てててってしゃんけど

死ぬというのは、何ものにもかえがたい幸福かもしれない。
心残りや依存や執着があれば、遺族に対し、自分に対し、まだ死にたくないと思うかもしれない。
ただ、やめること、寄り添わないこと、で自由のエクスタシーを知った者としては、遺族が悲しむことこそが自分の自由への引きかえであり、全てから解放される時になるのではないかと思うのだ。
生まれた時に神様に供えられた痛みの穴は、死ぬ時には、もし自分を大切にし、自由を知っていれば、その時全て解消されることとなり、全ての痛みは癒やされ、エクスタシーは何ものにも変え難いものになっていく。そうして神様に帰されていく。
もう我慢しなくていい。誤魔化さなくていい。もう痛むことなく生きられる。のびのびと痛むことなく生きられる。ただ自由に生きる。ただそれだけ。ただそれが生きていないというだけ。

しかしまだもう少し死ぬトキは来ないので、1日1日できる限り自由に生きる。



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