家事は遊びになる
かもしれないと思って、台所への侵入を許して、包丁を一緒に使うのはいい感じだなと喜んでいたんだけど、子どもはエスカレートするので、洗剤をアワアワしたいとか、水をジャージャー出したい等の事態になり、ダメといえば大泣き、米の音を聞きつければ「おこめやる〜」、野菜をみれば「しゃきんする〜」、わあ面倒!
やっちまったなという気持ちもありつつ、借りていたゲートは実家に返してしまったし、規制するのも、引き返すこともできない、もう面倒を引き受けるしかないと思っていたのが、昨日、子どもはいつの間にか泡のついた食器をすすいで水切りかごに置くことができるようになっていた。
我が家は賃貸集合住宅に住んでいて、いずれ一軒家に引っ越す予定なので、そしたら食洗機はビルトインだよなというところから食洗機がない。洗濯乾燥機も水道の蛇口の位置的に設置不可。地方で賃貸物件自体が少ないと、こういう理由で便利な家電が導入できないこともわりとあるんじゃないかな。
なので食器はしゅくしゅくと手で洗っていて、少し前まで子どもはわたしが洗ったものをかごに置くだけということをしていた。すすぎは泡がのこってしまって任せられなかったのが、昨日は逆にもう泡ないのにやりすぎ〜とはなったけど、ちゃんと泡を残さず、すすげた。
引越したら通うことになるだろう保育園はモンテッソーリ教育を指針としていていい感じながら、かなり少子化、理事長さんはお元気ではあるがご高齢でもあり、子どもが卒園するまで存続しているのかスリリングでもあるのだけど、モンテッソーリ教育では「ほんものの道具を使う」ことがひとつ大事なこととしてあるらしく、あと子どもがやることを「おしごと」って表現する、たしか。それは何かしらいいことがあるから今日までそれを採用している園が世界中にあるんだろうと思って、だったら普通に家の仕事、つまり家事をやってもいいのではないかと。
先進国は子どもを育てるコストが高くなるから少子化する。発展途上国は子どもが労働力になるからたくさんいるほど豊かになるから少子化しない。みたいな動物の行動経済学?の応用?みたいな理論が、あるらしいのも、何かで見たことがあって、今後世界的に人口は減少に転じる話もあるので、その数がどうなるかとかはわからないけども、ここから思うのは、先進国発展途上国っていう一元的な分け方も過去のものであって、むしろそこから学ぼう、つまり子どもも働こう、家事どんどんしよう、モンテッソーリもおしごとを推奨してるらしいわけで、というようなこと。家事はお手伝いじゃなく役割分担で。家庭チームの一因として自分のこととして当たり前にやることにできたらいいなと。2歳ですすぎができたら3歳になったら食器洗い全体任せられるんじゃないだろうか。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?