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心療内科に駆け込んだきっかけ

振り返りと棚卸しをしようかな。
あまりまとまりのない文章になってしまいそうだけど…。

やったらやっただけ偉い文化

もともと前職はすごく忙しい会社で、なおかつ労働集約型のビジネスモデルということもあって、「働いたら働いた分だけ儲かる」という会社だった。(ストック型の収益がないので、働かないと儲からない)
なので、基本的に「数をこなさないと儲からないよね」という考えが社内のベースにあった。
そりゃそうだろ、とは思うものの、それでもエンジニア上がりの自分からすると
・一人が一日に働ける時間には限りがある
・更に、その中で成果を上げいくのにも限界がある
・人は体調を崩すし、急に休むし、急にいなくなったりもする
その中で、目標に対してどうやって数字やスケジュールを作るのか?場合によっては、そもそも目標自体をどう作るのか?というのをマネジメント側が考えてコントロールするものだよね、という考えがある。
けど、前職の上司たちはそういう考えがあんまりない、というか、会社としてやらなきゃいけないタスク量と、各個人がそれぞれこなせるタスク量の可視化ができてなかったし、あまりしようともしなかった。


「これくらいならやれるでしょ」というなんとなくの感覚で、部下の仕事を捉えていて、1日に面接や商談を3,4件入れないと「今日は暇でしょ」と雑務を振られた。
リモートワークになったタイミングから、日々の行動計画の予実を1分刻みで提出しなくてはいけなくなって、1つの書類選考に5分かかると「遅い、書類選考なんて1分で結果の入力まで終わるはず」と指摘を受けた。そりゃ、デジタルでチェックができる部分で結果が出てくるなら、2分くらいでレジュメ確認・結果入力・結果連絡まで終わることもあるけれど、全員が全員そうではないし、悩ましいなぁというラインの人は、結果の伝え方にも気を揉んでしまうものだろう。

上司は「俺ならできる」という感覚のもと、指示を出していたようだけど、いかんせん「私ならできない」のであった。(そして、最終的に私の仕事を休職中に引き継いて「いや、無理だったわ。なんでいってくれないの」と謎のクレームを頂戴した)

工数の考え方がない

常に私の稼働時間が高いことと、周囲の「ちぃさんいつも忙しそう」という空気感の結果、同じ管理本部の全然違う仕事をしている総務の子をヘルプに入れていい、と言われた。人が増えたことは本当に本当に嬉しかった反面、「他にも有象無象のタスクを抱えてるこの子の工数をどうやって管理するんだろう…」と頭を抱えた。
100人程度の会社だったので、総務も担当は一人。というか管理本部全体で会社の何でも屋さん状態だった。そのため、よくも悪くも全員個人商店状態で、誰がどの仕事をどれくらい抱えていて、それぞれの締切や優先順位がどうなっているのかを把握している人は誰もいない。管理本部のマネージャーはいたけれど、マネージャーですらプレイヤーのタスクを大量に抱えていて、マネジメントはオマケみたいなレベルだった。
その状態で「彼女に採用アシスタントやってもらって、管理本部のマネージャーには言ってあるから」と、ぽーんと投げられた。当のマネージャーに「仕事振っていいんです…?」と聞くと「あ、いいですよー、たぶんやれるんで」とのお返事。どれくらい工数があるのか、訪ねても「日によりって感じですね」。
新しいことを振って大丈夫なのか全く分からなかったけれど、本当に猫の手も借りたいくらい忙しい状況だったのもあって、簡単な業務の一部をお願いした。
最初のうちは、比較的スムーズに進んでいたように思う。総務の子もちゃんとタスクをこなしてくれたし、その分わたしも若干余裕ができた。
けれど、段々といろんな事が崩れ始めた。
まず、その日のうちに終わらせておいて欲しいタスクが終わらぬままに総務の子が帰ってしまう事が増えた。彼女はお子さんがいて、保育園のお迎えがある関係で基本的に残業はせずに帰宅する。そのため、タスクが残っていても帰ってしまう。仕方がないので、残りの分を結局自分で対応するようになったし、より細かくタスクが滞留してないか確認する必要が生まれた。
これが、特に縛りがない相手であれば「毎日、ここまでは終わらせるように」と強く言えたのだろうけど、如何せん制限がある相手だったこともあって、タスク単位のマネジメントができなかった。
(こういう状況下のとき、どういう対応をするのがよかったのか今でも分からない)

