離乳食は出汁の香り おっぱいとダシのシームレスな関係
おっぱいとダシは繋がっている。こう聞いてピンとくる人はどれくらいいるだろう。
夜から昆布を浸しておいた鍋を火にかけて、沸騰したらかつおぶしを投入。ひらひらのリボン状のものが、ふああっと動いてしゅんっと縮んで、良い匂いが立ちこめてくる。火を止めて漉して、とれたての出汁で人参を煮る。
離乳食をつくるのだ。
子どもが乳だけを飲む期間は思いのほか短くて、生後約半年、やっと授乳に慣れて落ち着いてきた頃にはもう離乳食が始まる。約一年前の今頃、何をどうつくればいいのかわからなかったわたしは何冊か離乳食に関する本を図書館で借りてきた。そこにはどの本であっても、一番の基本としてお粥の作り方、次にさまざまな出汁の取り方が載っていた。
赤ちゃんに出汁。
それまでちゅうちゅうおっぱい、ミルクを飲んできたのに、なんだか急に渋くなるというか、しなびるというか、料亭?みたいな、大人っぽいものを食べるのだなと、へえ、と思った。
赤ちゃんは大人よりもずっと敏感な味蕾(みらい:舌の味を感知するところ)を持つため、塩や醤油や砂糖といった調味料は刺激が強いので使わない。かわりに素材を出汁で煮て、旨味を引き出すことが”味つけ”になるのだという。
ちょうどその頃、友人のお土産に、フランスの離乳食をもらうことがあった。見た目はオレンジ色のドロドロとした流動食は、ハーブ風味のトマトスムージーという感じで、塩気はなかったけれど美味しかった。娘も日本の6~8ヶ月向け離乳食がだいたい80gなのに対して、190gあったそれを完食した。
ははん、なるほど、そういうこと。トマトはグルタミン酸という昆布と同じ旨味成分がたくさん含まれた、日本の出汁のように料理のベースになる存在だ。調味料ではなく旨味を効かせるという離乳食の考え方は、日本もフランスも同じなのだと思った。
大事なのは旨味。ならばやってみるかと、いわゆる出汁をきちんととったのは一度きりで、あとは出汁パックで味噌汁をつくる味噌を溶くまえのものを取り分けるなど、極力手間をかけず、大人の食事の用意と兼ねるようにしていたけれど、「旨味」は常に意識されるようになった。
鶏ひき肉と野菜のスープに、普通に炊いたご飯を加えてどろどろになるまで煮て、鶏出汁のお粥に。同じ要領で鶏を白味魚にしたり。ニンニク・甲殻類・貝なし、トマトその他野菜たっぷりのアクアパッツア“のようなもの”や、豆のミネストローネを「おじや」にしたり。
手づかみ食べが始まるまでは、我が家の離乳食づくりとはほぼ、塩気なし・旨味ありのスープをおじやにすることだった。
娘はお粥だけだと食べなかったけれど、肉や魚や野菜たちから滲み出てくる出汁を効かせるとバクバク食べた。この子は何らかの旨味があれば食べる。出汁と聞いてはじめは渋いと思ったけれど、いわゆる昆布鰹節でなくても、素材からは出汁が出る。赤子用に作って取り分けてから大人用に調味料を足すことすら面倒臭くなり、ぎょえ、これ味ないよっていう赤子用そのままの汁が食卓にのぼることもあったが、いやこれはこれでイケるかもねとなったりして、離乳食をつくる毎日は、素材の旨味をあらためて知っていくような日々だった。
素材には旨味がある。では人はなぜ旨味を求めるのか。その頃ちょうど天然醸造の味噌屋さんの取材のために読んでいた本に、びっくりすることが書いてあった。
旨味成分は母乳にもたくさん含まれているというのである。
いわく、母乳にはたくさんのアミノ酸が含まれていて、その半分以上がグルタミン酸である。なぜ母乳に旨味が大量に含まれているかというと、母乳は身体をつくるタンパク質が豊富に含まれた、赤子にとって飲まなければならないもので、美味しいと感じれば、赤子はそれを積極的に飲むから。
