない」と諭した。傷付けるつもりは無かったのに、「ほんとうのこと」を言ってしまったがために、私はアイちゃんを傷付けた。
 このスカート事件の後、アイちゃんとはあまり話さなくなり、リオちゃんともぎこちない関係のまま、私は二人とは別の小学校に進学した。そして、私は「ほんとうのこと」を口に出すのをやめた。


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