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ちょっと何言ってるかわからない

最近だいぶ子どもが達者になってきた。朝ごはんのときに、わたしがいちおう夫のものとなっている黒いお椀で味噌汁を飲んでいたら「おかあさん。それ、おとうさんのだよ?」というので「ああ、間違えちゃったわ(どっちでもいいのやよ)」と答えたところ、「まちがえちゃったのお…」と哀れみの目を向けてくるとか。

支度にわちゃわちゃしてやっと席に着いたわたしが「いただきます」を言い忘れて食べ始めたら「いただきますは?」と言ってくるとか。

「エプロンとってよおぉ」「ティビィ消してよおぉ」「おかあさんもおどってよぉぉ」などなど要求、指示も明確で強め。

「〇〇して〜△△して〜○△して〜○するの。わかる?」みたいな、おそらく動きを真似しろと要求されていて、その動きは意味不明なんだけど、やたら上から言われることもある。

わかる?というのはたぶん、わたしが言っているやつで、子どもが上からになってしまうのは、親の言い方を真似したらそうなるっていうことなのかもしれない。その言い方はおかしいでしょう、とは伝えているけれども。

自我がかなりはっきりしてきたのは喜ばしい成長であり、これまでただ反射的にイヤイヤ言っていたのが、自我にもとづいた要求になってきたのは、より手強く、かすかに人格と人格のぶつかり合いみたいな、将来の反抗期がふわっと香るように予想される感じもある。

それで、子どもとしては一生懸命何かを訴えているようだが、何を言っているのか全然わからないこともある。言葉が言葉になってない時もあるし、言葉は出てるけど要求が理不尽なときもある。そんなに要求されても無理ってときもある。

そういうとき、なにかと使いやすいのが、サンドウィッチマン富澤の「ちょっと何言ってるかわからない」。真似して言うと、子どもにもおもしろいみたいで笑う。何言っているかわからないのは真意であり、本音を伝えられるのはこちらもスッキリするし、覚えたての言葉でなんとか伝えようとしてるのにわからないよって言うのはどうなのかなと思ったりもするのが、型をとることでオブラートに包めるというか、子どもも傷つかずに、ああわたしの言ってることは伝わってないんやって現実を受けとめられてる気がする。

子どものなかであれこれ重なってはりつめてそうな欲求がふわんと緩んで、何それ〜って感じで笑うし、こちらのイライラも、イライラキタキターってより、これあれ言うタイミングだわって楽しめるのもいい。


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