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冬のはじまりは雨上がりの匂い

晴れていた空がみるみるうちに暗くなって、地響きのような雷が落ちた。とたんに風が吹き荒れて、ぼつぼつ鳴っているのは何だろうと思ったら地面や屋根に打ち付けられている雨で、びゅうびゅう水がガラスを流れていき、また閃光。地響き。横殴りの雨。

あー、ぶりおこしだ。

こんな嵐に子どもを迎えにいくなんて嫌だなあ。思っているうちに雨は止んで、すっきりした青空がのぞいた。外に出ると、街はみずみずしく洗いたてという感じで、ビルも家もアスファルトも色が濃くなって、水を滴らせている。湿った空気を吸い込むと、鼻の粘膜が気持ち良い。何の匂いといったらいいのか、雨が降り出した時の埃っぽい匂いではなくて、どしゃ降りが過ぎた後の、たくさんの湿気を含んだ、いい雨上がりの匂い。

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暮れかけていく夕方の光がきれぎれの雲に反射する。子どもは空を映す水たまりに吸い込まれていって、靴とズボンがびしょびしょになる。夏の夕立だったらこのまま遊んでいてもいいのだけど、今は初冬だから寒い。風邪をひかれては困るので、「帰ろう」と言っても動かない子どもをかついで帰る。ビチビチ跳ねる子どもはたぶん、富山湾のブリと同じくらいの重さだ。夕飯を食べていると、またぼつぼつびゅうびゅう雨風が戻ってきて、さらに閃光、轟音が何度も響いた。

この雷嵐は「ブリ起こし」と呼ばれる、北陸の冬がはじまるという高らかな宣言だ。

冬は富山湾にブリがくる季節なので、ブリも驚くような雷とか、この嵐がくるといよいよブリの最盛期であるとかいった意味だと思うのだが、北陸の冬にはなんとなくしっとりとした、雪がしんしんと降り積もるイメージを抱いていたので、去年はじめて富山の冬を過ごしたところ、空模様が激しくてびっくりした。

西高東低、冬型の気圧配置が日本列島を覆うようになると、日本海側では雨や雪が降るのは有名な話だが、さらに北陸では雷が鳴る。風も強い。去年は雪が少なくて、よく降っていたのは雹(ひょう)や霰(あられ)だった。つまり賑やかなのだ。

風にかき混ぜられて雲は散り散りになり、どんどんと流れて薄くなった切れ目に強い日差しが差す奥にはまさに鉛というギラリ光る重い雲が立ち込める。鉛は空全体を覆って何時だかわからなくなる暗さ、まもなく強い雨風、少し続くと雲はきれぎれになって隙間から青空、明るくなったところにキラキラと落ちてくる天気雹、ときに風花。そしてまた空は暗くなり、強い雨風。

毎日変わらないどんよりした単調な空を想像していたので、どれだけ転換するのかというドラマチックな展開は、窓の中から見ている分にはけっこう好きだと思った。

富山は、近年は温暖化の影響もあるらしく、わたしが住んでいる沿岸部はそこまで雪が降らない。雪国とはいえ、最高気温が氷点下ということはないので、融雪装置とは水を流すもののことで、冬になると地面のいろんなところに平たいホースが伸びていて、ちょろちょろちょろちょろ水が流れている。車道はゆるやかに傾斜していて、真ん中が一番高く、その高いところから噴水みたいにぴしゃっと水が噴き出ている。慣れていないと、横断歩道を渡る時なんかにそれにひっかかる。雪も水気が多くてボタボタしている。

富山の冬の街は巨大な加湿器みたいで、すごく潤っている。空から降ってくる水っぽい雪、地面から噴き出す水、流れ続ける水。富山の湿気のハイシーズンは冬だから、冬こそカビに気をつけて、除湿機こそ必需品といったような話も聞いた。

