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人形たちの恋なき「グリース」(映画「バービー」の感想です)

SNSで『バービー』の感想や批評を見ると、やたら寓意を読み解こうとする人が多い。フェミニズム映画だ、という前情報に構えるあまりに、「妊娠出産が、弱者男性が、ポリコレの行き着く未来は」と、もはやストーリーを離れて考察ばかりして、何の話だったか混乱している方もいるように、お見受けしました。

一体、ストーリーも把握せず、フェミニズムも知らず、フェミニズムやポリコレと絡めて批評できるのでしょうか? 向こうの映画人はインテリよ〜。フェミニズム映画を「フェミニズムや女性論は一旦置いといて」とするのは、本当はすごく良くないけど、どういう映画か分からなければ、とりあえず素直にストーリーを追うべきだ。
人形の話ですよね。

主人公は“女性”でも”男性”でもない。プラスチックの人形で、これは「人形が人間になる」という古典的な筋書きのファンタジー&コメディです。
『ピグマリオン』かもしれないし、バービーは『人形の家』のノラかもしれない。向こうの大学院出のインテリが束になって、「客を笑わせよう」と脚本を書いているから、たくさんイメージソースがあるはずですが、観客はとりあえずそこまで考える必要はない。「笑わしてくれんのか?お手並み拝見だぜ」と思って映画館の椅子にどっしり構えれば良いのです。

コメディだから、ギャグのノリについてけないと仲間外れになったような気がするかもしれないけど、別に怒ったり悩んだりする必要はないように思います。お笑いは、ある程度見慣れないと分からない。
年末になると日本国民はM-1決勝戦を見ますが、「何が面白いのかさっぱり分からん」っていう人がほとんど。寓意が分かってもノリが飲み込めなければ笑えなかったりもする。Netflixで『セックス・エデュケーション』全部見たよ、という人は、最近の海外コメディのノリが分かってるから『バービー』も笑えるだろうけど、みんながそうじゃない。

最初の『2001年宇宙の旅』のパロディがけっこう話題になっていたけど、欧米では、このモノリスネタは「こすられすぎたギャグ」みたいなものだろう。
今さら「えーっ赤ちゃん人形割っちゃうの!」なんて驚くのは「TONIKAKUは本当に履いてないの!? 」とフレッシュにドキドキする英国人ぐらいイノセントかもしれないのです。
「子殺しのメタファー?」とか勘ぐるのは我慢して、「欧米ギャグか」とゆったり構えてはいけないのでしょうか?
そもそも、ナレーションで、全部説明してる。
「バービー人形の登場により、女の子たちは赤ちゃん人形のお世話をするママだけではなく、働く美しい女性、という新たな未来のヴィジョンを手に入れた!革命だ!」って言ってるんだから、素直に「へーそうなのね」と流せばいいかと思われます。

最初に登場する、ピンク色のバービーランドですが、女性大統領や医師がいたりして女性が活躍するから、これも「すわ、夢のフェミニズム王国出現か?!」と構える人が多いようでした。
そんなことはなくて、これは深いことは考えられない、人形たちの暮らす国です。
バービーランドを作ったのは、バービーら自身や人形遊びをする女の子たちだけではない。男性幹部ばっかりの、マテル社の社員が、売上のことしか考えずに思いつきで様々なバービーやケンを販売したから、購買層の女の子や両親の欲望を反映した形で、ごちゃごちゃの混沌です。
だから、バービーたちがハローハローと毎朝同じ会話を笑顔で繰り返している姿は、アメリカの比較的富裕な層が日常的にソーシャライジングを行い、パーティーに興じる姿に似ている。
最初のバービーランドは、現代人の欲望や憧れを反映して商品を販売した結果、見栄っ張りなアメリカの金持ちセレブの世界に似ていったのかもしれません。でも物語上は、まだそこまで観客が考える必要もありません。