結果的に人が入ってはくれたもののタスク量は思っていたより変わらずな状況。でも、上からは人数増えたんだから時間できたデショ、と新しい仕事が降ってきた。
結果、人が入る前よりも忙しくなるという不思議な現象が発生した。

それぞれが「なんでも屋さん」に好き勝手に仕事を振るけど、そのなんでも屋さんの工数を管理する人はいない状況で、本人も周囲も1日にどれだけタスクをこなせるのか分からない状況になっていたように思う。
私がお願いしていた仕事も最終的には「ちぃさんが休んだり、手が空いてないと完了してないよね」という指摘を何故か私が受ける状態になってしまった。(要は仕事振りすぎなんじゃない?ていうことだったと思うんだけど、そうならそう指摘してくれ)

そのあたりから、結局この会社で誰かにタスクを振るってやっぱりはちゃめちゃに難しいのでは?きちんとマネジメントさせてもらえない人に、自分が責任を負う仕事を振るって怖すぎるな、という結論に自分の中で至ってしまい、今まで以上にタスクを抱え込むようになったしまった。
今思えば、ここが分水嶺だったように思う。

そこからはなし崩し的にタスク量が増え、というかうまく分散できなくなり、常に仕事のことを考えるようになった。
ちょうどコロナの影響もあって、完全リモートになってからは、通勤という区切りがなくなったこともあって、本来くつろげるはずの自宅で四六時中しごとのことを考えていた。だらだらと勤務時間前から日付が変わる直前まで働いた。手を動かしてなくても、頭の中はいつも「あの資料作らなきゃ」「あのメールの返信しなきゃ」「あの件について、報告して方向性決めてもらわなきゃ」と仕事の残タスクの処理のことで埋め尽くされていた。

そうしたら、ある日突然、本当になんてことないメールを打っている最中に涙が止まらなくなった。打ち合わせの日程調整の返信をしている最中に、ぼたぼたと涙がこぼれて止まらなかった。
その日はなんとか仕事を終わらせたけど、次の日や別の日にまた、なんてことないときに涙が出てきた。
ずっと寝付けなかったり、眠りが浅く途中覚醒が多かったから「なんか、ヤバそうだなぁ」とは思っていたけれど、ここまで自分で自分のことをコントロールできない状態は本当にまずい、と思い、心療内科に駆け込んだ。

頑張れちゃってた

心療内科の先生にそう言われた。
「頑張りたいって思っちゃうし、頑張れちゃってたんだよね、キャパオーバーしてるのに」
キャパオーバーという言葉と勝手に溢れる涙がリンクして、「あ、本当は溢れてたのを気づかないフリしてたのか」とストンと落ちた。

今考えると、四六時中仕事のことを考えてて、休んでても「あれやらなきゃ」ていう不安があるのって健康的じゃないし、残業しても終わらないタスク量を「やれるでしょ」って言われるってことは私の頑張りが足らないのか?て思っちゃうのって、普通じゃないんだよね。
でも、そこが視野狭窄なのか分からないけれど、見えなくなってしまっていて、頑張れちゃってた。それに対して、身体が本能的に「いや、無理だから」って出してたアラートも無視して、頑張っちゃってたのがいけなかった。

客観的視点の大事さ

心療内科に行く前後で、友人が「今のちぃちゃんおかしいよ、パワハラとかDV受けてる人と同じ考え方してる」って言ってくれて、それも思い込みを取っ払うキッカケになってくれた。本当にありがとう。

おいしくお酒飲みます!ビール!