見出し画像

今日は趣を変えちゃうぞー

朝から食卓にはいなり寿司が用意され、とても幸せな気分で一日が始まった。
母の作るお世辞にも上品とは言えない味の酢飯が、私は大好きだ。
定期的に母の酢飯が恋しくなる私は、数ヶ月に一度、母にいなり寿司をリクエストする。
いなり寿司に必要な諸々を準備し、数日前に内諾を取り、いよいよ食べたくなった前日にリクエストをする。すると、翌日朝にはいなり寿司が食卓に準備されるシステムは、我が家の自慢のシステム。

いなり寿司が食卓に準備された朝には、決まってこう伝えるようにしている。
「うわぁ、いなり寿司だ。嬉しい。ありがとう。」と。
その時で言葉の種類は違っても、必ず喜びと感謝の言葉を伝えるのをルールにしている。

食事が当たり前に準備されているありがたさ

幼い頃は食事が準備されていることは当たり前で、意識して感謝をする事などなかった。

両親は共働きで、朝食の時には既に母親がいない事も多かったが、朝食は必ず準備されていた。
両親のお弁当の延長ではあるが、そこには揚げ物や焼き魚が並べられていた。

一人暮らしと自分への料理

いつの頃だろう、食事が準備されているありがたみを知ったのは。

高校を卒業し一人暮らしを始めた頃、もともと料理が苦手ではなかった私は、毎日の食事をそれなりに作って過ごしていた。
その時には一人になって知る親のありがたみを深く感じたが、今と同じような感謝はなかったように思える。

それほど苦労と思わず料理ができた私は、まだ毎日どんな時にでも食事が準備されるありがたみを知る事はできていなかった。

毎日の仕事と食事

仕事をするようになった時はどうだったろうか。
仕事をし始めた頃は、ほぼ毎日外食をしていた記憶がある。
同僚に誘われては食事に行き、上司に誘われてはご馳走になり。そんな毎日だった。
そもそも料理をする事すら少なくなり、毎月増え靴箱から溢れ出す靴の置き場に、ガスコンロを改造しようかと本気で考えていたくらいだ。

父への感謝と母への感謝

何度か両親との同居と一人暮らしを繰り返した後、ある事がきっかけで再び両親と同居する事となった。
その頃からだろうから、両親を親としてではなく、生活する人として見る事が出来るようになった気がする。
自分が社会人としてそれなりの年数や経験をしたからだろうか。

昔は朝早く起きている母に対して、眠たいだろうに、もう少し寝ていたら良いのに、なんて事は微塵も感じていなかったように思える。
母は早く起きている存在である。そこには眠気など存在しない。
極端にいうとそれくらいの存在として考えていたかも知れない。

数年前、父の最後を自宅で看取った。
詳しくは書かないが、両親もいつか自分の前から居なくなるという当たり前のことを知った。

仕事柄そのあたりの事について普段から考えてはいた。
“どれほど精一杯やっても、それでも「ああしておけば、よかった」という思いが湧いてくる”というのは知っていた。
ただ、今思うとこの出来事を通じて本当にこの言葉を理解したのだと思う。

毎日母と過ごしながら、私は母に感謝することを学んできている。

母も私と変わりなく朝は辛く眠たい。
寒い日はもう少し布団の中で寝ていたいし、食事を作るのが面倒な時もある。
時にはバレない程度に手を抜きたくなる事もある。

まだまだちょっとした思い違いや折り合いのつきにくい出来事で、言い合いになる事は沢山ある。
ただ自分の中に決まり事を作り、意識が意識じゃなくなるくらい当たり前に感謝を伝えられるようにしている。

その一つ、いなり寿司ステム。
私のオススメです。

tot(後ろの音楽:スーパーノア)


この記事が参加している募集

おうち時間を工夫で楽しく

サポートして頂ければ歓喜し明日への活力となります。