最初のくだりで、バービーランドの人形たちは、女性大統領になろうと女性作家になろうと、特に自分の思想や哲学がなさそう。
とりわけ、主人公のあの典型バービーは変化が嫌いで(人形だから)、難しいことは考えられず(人形だから)、「変てこバービー」に人間世界に冒険に行けと言われても嫌がります。全然フェミニストじゃないです。
ケンだってそうです。SNSの感想や批評で、ケンを弱者男性や、現実社会の男性女性の役割を反転させた姿、と読み解く人もいます。
でも基本的には、ケンがあんまり頭が良くないのは、彼がオズの魔法使いの脳のないカカシのように、人形だから。彼がバービーの注目を欲するのは、女の子用の玩具シリーズのボーイフレンド人形で、あんまり人気がないからで、バービーと一緒でないとアイデンティティを失うから、というのが物語の筋ですよね。
ケンの立場に立てば、「男性を揶揄ってるのか!」などという考えは掠めもせず、「命なき人形の運命は、哀れなり」と思えるはず……。

私が好きなのは、バービーが、爪先立ちができないベタ足になって、ショックを受ける場面です。
私は子供の頃、バービーを持っていなくて、リカちゃんとジェニーを持っていたのですが、確かにああいう人形の足はヒールの靴を履きやすいよう、足の裏に無骨な穴が空いていたりして、顔は可愛いのに、足の作りはおおっぴらに人工的な無機物でギャップがあるな、と子供ながらに思った記憶があります。この足のエピソードが印象的だったので、主人公の典型バービーを私は「美人」「かわいい」とか特に思わず、「人形なんだなあ」と思ってずっと見ていた。
マーゴット・ロビーのぶりっ子演技が嫌だ、という意見も見ましたが、人形だからぎこちない演技をしているだけではないでしょうか。
でもバービーのような女性は現代に多そう。人から美しいと言われがちな容貌で、お金持ちっぽい生活なのに、どうも生身の人間らしい柔らかさがなくて、恋愛もなんだか嫌みたいで。
しかも、バービーは人形の持ち主である人間の感情を繊細に受け取って、鬱になっちゃったりする。ますます現代女性ぽい。
バービーはキラキラ美人の代表のように見えて、そういう弱くて哀れな、キャラクターの主人公です。人形っていうのは悲しく退屈なもんで、この悲しさは観客と共有可能に思えます。
観客は、バービー人形たちの中にだんだん、人間らしさを発見していきます。

バービーはケンと人間世界に冒険に行きます。
そこは、工事現場や警察で働く男性が「ヒューヒュー姉ちゃん、いい体してるな」と恥ずかしいことを言ってくるような、ヤバい世界です。信じられませんね。
バービーは、ある瞬間、人形の持ち主である女性の過去の記憶が脳裏に甦ってきて、胸がキュン、と悲しくなる感情を知ります。それはどうもノスタルジーや「寂しさ」であるらしく、バービーは、人間の感情というものを不思議に美しい、良いものと捉えます。

バービーは人間世界で人形の持ち主の母娘にも出会って、マテル社でアホな幹部たちに捕まりかけて、結局、母娘とバービーランドに戻ります。
留守にしている間にバービーランドは、人間社会の「家父長制」を気に入ったケンが権力を持ち始めていました。
ケンは人間世界で「家父長制(patriarchy)」という言葉をかっこいい馬のイメージとともに知り、男たちに一人前の男として扱われて嬉しかったから、広めようとするのですが、「家父長制」をよく分かってません。「社会のリーダーになるなんて大変すぎるから好きではなくて、ただ馬が好きなだけだ」と後で言います。

