凪 NAGI
海鳴り
けたたましい音をたてながら、目覚めの時を告げるスマホ。アラームを6:00に設定した、昨夜の自分に腹が立つ。何で朝が来るんだろう。窓の外はまだ暗いのに、この時間に起きないといけないということがまた、頭をイラつかせる。これから始まる目まぐるしい一日を、この軋んだ体でやり過ごさねばならないことを考えるだけで、ため息が口から漏れた。
ぼんやりと霞む頭で、なんとか暖かい寝床から起き上がり、冷たい廊下に足裏を張り付かせながらリビングへと向かう。顔を軽く水洗いして、服を着替える。職場についてすぐ動けるように、制服の上からパーカーを羽織った。
神崎葵は朝に弱く、ごはんの支度をする余裕を持って起きられない。だから、朝はいつも食パンにマヨネーズを適当に塗って、テレビのニュースを見ながらそれを齧る。
ふと時計に目をやると、長針が「9」を指していた。
「もうこんな時間…。」
葵は大手スーパーの正社員として働いている。今日は早当番の日で、鍵開けの為にいつもより少し早めに出なければいけない日だった。少し寝癖が残った髪をヘアゴムで簡単に束ね、化粧は眉毛とリップだけさっと塗り、荷物を詰めたバッグを引っ掴んで家を出た。
10:00にお店の自動ドアが稼働し、スピーカーからは「いらっしゃいませ」のコールが繰り返される。早くも入店一等賞の客が玉ねぎをカゴに入れようとしていた。
「いらっしゃいませ。」「おはようございます。」「本日ポイント3倍デーでございます。」「ポイントカードはお持ちですか。」「レジ袋はご利用されますか。」「乾き物と食品はお分けしますか。」「ありがとうございました」「またお越しください。」「いらっしゃいませ。」「おはようございます。」…「2番レジ応援お願いします。」「お菓子コーナーのお客様のご案内をお願いします。」「15分間、商品の面揃えをしてください。」…
葵は雪崩のように押し寄せる客をさばきながら、インカムで従業員に指示を出す。朝の時間帯は来客数も多いし、事務処理もしなければならないのだが、夜の方に人員を配置させるために、朝の正社員は葵と新人の男の子の二人だけだった。
「あと一人、正社員増やしてくれないかな…。」
そう心の中で呟いたのは何回目だろうか。
またレジが混み合ってきたので、商品を棚に並べる作業をやめ、レジの応援に回ろうとした時だった。
「葵さん!バナナってありますかっ‼︎」
ものすごく不安げで、焦ったような声がインカムから聞こえてきた。新人くんである。
バナナは、そりゃあるでしょ。と思いながらも、青果コーナーにあるよ、と丁寧に伝えた。ところが
「そうなんですけど…えと、あ、あるんですけど、無いんですぅ。」
これはトンチか何かだろうかと思ったが、そういえば開店前にいつも来る八百屋さんを見ていないことに気がついた。葵の働くスーパーは、地域の八百屋と提携しており、朝の開店前に店内に入り、棚へ直接納品してもらうことになっている。しかし、今朝は事務所での作業もあったため、朝に八百屋さんが来ていない事に気がつかなかった。
「もしかして、欠品してた?多分、まだ八百屋さん来てないから、バナナ売り切れちゃったかも。」
「そうですか。…分かりまし、た。」
“新人くん”は、どこか歯切れの悪い反応をしている。
「どうかした?」
「実は、お客さんがバナナは無いのかって。」
「あー、八百屋さん何時に来るか分からないから、欠品してますって謝らないとな。」
「えー…でも、なんかこのお客さん、今にも怒りそうですよ…。」
と、新人くんは声をひそめながらそう言った。接客業は、たとえ良い商品を棚に沢山並べたところで、客が気分を損ねてしまうと、全ての評価がゼロになってしまう。ましてや、商品が欠品しているとなれば、マイナスにもなりかねない。まだ言葉遣いもあやふやな新人にその客の対応を任せるのは、葵も不安を覚えた。
「私が説明するから、ちょっとレジ入れる?」
そう指示をだすと、間髪入れずに「お願いします」という返答が返ってきた。まるで「面倒事に巻き込まれる第一人者にはなりたくない」と言いたげだ。私も面倒くさそうな態度を取るのが許されれば、どれだけ幸せだろうかと、どうでも良いシミュレーションを頭の中でしてしまう。それを振り切るように、足をレジから青果コーナーの方に方向転換し、小走りで向かった。
つづ…かないかもしれない。笑
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