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2013年9月7日の自分へ。

今朝テレビを付けると「東京オリンピックの開会式がいよいよ始まります!」と、22年間聞き慣れたレジェンドキャスターの声がした。画面の中の会場周辺はがらんとして夏の日差しが逆に寂しげな、でもなんとか盛り上げたいけれど、どことなく遠慮がちな高揚感を映し出していた。いつも通り朝の身支度をしながら、なんとなくテレビ画面に目をやると、昨夜、東京タワーが5色のオリンピックカラーに、スカイツリーにはTokyo2020の文字が光っていた映像を見て、なぜか感情が込み上げた。泣いた。

2013年9月7日。東京オリンピックが決まったとき、私はテレビを見ながら、きっと東京は2020年までこれでもかってくらい浮かれ気分になるんだろうな、というどちらかというとネガティブな気持ちが正直な感想だった。ちょうどその頃から「海外からの観光客を呼び込もう」「海外に日本の文化を広めよう」という風潮がメディアを中心に「日本すごい」を推し進めていた時期だった。当時の私は、特に嬉しいとか楽しみとかいう感情も湧かなかったし、東京がどう変化発展していくんだろうということにもさほど興味はなく、むしろオリンピック開催時には都民はいつも通りに暮らせるのだろうかというレベルの心配をしたりしていた。

それから少しして、偶然が重なり、コーチセブンピース代表の谷口さん「東京オリンピック2020のすべての競技でそのコーチにコーチがついている」というビジョンを掲げ、日本スポーツコーチング協会を立ち上げ、私はその協会運営に携わることになる。

協会の主な活動である「スポーツコミュニケーションアドバイザー&コーチ」の普及のための講座やセミナー開催のサポートを通じ、さまざまなスポーツ経験者やスポーツ好きな人と関わっていると、自然と自己重要感が押し寄せてくるのが日々の励みになる。

私が育った環境は、物心ついた頃から、夜は巨人戦が、相撲が、プロレスがテレビに映し出されていた。日曜日などの休日は、マラソン、駅伝、テニス、ゴルフ、フィギュアスケート、そしてオリンピック。子供だった私は、アニメや流行りの番組を見たかったが、茶の間のテレビはいつもスポーツ番組が映っていた。でもスポーツ番組は嫌いじゃなかったし、家族全員で同じ画面を見る、応援するという一体感が嬉しかった。いつの間にかスポーツ中継からルールはもちろん其々のドラマを感じ取ってきたのかもしれない。だから、大人になった今、スポーツに関わる取り組みができるのが嬉しかった。スポーツ好きだった父や祖父の顔が浮かんだ。

さて、協会のサポートをすることになった私は、世の中の動きを知るのが楽しくて、スポーツに関する様々な記事を読み、外部の講演会やセミナー、カンファレンスに参加し、人と合い話を聞いた。ビジネスの知識も必要だ。スポーツを通してスポーツに関わる全ての人が今よりもっと成長するためには、どこを伸ばして、どこが足りなくて、どこの改善が必要なのか。子供のスポーツの現状は。海外の取り組みは。女性アスリートの現状は。アスリートの引退後は。そして体罰。自分に何ができるのか、何を求められているのかを見つけたくて貪るように情報集めをした。

2020年7月。
オリンピックが1年延期になる。

2021年7月。
日本でオリンピックが開催されたからこそ見えたもの感じたものを、さて今後はどう成長していくか。時代は何を求めているのか。私は何を伝えていくのか。きっとスポーツを今よりさらに良くしたいという想いは、きっとこれからも途切れることはない。

今朝、テレビを見ていて突然感情が込み上げたのは、きっと、やっとこの日を迎えることができたんだという安堵に近いのかもしれない。それは無意識のうちにオリンピックに自分の人生をリンクして見ていた気もする。もし、2013年の自分に会えるならこっそり教えたい。2021年の私はブルーインパルスが飛ぶと聞けば、見えるはずもない家のベランダから、飛んでいるだろう方角を眺めてみたりするくらいミーハーな部分も持ち合わせているよ、と。

そして私は、今日もまたいつもの暮らしと変わらず、引きこもりの生活を満喫し、パラリンピック閉会式のその日まで、家で気ままにテレビを見ているのだろう。

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