ケンは広く「弱者男性」の象徴なんでしょうか? 
ここはやっぱり評論みたいなことを言っちゃうけど、アメリカ人が、あの場面の国会議事堂に立てられたKendomの旗と、ケンの派手な毛皮を見た瞬間に、まず自動的に思い出すのは、2021年の国会襲撃とあのバッファロー男たちの姿じゃない? と思いました。
武器のないバービーランドで、男性の人形たちがテニスラケットやおもちゃの弓矢なんかで戦争をするシーンがありますが、あれも陳腐でチープな国会襲撃事件を思い起こさせます。私は「チープな戦争はますます薄気味が悪いな!!!!」と思いました。
本当に嫌です。
だからいわゆる“男性”をかたどった人形たちが、“女性”人形の目を見つめてナルシシスティックにギターを弾き、『ゴッドファーザー』等をネタにくどくどと「マンスプレイニング」をしているスキに、“女性”人形たちは他の人形たちに草の根的にフェミニズムを説きます。
そうして「セクシーな衣装を着て男性たちにビールを運んで喜ばせなきゃ。彼らの可愛いお人形でいなきゃ」という洗脳を解いてきます。
アメリカじゃ高校生なんかが見る映画なのだろうから、教育的だなーと思います。人形たちは、もう覇権争いをする人間の“男性”と”女性”にしか見えませんが、安心してください、みんな人形です。

ネタバレですが、バービーは最後に人間になるのを決めます。
彼女は「お人形」=他者の想像力を掻き立てる「客体」から、自分で考え行動する「人間」という「主体」になろうとします。
映画は、そこに至るまでの長い旅路を描いてきました。
バービーは持ち主や創造者に出会って、自分のルーツとアイデンティティを探り、フェミニズムの草の根運動に参加しました。
長い人類史の中で、つねに客体的な存在として見られてばかりきた、いわゆる“女性”が、人間になるのは大変だ。
でも自己発見し、主体的に生きるというのは誰にとっても難しいこと。
ここでようやく映画の観客=人間と、バービー=人形は同等の立場になり、同じ未来への課題を抱えて、映画は終わります。
さらに、これはいわゆる“女性”だけの課題じゃないことも仄めかされます。「ケンたちだって自分たちでスタートしなきゃ」というセリフもありますから、誰もが自分の人生を生き、自己発見をしていくんだよ、という結末になっております。

最後のくだりで、バービーがケンとのキスやハグを最後まで拒む、恋愛が全くない、というのが新しくて良いな、と思いました。
「男や恋愛を必要としない女の話か!?」と癇に障った人もいたみたいだけど「人形だからまだ愛も性も知らないんだね」と考えれば良くないでしょうか?ダメかな。
バービーはいずれ恋をするかもしれないが、それは物語の外のお話。
ただ現代において、みんなバーチャルなネットのコミュニケーションに慣れちゃって、愛や性、生身の肉体が苦手な人というのは、どんどん増える方向に進んでるようです。だから数年後には、登場人物全員、人形かAIかの非恋愛映画ばっかになって、もうゲンナリだよ……と呆れる可能性もありそうです。それはやだね。

そして、超ネタバレだけど、最終シーンで人間になったバービーは、いの一番に「婦人科」に行きます。この婦人科を妊娠出産と絡めて語ってる方もいましたが、たぶん全然関係ない。
これは、欧米の観客には一番ウケたという「私ヴァギナないの」という大ネタの伏線回収だろう。
バービーは、これから人間世界で健康に過ごすため、お股等がどうなってるか、いろいろ医学的に体のチェックをしないといけないのではないかな。婦人科検診は、出産に関係なく女性の健康のために重要です。

ヴァギナは、これもフェミニズム・アートでよく扱われるモチーフです。去年、ベルリンのHKW(世界文化の家)という美術館で、とても良いフェミニズム実験映画特集がありました。そこで38人の女性器をただただクローズアップするというAnne Seversonの「Near the Big Chakra」(1971年)というエポックメイキングな芸術映画を見たんですけど、すごく面白かった。形から何から、本当に人それぞれで、全然違うんだなと衝撃でした。バービーもきっと人間世界で問題なくやっていけるでしょう。 
https://www.imdb.com/title/tt0158020/

