学ぶ楽しさと解き明かさぬほうが楽しいことについて

「ゲイマネーが英国経済を救う!?/入江敦彦」

三浦しをん先生の読書録を機に拝読。

価値観の多様化というのは個性を受け容れることだけでなく個々の持ちうる才能を見出すことであった。それが経済を麗し、人々の心も社会も豊穣にしていくものなのだと感銘を受ける。
ここに至るまで想像を絶する苦難、差別を受け続けるLGBTの人々を始めとするマイノリティの人々のそれを乗り越える底力にひれ伏すと同時に「制度じゃない。人の心が差別を生む」という「ゴールデンデイズ/高尾滋」にての光也の言葉を思い返す。

『いけないとわかっているのに人が差別に走るのは、優越感、勝ち組幻想に浸れる愉しさがあるから。ならば受けないようにするしかない』と著者は宣う。その方法は①差別者を鼻で笑える社会的な優位性の取得②資本主義を味方につけることだと。

①の方法は先日拝読した山田詠美先生の「風葬の教室」にに類似の方法があった。差別、揶揄、糾弾をすることはあさはかであると自戒を含めて認識する。そして差別、揶揄、糾弾をする教養の無さを鼻で笑えるように先見の目を培い、バイタリティとユーモアに富む人でありたいものである。だから学び歩むことは止まらないし面白いのだと振り返る。

「不安な童話/恩田陸」

先日赴いた古本市で出会った方から恩田陸先生の「3月は深き紅の淵を」のオススメをいただいたことを機に恩田陸先生を手に取るようになった。個人的に感じ取ったのは2種の静謐である。それはひたひたと忍び寄る不気味さ、平凡でありふれた日常に潜む心地良い仄かな暗さだ。

今回の作品は前者だった。平々凡々に暮らす女性はある日とある青年から自分は25年前に殺された母の生まれ変わりだと言われる。そして後日見つかる遺書を基に物語は動き出す。
その母なる人の気質は『平凡な恋愛や家族というものを激しく嫌』い、『自分は特別なのだ、特別な女で特別な恋愛をしているのだと思いたがった』ために『今まで自分に注がれていた愛情』が息子に「『取られていると本気で思う』としかとれない彼女は、ある意味ではまだ子供だった』と嘆かれ『自分の境遇に憎しみやコンプレックスを持っていたんだろう』と恋人に推察された人物であった。
両極端な女性に生まれ変わった理由は何か。彼女が殺された理由は何か。そして、彼女の遺書の意図とは。

読み始めたら止まらなくなり、勿体無いと思いつつも一気に読んでしまった。
「ミステリー」と分類するには凡庸であり、では何かと問われればわからない。言うならば分類したくない。
しないことで不気味さが保たれること、この静謐な雰囲気を壊したくない一心である。酒井駒子先生によるカバー装画がこれまた静謐さを増していてさらに好きになる。