モラルとかエシックスとか
数十年前、イスタンブルでフラフラしていたころ、なんとなくトルコ語もわかるようになってきて、なんとなしに友人の会話を聞いていたときだった。
出かけた先で腹の立つことがあったという話をしていた彼が、こう言った。「(僕の)モラルが壊れたんだ!」。
え? モラルに所有格が付いてる?
モラルって普遍的なものじゃないの? 壊れちゃうものなの?
まるで「堪忍袋の緒が切れた」みたいに使っていい語なの?
訳がわからないままずーっと年月が過ぎ、先月あたりのことだった。
大好きなドラマ『マダム・セクレタリー』を観ていたら、
モラルとエシックスという似て非なる単語を出して
主人公の夫・ヘンリーが娘(長女)を擁護する熱弁をふるっていた。
ヘンリーは元軍人(かつパイロット)で現在は宗教学を大学等で教えているという、文武両道で家族もとても大切にする、人間の鑑みたいな人物。
そして擁護された長女は、幼馴染の大統領子息(薬物中毒から更生中)とのベッドイン写真がネットに流出してしまう事件に巻き込まれていたのだ。
愚息がスマホを盗まれてしまって陥った境遇だったが、
たまたまTV出演していたヘンリーは、生放送中に電話での質問を受けていたところ、
「娘が破廉恥なことやってるのに、お前さんは宗教倫理を語るのか」
みたいなヤジる電話がかかってきたのだった。
司会者は焦って電話を切ろうとしたが、ヘンリーはそれを制してこう言った。
「君が自分の道徳観(モラル)で誰をどう思おうと勝手だが、それを公の場でヤジるのは倫理(エシックス)にもとる」
数十年前のあの日から時折り頭をよぎっていた「モラルが壊れた」を思い出し、
ああ、そういうことだったのか、と納得がいった。
日本では道徳も倫理もだいたい同じような意味で使われるし、
語感があると自負する私自身もそう思っていた。
でも、英語のモラルmoral、そしてエシックスethicsには明確な違いがあるらしい。
ざっくりとではあるが、モラルはより個人的な道徳観であり、エシックスは社会的に求められる倫理、ということだ。
だからトルコ語に入った「モラル」には所有格がついてもおかしくないし、壊れちゃうことだってありえたのだ。
話は飛躍するが、戦後最悪と言われ私もそう思っている政権がもう8年近く続いている。
今月初旬には都知事選挙もあったが、国政選挙にしろ都知事選挙にしろ投票率が低く、
目先のことしか考えていないネトウヨと化した保守層や、
メディア露出度が高く「やってる感」に騙される人たち、
に支持される様々な現職の政治「屋」は、日本をとんでもなく酷い国にしてしまっている。
抜本的な改革が来る日は果てしなく遠い、とため息をつくばかりだ。
選挙のたびに、投票がいっそ義務になって罰則もあればいいと考えるのだが、投票という行動は、世の中や政治をよりよいものにしようという倫理観=エシックスから生まれるべきではないかとも思っている。
そして、誰に、あるいはどの党に投票するかは、それこそ個人のモラルに委ねられるのだろう。
とりとめのない文章になってしまったが、モラルとエシックスの相違点を知ることで、
社会と個人の倫理・道徳について考えるきっかけになれば、と綴ってみた。
#モラル
#選挙
#外国語
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