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この世でいちばん大切な人を亡くした #3

彼女が自らこの世を去った直後から、とてもたくさんの事務作業が私に降りかかりました。

人が亡くなるというのは、大変なことです。まずはご親族に連絡する。死亡届を役所へ提出し、火葬許可証をもらう。葬儀屋を手配する。お葬式の準備をする。火葬場の空きは運まかせなので思うように日が取れない。
会社には、数日休むとかろうじて伝えました。私は彼女と籍を入れていなかったので、素直に「配偶者が亡くなった」とは言えませんでした。「内縁の妻が亡くなった」と言ったところ、幸い上司はすぐに事情を理解してくれて、感謝しかありませんでした。

彼女のお母様と、今後のことを話し合いました。私はお母様と話しながらも、彼女の最後に寄り添っていられなかった後悔と罪悪感でいっぱいでした。お母様は、自らも悲しみに沈みつつも、私を責めることはありませんでした。しかしその優しさに、私はいっそう後悔するのでした。

お葬式は、彼女のお母様が取り仕切ってくれました。私は、ただただ彼女の棺に寄り添い、涙を流していました。火葬場で真っ白な骨になってしまった彼女を見て、その骨を拾いながら、ただ泣き叫ぶことしかできませんでした。彼女の遺骨はお母様が引き取り、そちらのご実家のお墓に入りました。

その後は、大掃除と大量の事務作業です。彼女が残したモノの整理、支払いの整理、SNSアカウントの整理。特にネットのアカウント周りの整理は大変でしたが、幸いにも彼女は遺書に必要なパスワード等を残してくれていました。スマホのSMSも生きていたため、だいたいのSNSアカウントを整理できました。

彼女のTwitterアカウントにログインして、亡くなったことをツイートするのは私の役目になりました。

私は、自分が彼女に親しい者であり、このアカウントの持ち主は亡くなった旨をツイートしました。まさか、こんなことをする日が来るとは思ってもいませんでした。ツイート直後から、彼女のフォロワーさんよりたくさんのメッセージが来ました。しかし私は返信する心の余裕が無く、ひっそりとスマホを閉じました。

その後、2人で住むために借りていた家を引き払うため、不動産屋に連絡しました。私は数日会社を休んだあとは、昼に働き夜には後始末と、激務の日々を送りました。

でも、それは結果から見れば良かったのです。もし私がそのように忙しく走り回らず、彼女の死を悼み座り込んで泣き続けていたら、もっともっと闇の深淵に落ちていってしまったかもしれません。
私は毎日歩き回り、電話をかけ、掃除をして、書類を書き、メールを送り、とても活発的に動きました。私のApple Watchを見ると、明らかに彼女が亡くなった直後から、私はとてもよく運動をして「健康」になりつつありました。それは彼女が私に残してくれた、最後の心遣いかもしれません。私が悲しみの暗い沼に沈んで、悲しい記憶に囚われてしまわないように。

遺品整理は、とてもとてもつらい作業です。彼女は既に一人暮らしの生活を送っていたため、たくさんの物がありました。ちょっと掃除をして見覚えのある何かが出てくるたびに、その思い出が溢れてきます。他人から見ると何でもないものでも、私やお母様には、とてもとても大切な物がたくさんあるのです。

でも、死者の持ち物全てを残しておくわけにはいきません。それに、私と彼女の2人で新しく住もうとしていた新居ですから、いずれ引き払わないといけません。

私は、彼女のお母さまと話し合いました。そして、本当に必要なものだけお互い持ち帰り、あとは業者に処分してもらうことにしました。まだまだ着られる服も、未使用の文房具も、彼女のお気に入りのグッズ類もたくさんありましたが、ごく僅かだけ残し、すべて処分することにしました。

業者に処分してもらうとはいえ、冷蔵庫の中身を捨てたり、まだまだ必要なものが無いか彼女の遺品を調べたり、私は何度も新居(となるはずだった家)に通いました。
新居でお腹が空くとご飯を食べましたが、この際にはなるたけ、コンビニやレトルトで済ませるようにしました。

一度、新居の近所のインドカレーのお店に行ってみたところ、とてもおいしいビリヤニが出てきました。私はそのビリヤニを食べて、一口目には美味しいと喜んだものの、次の瞬間には涙がぼろぼろとこぼれて来ました。どうしてこんなに美味しいビリヤニを、彼女と一緒に食べることができなかったんだろう。もう二度と、そんな機会は来ないのです。

そして、こうして遺品整理中に印象に残るものを食べてしまうと、この家の悲しみの記憶が、より脳内にこびりついてしまうことに気がついたのです。

それから私は、新居の周りで思い出になるようなことはしないようにしました。おしゃれなカフェや、美味しそうな韓国料理のお店がありましたが、行かないようにしました。ただただ、ローソンとファミリーマートのご飯を食べました。それも季節限定などは買わず、ひたすらおにぎりやサンドイッチなどのレギュラーメニューだけを買いました。それほど、彼女の亡くなった後のこの家で、特別な思い出は作りたくなかったからです。

彼女はたくさんのグッズ類を残しており、それらは遺書に従って、あちこちで売ったり欲しい人に譲ったりしました。大きなぬいぐるみや人形は、お寺でお焚き上げしてもらいました。
これらの作業はなかなかしんどいものでした。彼女は「PUI PUI モルカー」が本当に大好きでした。その中でも、シロモを溺愛していました。シロモのぬいぐるみは、とてもたくさんありました。シロモのシャツもありました。シロモの文房具も、シロモのポーチも、シロモのクリアファイルも、シロモのマグカップも……。

私は形見分けに、いくつかシロモグッズをもらいました。しかし私にとってシロモは、そしてPUI PUIモルカーは、とてもとても悲しい思い出となってしまいました。本当は、2人で一緒に、モルカーを楽しめたはずだったのに。どうしてこうなっちゃったのかな……。

遺品整理が終わると、あとは業者さんに頼んで丸ごと引き取ってもらいました。彼女の思い出の品がすべて運び出されて、私はがらんとした広すぎる部屋で、一人、静かに泣いていました。
不動産屋にカギを返すと、彼女との楽しい生活を送るはずだった場所は、たくさんの彼女の品といっしょに、悲しい思い出の場所となりました。

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