冬とはつまり乾燥の季節と思っていたが、そうじゃない場所もあるのだ。「冬は乾燥するから火事に気をつけて」「冬は乾燥するから風邪に気をつけて」そういう言葉を当たり前に聞いてきた気がして、そのことに違和感をもった。

つい最近も夕方のニュースで「乾燥の冬」というテロップが画面右側にずっと出ていた。いちいち違う地域もあります、と注釈をつけていたら話が進まないとは思うのだが、全国放送でも「乾燥の冬」と書くなんて、ちょっと横暴じゃないかと思った。日本海側が基本的には冬に湿度が高くなるなら、冬に乾燥しない場所はとても広いのだ。そのニュースは渋谷から発信されているから、渋谷ではそうですよという程度の意味なんだろうか。

ニュースは6時になると富山放送局発信のものに切り替わって、その日はちょうど、なぜ富山では冬に雨や雪が多いのか、12月の雷の発生回数や日照時間や降雨量の平均が東京大阪名古屋のそれとどれだけ違うかについてなど、丁寧に解説されていた。

それはわたしには本部から発信されている情報とのズレを埋めようという、誠実な意図のあるものに感じられたのだが、さらに混乱させられることには、また別の日には同じ富山発信のニュースで、「乾燥の冬は火事に気をつけよう」という話題が取り上げられていた。結局乾燥するの?!

雨が多くて湿度が高くなることは多いが、基本的には気温が低い冬は空気中に存在できる水分量が減るから乾燥しがちではある、エアコンを稼働させれば室内も乾燥する、ということだろうか。正直、富山の冬がまだ2回目のわたしには実際のところがよくわからない。

ただ、伝達される情報や意識の外側に世界がいくらでもあるというのは確かなことだと思った。外に出た時に潤っている、粘膜が楽だって感じる冬はこれまで知らなかったものだから。意識の外側に世界があること、そっちのほうが広いっていうことを忘れずにいたい。

今朝は明け方にバチバチまた強い音がしていた。寝ぼけまなこでカーテンの隙間からみた空は暗くて、夜明けなのかしっかり朝なのかわからなくて、すぐにまた布団をかぶった。そのあと目覚ましが鳴って目を開けてみた空は青くて、その手前を薄くて白い雲が流れていた。

朝ごはんの支度をして子どもを椅子に座らせると、子どもは興味深そうに光に手をかざして、「あめ」と言う。
「あめじゃないよ、はれだよ」
言いながら外をみると、雨が降っている。青空がみえていて、光が差しているけれど、雨も降っている。
「ごめんごめん。あめ、だね。はれてるけどふってるね。おてんきあめ、だね」

雨はすぐに止んで、少しの間でも洗濯物を陽に当てよう思って窓を開けると、また雨上がりの匂いがして、黒光りする地面も水滴がたくさんついたベランダもみずみずしかった。見上げるともう雲が太陽を隠そうとしていて、でもどんなに雲の下が荒れていても雲のうえには青空があって、ここでは雨の日でもまったく空が見えない日は意外と少ないかもしれなくて、それはいいなと思う。

1日に何回あるんだっていう雨上がりを繰り返しながら、冬になっていく。

【連載】子どものつむじは甘い匂い − 太平洋側育ちの日本海側子育て記 −
抱っこをしたり、着替えをさせたり、歯を磨いたり。小さい子どもの頭はよくわたしの鼻の下にあって、それが発する匂いは、なんとなく甘い。
富山で1歳女児を育児中の湘南出身ライターが綴る暮らしと子育ての話。
前回の記事:世界の 秋は金木犀の匂い があるところ

【著者】籔谷智恵 / www.chieyabutani.com
神奈川県藤沢市生まれ。大学卒業後、茨城県の重要無形文化財指定織物「結城紬」産地で企画やブランディングの仕事に約10年携わる。結婚後北海道へ移住、そして出産とともに富山へ移住。地場産業などの分野で文筆業に従事しつつ、人と自然の関係について思い巡らし描き出していくことが、大きな目的。

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