結局寓意を読むみたいなことをしてしまった。
こう書くと、ずいぶん王道の成長物語で、あんまり謎がない気もします。
私はゲラゲラ笑えたのですが、それはストーリーというより、ちゃんと場数踏んでいるコメディ俳優たちの演技が良かったのだと思う。
ライアン・ゴズリングが人形らしく、最後の方でドタバタ、ダサい動きをしてるのに笑った。
私は「ララランド」が嫌いなんですよ。話が云々じゃなくて、絵がビンボくさいから……。
冒頭のシーン、物語と関係なく、車が埃被ってない? ダンサーが練習しすぎて、バンパーちょっと凹んでない? 「ララランド」の主演俳優がケンやってるのが自虐ギャグみたいで良いよね。
御大ウィル・フェレルやアメリカ・フェレーラらは、人形演技との対比で、生き生き演じて楽しそうだった。『セックス・エデュケーション』で活躍していた若く可愛らしい俳優たちも良かったです。

「フェミニズムとしては初歩すぎるし古い!」という意見を見たけれど、不特定多数が笑えるコメディを作ろうとしたら、こんなもんじゃないの。
そこまでネオリベともホワイト・フェミニズムとも思わず、若者がたくさん見るんだろうから、教育的だなーと感じました。
ただ、フェミニズムやインディーズ映画文化を、グローバル企業や映画会社が金儲けに利用しているのはどうなのか。とは思ったけれど、アメリカ映画の歴史はずっとそういうものだから……アメリカは歴史がないし、様々な国からの移民でできたのに、ミュージカルを共通言語に開拓と建国までした国だって聞きます。だからコメディの伝統がすごく豊かで、これは同時に歴史なき大国の恐ろしさでもある。
そこは忘れちゃいけないと思いました。

谷崎潤一郎の『刺青』に「愚かさといふ貴い徳」というフレーズがありますが、ベテラン俳優たちが、あんまり賢くない人形たちを、楽しそうに演じるさまが良くて、それがこの映画の一番の良さという気がします。
自己発見って賢い人だけがするもんじゃない。
君は自分を「取り柄がないお人形だ」っていうけど、ちょっと繊細すぎるだけだよ。ありのままの君が大好きさ! 笑ってごらん、可愛いんだから❤️
──っていう、アメリカの青春ドタバタ・コメディの系譜に連なるようなおバカ映画を、昔ながらのラブストーリーではなくフェミニズムでやろうとするって趣向なのかなあ。
最後の方に、急にジョン・トラボルタが一瞬出てくるよね。ライアン・ゴズリングのケンは青春映画の不朽の名作「グリース」のトラボルタのイメージだったんじゃないかな。
そう考えると、バービーは、現代のオリヴィア・ニュートン・ジョンだったのね。
「グリース」で、オリヴィア演じる優等生のサンディは、不良のダニー演じるトラボルタと恋に落ちた結果、最後には真っ赤な口紅でセクシーに踊りまくる。終盤で男の子軍団が真っ黒いぴったりした服で踊る場面があるけど、あの衣装は「グリース」だと主役の男女2人が最後に着ているよね。
「恋愛のない『グリース』か〜」と思うと寂しいけれど、美少女スターとしてデビューしたオリヴィア・ニュートン・ジョン、確か長年鬱を患っていたことを告白していたはず。昨年癌で逝去したんだっけ、とか思い出すと、やっぱり「バービー」の世界の方が、ずっと現実に近いのだろう!

I’m saying all the things that I know you’ll like Making good conversation…
You know what I mean, Let’s get physical, physical…Let me hear your body talk
(あなたの気に入りそうなことばかり喋ってる、気の利いた会話してる……
私の言いたいこと分かる? フィジカルになろう 体の声を聞かせて)

オリヴィア・ニュートン・ジョンの名曲「Physical」は「グリース」の劇中曲ではありませんが、「清楚な美少女が、じつは君とフィジカル(肉体的)な関係を求めてたら……?」というムフフ・ソングで、大ヒットした。ビデオクリップでは彼女自身や、様々な体型の人がレオタードでエクササイズしていて、実に1980S!
40年後の「バービー」は、これに対し「人の妄想を反映するだけのお人形ではなく、人間になって婦人科に行こう!」とアンサーソングしたのかもね。
他にもいっぱい引用あるだろうけど、「グリース」のキャラクターは、バービー人形として販売されてるらしいです。











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