◇不味い、とは、まず言わない

「××の新商品食べたんだけどさ、不味くって不味くって」

コーヒーをお供にしての、談笑のひととき。ふいに飛び出したその言葉に、わたしはギョッとしました。
さらに、食べたことがない人に念押しするように「あんな不味いもの、食べちゃダメだよ」と続けるのを聞いて、口を挟まずにはいられなかった。

「わたしは好きだけどな。でも珍しい組み合わせだから、オーソドックスなものがいいひとには、合わないかもね」

あくまで世間話のうちの一つでしたし、話題はそのうちに他へ移ってしまいましたが。
わたしは別に、彼女が「不味い」と感じたことそのものを否定したかったのではありません。誰しも口に合うもの、合わないものはある。だからひっかかったのは、食べておらずその判断が出来ない相手に、「不味いからダメ」だと意見を押し付けたことだと思います。
……まあ、自分が美味しいと感じたものを、あまりに「不味い不味い」と言われたのも無関係ではないのだけれど。

そもそも「不味い」という言葉自体が苦手なんでしょうね。食べ物や料理そのものを否定するような強いニュアンスを感じるから。
だから「嫌いな食べ物」というのも存在しなくて、「苦手な食べ物」ならあります。でもそれも、どうしても飲み込めなかった過去を持つレバーや鶏皮くらいで、調理法によっては食べられたりもする。
「口に合わない」「好みとは遠い」みたいな言い方を使うのは、それ自体が悪いのではなくて、相性の問題、わたしの都合だというニュアンスを持たせたいからかもしれない。

食べ物に限らず、わたしの基本姿勢はそうなんだろうと思います。
◇読書記録のはなし 」で、☆5段階による評価をつけたときのことを少し書きました。基本が☆3、より惹かれれば☆4で、☆2はよっぽど自分に合わなかった作品だったと。
☆2は、あくまで「自分に合わなかった」作品です。でもレビューを見れば高く評価している方もいらっしゃるし、作家さん自体の人気も強い。それにわたし自身も「面白い」「惹きつけられる」と感じた部分は確かにあって、ただ読み終えたときに「合わない」という結論に至っただけ。
だから嫌いではないし、読めたんだから苦手というほどでもない。その作品を悪く言うつもりも毛頭ない。

わたしのこの姿勢は、人によっては「こだわりがない」とか「明確な評価を下せない」とか「いい顔をしすぎる」とかの印象を持たれるのかもしれません。
「不味い」「つまらない」「嫌い」といったマイナスの意見もはっきり口にできる人は、自身のそういう感情から目を背けたり、ごまかしたりせずにいられる人でもあるのでしょう。

そういう人に、わたしはなれない。これからも、そうした否定のニュアンスを伴う言葉を封じて、気持ちにさえ蓋をしてしまうかもしれない。
その代わり。プラスの感情に目を向けて、肯定のニュアンスを伴う言葉で表せていけたなら。そう思っています。