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いつの日か

そこに当たり前にあったはずのものが、次に目にした時には無くなってしまっている。
例えば街中のビル、コンビニ、住宅。中には無くなったことは分かっても元々何があったのか思い出せないこともある。

家の近所のT字路。高い塀に囲われた家の庭に大きな桜の木がある。「桜の木の家」と私の中では(多分地元住民にとっても)近所のシンボルだった。

どこに行くにもそのT字路を通る。
毎日と言っていいほど見ていた。保育園、小学校、中学校、高校、専門学校、社会人。これまでほとんど毎日。

木が切られてから数ヶ月が経った。
なくなったことに慣れ、ないことが当たり前になった。

次の春あのT字路では桜は見られない。

こんなことならもっとちゃんと見ておけばよかった。もっと写真を撮っておけばよかった。
後悔してももう遅い。

次に花を咲かせるのは何年、何十年後だろう。
二度と咲かないということはないだろう。

その時まで。さよなら。

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