旨味は赤ちゃんにとって必要な栄養を摂取するための、ナビゲーターの役割を負っているのだ。人が旨味を求める源流は母乳にある。
じゃあおっぱいはどんな味がするんだろう。そのときのわたしは、ちょうど一生に数回あるかないかの授乳期にいた。試せるのは今しかない。
感覚を研ぎ澄ませて、テイスティングといったていで口に含んだそれは、かすかに甘くて、透明感のある味がした。やさしいほのかな甘味と、わずかな塩気のようなもの。乳、ミルクという言葉から連想するまったり感は全然ない、すっきりと澄んだ後味には、おいしい和食を思わせるものがあった。
乳から出汁への変化は飛躍ではなく、きっとシームレスな移行なのだ。
娘はおっぱいを飲まなければ泣き止まない、彼女を鎮められるのはおっぱいだけという赤ちゃんだった。抱っこでは全然だめ、温もりや心地よい揺れではだめ。彼女の求めていたものが食べ物なのか喉ごしなのか吸い心地なのかはわからない、全部だったり、その時々で違ったりもしただろうけれど、ただ「おっぱいには敵わない」というフレーズを周りに強く実感させる赤ちゃんだった。
おっぱい保持者&生産者としては、それは大変ながらおおむね歓ばしいことではある。でも少しだけ、わたしはおっぱいなの?みたいな、おっぱいだけあればいいの?みたいな、自分が手段と、食べ物と化してしまうような寂しさを感じることもあった。それは子どもとのやりとりから発生するのではなく、おっぱいには敵わないというフレーズや、他の大人たちとのやりとりや、そこから派生する思考のせいなのだけど。
でもおっぱいの味が他の食べ物たちと繋がっていると知った今、そういう食べ物を身体がつくっていたことを、とても面白いことだったなあと思っている。すごく大きなものの一部として、安心して、食べ物だった自分を肯定できる。わたしが子どもへ「美味しさ」を伝える食べ物になっていたこと、それ自体ものすごいことだったなと。
旨味が美味しい(頭痛が痛い、みたいだけど)という味覚の道は、ちゅうちゅう吸っていた赤ちゃんの時から、大人になって、老人になってもきっと、ずっと続いていく。食べ物と切り離された特別な分泌物ではなくて、基本になる、繋がったもの。美味しさの源流にあるもの。そういうものを身体がつくっていたって、やっぱり、すごく面白いことだったなあと思うのだ。
参考
北本勝ひこ『和食とうま味のミステリー 国産麴菌オリゼがつむぐ千年の物語』
【連載】子どものつむじは甘い匂い − 太平洋側育ちの日本海側子育て記 −
抱っこをしたり、着替えをさせたり、歯を磨いたり。小さい子どもの頭はよくわたしの鼻の下にあって、それが発する匂いは、なんとなく甘い。
富山で1歳女児を育児中の湘南出身ライターが綴る暮らしと子育ての話。
前回の記事:世界の 秋は金木犀の匂い があるところ
【著者】籔谷智恵 / www.chieyabutani.com
神奈川県藤沢市生まれ。大学卒業後、茨城県の重要無形文化財指定織物「結城紬」産地で企画やブランディングの仕事に約10年携わる。結婚後北海道へ移住、そして出産とともに富山へ移住。地場産業などの分野で文筆業に従事しつつ、人と自然の関係について思い巡らし描き出していくことが、大きな目的。
続きが気になる方は
OKOPEOPLEとお香の定期便OKOLIFEを運営するOKOCROSSINGでは、OKOPEOPLEの最新記事やイベント情報などを定期的にニュースレターでお届けしています。記事の続編もニュースレターでお知らせいたしますので、以下のフォームからご登録ください。
編集協力:OKOPEOPLE編集部