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節約の基準

菓子パン、ラテマネーの浪費に悩んでいた。特に菓子パンに悉く悩んでいた。

買っては捨て、捨ては買っての負の循環を脱した次は菓子パンからの脱出だった。

美味しいのは食べている最中だけで食べ終えた後の罪悪感と「また無駄なお金を遣ってしまった」という自己嫌悪が甚だしかった。食べた後鬼のように動くこともしんどくなってきた。
チケット、遠征費、欲しい本に換算して食べずに過ごしたかと思いきや食べてしまうことが幾度もあった。しかも一個とか二個とかでなく、一度に七〜十個食べていた。健康科学的にも精神的にも悪いのは当然であり何よりもお金が勿体無さすぎてやめたかった。
恩田陸先生のロールケーキのように「いつやめられるか楽しみだなあ」と楽観しつつも「このままじゃ、ダメになる」と嫌な汗(精神的にも肉体的にも)をかいていた。

それが解消されていることに気付く。ことの発端は洗濯機を処分したことだ。音が煩いので手放したかった。近所にコインランドリーがあるので洗濯乾燥はできる。新たに買うのと水道費洗剤代を比較したらほぼ変わらなかったので処分した。昭和中頃の学生を彷彿させるような洗濯習慣の始まりである。
活動量増加にもなるのでまあいいかあと楽しんでいる。

ある日のことだ。今までのように食べたくないのに菓子パンが食べたくて「食べたら動けば、節約すればいいやあ」と惰性で買おうとしたらふと降りてきた。
「これってコインランドリー何回分かしらん」と換算していた。
「このいくらかはコインランドリー何回分だ」ハッとして買わなくなった。以後菓子パンに手の出しそうになる度に「コインランドリー何回分」と換算している己を他人事のように笑っている。
ラテマネー、外食についても同様の換算をするようになり、さらに自炊が進んでいることはもちろん飲食店ではなく適量且つ品数、食材配分がしやすく食品ロス防止に繋がるコンビニ、スーパーで担っている。
何より飲食店はライブ仲間の方々と入って食べることが楽しいのと食べ過ぎもとい無駄遣い防止になると発覚したのだ。

今までの反省と行動はなんだったのだろうと呆然としたと同時に洗濯機を処分したことがここで功を奏するとはと目から鱗であった。


平松洋子さんを機に現在「貧乏は幸せの始まり/岡崎武志」を拝読中。

数々の貧乏エピソードに身が詰まり明日は我が身と思う一方、「ビンボーを楽しく乗り切ること=まあこんなとこやな」だろうかと考察する。その中で西原理恵子先生のエピソードが印象に残る。以下引用である。

「一食二百八十円以上のものは食べない」という自戒をしていたという。これは当時ののり弁の値段だそうだ。以後、生活の折々に「何かをするのに、お金がいると『これってのり弁に換算すると何個分だろう?』」と考えるようになった。

森絵都先生の「風に舞い上がるビニールシート」の短編も思い出した。その主人公である女性は日々のお金を腎臓を患う犬のための缶詰に換算していた。

己の場合はコインランドリーだった。節約の基準はいつわかるか、何になるかわからない。

そんなことを考えた1冊である。